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アニメやスポーツの「聖地」が生まれる理由とは? 好きを起点に広がるあなたの可能性

「聖地」といえば本来は宗教的な場所を指しますが、現代ではアニメの舞台やスポーツの競技場も、同じように聖地と呼ばれ親しまれています。一見すると無関係に思えるこれらの分野が、なぜ同じ「聖地」という言葉で語られ、特別な意味を持つようになるのでしょうか。今回は、大正大学 地域創生学科の花内誠先生に、聖地が生まれる意外な仕組みや、異なる分野の物事をつなげて考える面白さについて教えていただきました!

ここをCHECK
  • アニメやスポーツの場所が「聖地」と呼ばれるのはなぜ?
  • スタジアムと「教会」の意外な共通点
  • 「好き」という情熱を新しい価値に変える「智慧」

「聖地」になるには理由がある

そもそも「聖地」とはどんな場所なのでしょうか。

花内先生「宗教に限らず、アニメやスポーツにおいても、人にとって大切な場所。そう考えることができます。宗教や宗派によって聖地が異なるように、人によって聖地となる場所はさまざまです」

この考え方に立つと、アニメやスポーツの世界で「聖地」という言葉が使われている理由が見えてきます。例えば、アニメの舞台となった場所。高校バスケを題材にした『SLAM DUNK』のアニメに登場する鎌倉高校前1号踏切や、バレーボール漫画『ハイキュー!!』でおなじみのカメイアリーナ仙台には、全国から多くのファンが訪れます。ファンにとっては物語を追体験できる場所として、特別な意味を持つ場所です。

スポーツファンにとっての聖地もさまざまです。高校野球ファンなら阪神甲子園球場、サッカーファンであれば国立競技場を思い浮かべる人が多いでしょう。球場やスタジアムは、名勝負や応援の記憶が積み重なった場所。ファンにとっては誇りや仲間との一体感を感じられる心の拠り所でもあります。

さらに、海外にはこんなスポーツの聖地の例もあります。

花内先生「欧米ではスタジアムを教会に例えることもあります。かつて人々が毎週日曜日に教会に通っていたように、今は地元のスタジアムに通い、まちの人たちと肩を並べて同じチームを応援する。勝った、負けたと一緒に喜んだり泣いたりするうちに、自然と絆が深まり、一体感が育まれていきます。スタジアムは試合を観る場であると同時に、かつての教会のように、まちのコミュニティーの役割も果たしているのです」

イギリスでは、スタジアムのそばにメモリアルガーデンをもうけているサッカークラブも一部あります。亡くなった選手やファンの遺灰を散骨できる場所で、ファンは「死後も好きなチームや仲間とともにありたい」と願います。試合の日に訪れて故人を偲ぶファンも多いのだとか。これは、スタジアムが単なる競技施設ではなく、まちの人にとって特別な場所になりうることの証です。

宗教、アニメ、スポーツ。分野は違っても、聖地が生まれるプロセスは共通しています。共通の体験や記憶、思いを通して大切な場所となり、コミュニティーのシンボルとして機能するようになる。一見バラバラに見えるもののあいだに、実は同じ構造があるのです。

こうした聖地が生まれる仕組みは、「まちづくり」にも共通していると花内先生はいいます。

人と人をつなげる「聖地」をまちにつくるには?

まちづくりというと、スタジアムやアリーナなどの大きな施設をつくり、人を集めて地域を元気にするイメージが思い浮かぶかもしれません。しかし花内先生は、「それだけがまちづくりではありません」と語ります。まちづくりは英語で「Community Building(コミュニティービルディング)」といい、本来の目的は、人間関係が希薄になりがちな都市にコミュニティーを取り戻すことにあるといいます。

花内先生「例えば、地元の少年野球チームの活動を想像してみましょう。いつものグラウンドに簡易な観客席を設け、保護者が自家製レモネードを販売したりすれば、それだけで地域住民が気軽に立ち寄れる雰囲気になりませんか?」

