雑学・教養

「愛」とは何だろう?アリストテレスから現代まで、めまぐるしく変わる愛の形

「愛」と聞いて、皆さんは何をイメージするでしょう? 古代ギリシアの哲学者・アリストテレスは、どんなに富や名声を得ても、愛する人がいない人生は虚しいと言いました。

そもそも愛とは何か。私たちはどう生きれば愛を手に入れられるのか——。今回は大正大学人文学科の宮村悠介先生と一緒に、アリストテレスの言葉をまとめた『ニコマコス倫理学』を読み解きながら、古代から現代までの「愛」の形を探ります。

ここをCHECK
  • アリストテレス「愛には3種類あるぞ!」
  • 自己愛とは、自分と友達になること
  • 推し活は最新にして究極の愛かも?!

この愛は本物? 愛には3つの種類がある

家族への愛、恋人への愛、あるいは推しやペットへの愛……。私たちの周りには、いろんな形の愛がありますよね。その中でも、哲学者・アリストテレスの言葉を息子たちがまとめた『ニコマコス倫理学』で語られているのは「友愛」、つまり友達への愛です。

宮村先生「愛と聞いて皆さんの中にまず思い浮かぶのは、『恋愛』ではないでしょうか。実は恋愛という概念は、近代になって生まれたもの。アリストテレスが生きた時代は、結婚は家同士が決めるものであり、個人が恋愛感情で結ばれるという考えはありませんでした」

アリストテレスは、私たちがどんな人を友達として愛するのか、その種類を次の3つに分けました。宮村先生はこの友愛の分類が、恋愛や家族愛などにも通じると話します。

アリストテレスが考える「友愛」の種類

①有用な人……ノートを見せてくれる、車を出してくれるなど「役に立つ人」

②快い人……冗談を言って笑わせてくれるなど「快楽をくれる人」

③良い人……人間性そのものに魅力を感じる「人柄の良い人」

宮村先生「この3つを恋愛関係に当てはめてみると、①は貢いでくれたりお小遣いをくれたりする人、②はセックスの相性がいい人、③は人柄そのものに惹かれる人、となります。①と②は愛の強度が弱く、利益が得られなくなると関係は終わってしまう。つまり、持続性のない愛です。

一方で③は、その人の本質に食い込んだ愛。相手がたとえ自分の役に立たなくても、落ち込んで面白いことを言えなくなっても、人柄が好きだから関係が続いていくという本物の愛です。アリストテレスは人生において、③を成立させることを目指すべきだと言いました」

もちろん、自分と相手の愛の種類が違うこともあります。自分は相手を「良い人」だと思っていても、相手は自分を「有用な人」としか思っていなかった……と。人間である以上、同じ重さの愛が返ってくるとは限りません。そんな悲しい思いをするかもしれないのに、私たちの人生に愛はどうしても必要なのでしょうか?

宮村先生「難しい問題ですね。愛なんかないほうが、めんどくさいことがなくて済むという見方もあるでしょう。しかしアリストテレスは、もし私たちが富や名誉など、人々が欲しいと思っているあらゆるものを手に入れたとしても、それを分かち合える友人がいないと虚しいと言っています。愛する人と喜びを共有することで、その喜びはさらに大きくなるのかもしれません」

皆さんも、「テストで点数が取れた!」「部活でレギュラー入りできた!」などうれしいことがあったとき、誰かに聞いてほしくなりませんか? 「誰かと分かち合うと喜びは倍に、悲しみは半分になる」といった言葉もありますが、友達でも恋人でも家族でも、愛する人がいることは何より豊かなことなのかもしれません。

本物の愛の見つけるために、まずは自分と友達になる!

では、アリストテレスの言う「良い人」との愛を成立させるには、どうすればいいのでしょうか? 答えはズバリ、自分自身が「良い人」になることだそうです。

宮村先生「徳のある人のところには、徳のある人が集まると言います。自分が『良い人』でないと、運良く良い人に出会えたとしても、お互いに信頼し合える関係になるのは難しい。また自分自身を磨くことで、良い人を見つけるセンサーも磨かれるでしょう」

自分を良い人にしていくために欠かせないもの。それが自分を愛する「自己愛」です。アリストテレスや彼の師匠であるプラトンは、自己愛を持つことを「自分と友達になること」だと表現しました。宮村先生いわく、これは友達を100人つくるよりも、Instagramのフォロワーを増やすよりも難しいことなのです。

宮村先生「自分と友達になるとはどういうことか。それは自分の中にいるあらゆる自分が一丸となって、一つの信念に基づいて動いている状態になることです。例えばダイエットをしたい私と、ケーキを食べたい私がいるとします。これは自分と自分が喧嘩をしていて、友達になれていない状態ですね。自分と友達になれた究極の例といえば、大リーガーの大谷翔平選手。彼は彼の中にいる全部の自分を、『野球を極めたい』という一つに集中させることができたからこそ、世界的に活躍する『良い人』になれたのです」

自分と友達になるということは、自分の一番の夢や欲望を理解して、全自分の力で叶えていくこと。どうやら自己愛への第一歩は、「自分が何をしたいか?」を知ることから始まりそうです。

宮村先生「そういう意味では大学は、視野を広げて自分を知るための良い場所だと思います。勉強する内容はより専門的になり、視野がぐんと広がります。また、出身地や年齢、経験、価値観が違ういろんな人と出会うので、人間関係も豊かになるでしょう。自分はどんな自分と友達になればいいのか。まだ迷っている人は、ぜひ大学で学んでほしいですね」

現代の愛とは? 推し活って究極の愛かもしれない

最後に、現代の愛にスポットを当ててみます。アリストテレスが生きた時代から約2400年後の今。愛は彼も驚く多様化を遂げています。

その代表例が「推し活」。人間だけでなく、アニメやVTuberなどの2次元だって愛の対象です。直接会うことはできなくても、言葉を交わすことができなくても、推しが幸せであれば自分も幸せ。宮村先生、これも「愛」といえるのでしょうか?

宮村先生「アリストテレスが説いた愛の対象は人間ですが、もはや推し活も立派な愛の形だと認めざるを得ません。恋愛が近代になってから生まれたように、時代の流れと共に愛の形が増えるのは自然なことです。私が教えている学生の中にも、『命をかけて推しを推している!』といった人がたくさんいますよ」

推し愛が特別なのは、相手からの見返りがなくても愛を注ぎ続けられること。ライブを見たり、グッズを買ったり、がんばって稼いだお金を課金することで自分自身の心が満たされる。「与える」だけで成立する愛なのです。

宮村先生「推しはリアルかつ身近な存在で、たとえ喜びを分かち合えなくても、存在してくれていること自体が最大の“見返り”なんですよね。もしかすると良いことがあった時には、『あなたのおかげで大学合格できました。ありがとう!』とSNSや心の中で伝えている人もいるかもしれません。見返りを求めていないから、推しが有用でも、快きものでも、良い人ですらなくてもいい。そう考えると、推し活を楽しんでいる方々は、アリストテレスが思いもよらない方法で、究極の友愛にたどり着いているのかもしれませんね」

まとめ

ひと言では語れない愛の話。古代の哲学者が考える愛も、現代社会で育まれた新しい愛も、人生を豊かにしてくれるものに間違いはなさそうです。自分がこれからの人生で素敵な「愛」に出会えるように。そんなことを考えながら生きてみるのも楽しいかもしれません。

取材・文:井上麻子

撮影:杉崎恭一

編集:エクスライト