よろこんだり、落ち込んだり、イライラしたり。周りの世界に反応して、目まぐるしく動く私たちの「感情」。感情とは、人生を豊かにも苦しくもさせる存在ですよね。
仏教の世界では、生きることは基本的に苦しいこと。それでもできるだけ気持ちよく生きる方法をまとめたのが、仏教の教えです。「仏教が生まれた2500年前から、人々の悩みは変わりません」と話すのは、大正大学仏教学部仏教学科の阿部貴子先生。今回は仏教を通して、自分の感情と上手に向き合うヒントを教えてもらいます。
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感情とは、言葉から生まれた“差異”に対して抱くもの

試験の成績が悪くて悲しい。今日の自分はビジュが良い。くもり空より晴れた空のほうがきれい。私たちは毎日、心でいろいろなことを感じながら生きています。でもこの感情は一体、どこからやってくるのでしょうか。阿部先生は「人間には言葉があるから感情が生まれる」と話します。
阿部先生「私たちの目に見えているものって、ただそこに存在しているだけで、上下も、右左も、綺麗も醜いも本当はないんです。では、なぜ“ただの存在”に優劣のような差が生まれるのかと言うと、私たちが言葉を使って『概念』にしているからです。言葉で表現するから良し悪しが生まれ、それに反応して感情が生まれる。例えば、目の前にある『机』は、私たちが『机』と呼ぶから机になるけれど、この上で寝たら『ベッド』だし『白い四角いもの』でもありますよね。私たちの心は、言葉の先で生まれた差異を感じることで、苦しんだり喜んだりしているんです」
たしかに、もし世界に「かわいい」という言葉がなかったら……。「かわいい」という概念自体がなく、「かわいい」と言われて心が喜ぶことも、「かわいくない」と言われて悲しむこともありません。ブッダが目指したのは、まさに言葉による差異化のない世界。目の前のものは全部がただの存在で、まったくの均等だと思えたら、心穏やかに生きられると考えました。
感情とは自然なもの。ただし、行き過ぎるとしんどい

苦しいとはわかっていても、そう簡単に「言葉のない世界」にはたどり着けません。少しでもその境地に近づくためのトレーニングとして、仏教の中で伝えられてきたのがさまざまな修行です。
阿部先生が研究しているインド瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)は、ヨーガという修行の実践を通して形成された学派。ヨーガは現代のヨガの語源ですが、私たちが知っているようなポーズをとったりするものではないそうです。
「インド瑜伽行唯識派のヨーガは、瞑想が中心です。意識を何か別の対象に結びつけることで、ザワザワや不安を遠ざけて、心をコントロールしようという修行。現在でも瞑想は人気ですが、仏教の世界でもいろいろなやり方がありますよ」
有名なのは数息観(すそくかん)という呼吸法。息を吸ったり吐いたりすることに意識を集中させて、雑念を遠ざけるというものです。また数息観ではないけれど、雑念をなくすために食事や歩行を意識の対象にするのも良し。ポイントは一つひとつの動きを細かくイメージすることで、食事なら、食べ物を噛む→飲み込んだ食べ物が食道を通っていく→胃に落ちる、という流れを細かく感じながら食べること。すると意識が食事に集中して、自分の心のざわつきから距離を取ることができるのです。
阿部先生「瞑想は、視点をいろいろなところに置く修行とも言えます。自分の中心にある不安やイライラだけに着目するのではなく、もっと末端の呼吸や咀嚼、足の動きに目を向けることで、モヤモヤから意識を遠のかせるイメージ。いったん心から離れてみると、頭の中を占めていた怒りや悲しみが、案外どうでもよくなったりするものです」
感情が生まれることは人間にとって自然なことで、悪いことでも良いことでもありません。ただ“行き過ぎた感情”には気をつけてと阿部先生は続けます。
阿部先生「落ち込むのはいいけれど、落ち込みすぎるとその感情は自分を苦しめる煩悩になります。逆にポジティブな感情も膨らみすぎると、見栄や優越感に浸るようになってしまい良くありません。仏教では心の均衡が取れた『中道』の状態が一番良いとされていて、中道であるために修行をするのです」
私が夢中になれるものは何?自分なりの修行を見つけよう

現代の私たちが仏教の修行をそのまま実践することは難しくても、自分なりの心を整える方法を見つけることはできます。つまりそれは、自分だけのオリジナルの修行と言えるのかもしれません。ちなみに阿部先生は、こんな意外な方法で心を整えているそうです。
阿部先生「私の場合は、家庭内で夫や子どもに怒りが湧き上がった時、なぜかサンスクリット語の辞書を読むと落ち着きます(笑)。一日中編み物をするとか、ひとりカラオケで思いっきり歌うとか、どんな方法でもいいので、自分なりに心の均衡を保つ“修行”を持っておくといいかもしれませんね」

激しい感情が巻き起こったら、一度そこから離れて冷静になること。そして冷静になった先に生まれるのが、他人への思いやりであればなお良いですね、と阿部先生。
阿部先生「ブッダも人の子なので、良い行いをしてほしいんです。良いことというのは、大会で優勝するとか難関大学に入るとかではなく、人への優しさを持つこと。仏教の世界では『慈悲』と言います。心が冷静であれば、他人に思いやりを持つことができ、思いやりを持った行動をしていると、それはきっと自分に返ってきますよ」
まとめ
人間である限り、一生付き合っていかなくてはならない自分の心。仏教の修行には、そんな心を健やかに保つヒントがありました。ネガティブな時もポジティブな時も、もし自分の感情が高まりすぎて辛くなったら、この修行の話を思い出してみてくださいね。
