そうすればきっと、地域の人たちが子どもたちのプレーを応援するうちに顔見知りが増え、子どもも大人もお互いを見守る関係が築かれていくでしょう。このようにコミュニティーがしっかりしている地域ほど、災害時に助け合いが生まれやすく、日常でも人とのつながりが心身の健康につながるという研究データもあります。

花内先生「何より、仲間と笑い合って過ごせるまちは楽しいですよね。そもそも、コミュニティーをつくるのに大がかりな施設は必要ありません。ポイントは、人が集まり、同じ体験を共有できる場をどうつくるか。そう考えると、同じものを『好き』『応援したい』気持ちから人が集まるスポーツやアニメは、人と人をつなげるとても良いツールになります。参加が強制ではなく、出入り自由で、適度な距離感を保てるのも利点です」

一方、日本では、スポーツやアニメをコミュニティー形成のツールとして十分に生かしきれていない現状があります。スポーツは勝ち負けや上達が重視され、「する人」は多くても、「見る人」や「支える人」が関わる場が少なく、地域で楽しむ体験になりにくくなっています。

アニメの聖地巡礼も、ファンにとっての聖地が必ずしも地元の人たちにとって大切な場所とは限りません。ファンと地域が交わらないまま、コンテンツとして消費されて終わってしまうケースも少なくないのです。「こうした状況はとても残念で、もったいない」と花内先生は言います。

花内先生「私なら、『SLAM DUNK』の湘北高校バスケ部の名前を活かして、『湘北』の名を冠したバスケットボールチームを神奈川県に作りますね。アニメファンや地元の人たちも一緒に応援できるし、これまでスポーツやアニメにあまり関心がなかった人も、地域のスポーツチームとして気軽に関われる場になります。湘北のユニフォームを着て一緒に応援するうちに、アニメファン、スポーツファン、地域の人たちの間に一体感が生まれていくはずです」

「好き」なことから世界を見直してみると

このように聖地、スポーツ、アニメという異なる要素をかけあわせ、まちのコミュニティーをつくる発想は、大正大学の建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に通じるものがあると花内先生は指摘します。「智慧と慈悲の実践」とは菩薩の生き方を表す仏教の言葉で、「智慧」とは自己を高めること。「慈悲」とは周りの人や世の中に貢献することを意味します。

花内先生「智慧と知識は違います。知識はインプットで、覚えること。智慧はアウトプットで、異なる知識を組み合わせて新しい意味や価値を生み出す力です。スポーツやアニメ、宗教といった異なる分野を結びつけて、人をつなげる発想もその一つです。この智慧を地域づくりに活かせば、それは慈悲の実践になります。知識を智慧に変えるには、すでに知っている知識を他の分野に当てはめて考えてみることです。こじつけでもいいんですよ。こじつけて考えたほうが世界はずっと面白いですから」

では、「智慧と慈悲の実践」の考え方をスポーツに当てはめてみると、どうなるでしょうか。ただ一生懸命に練習して自分の能力を高めるだけでなく、「対戦相手をリスペクトしよう」「観客に楽しんでもらおう」「地域に貢献しよう」といった意識も芽生えます。スポーツが単なる競技を超えて、社会とつながるツールになるのです。

花内先生「誰でも好きなことは追求できますよね。その熱量を他の分野にスライドさせ、新しい価値を生むことこそが智慧なんです。例えば、スポーツアニメのファンがリアルなスポーツを応援するようになったり、アニメへの情熱をまちづくりに生かしたり。あるいは、スポーツで培った連帯を災害時の助け合いに当てはめることもできるでしょう。一つの“好き”を起点に磨いた力は、形を変えて必ず誰かの役に立ちます。そんな“好き”を起点にした智慧があれば、あなたの可能性はどこまでも広がっていきますよ」

取材・文:勝部美和子

撮影:杉﨑恭一

編集:エクスライト