地域貢献・国際交流

深める地域との絆、広がる国際交流

協定留学生ブログ ミュンヘン大学(ドイツ)から

12月に入ると、街は本格的にクリスマス一色になりました。

12月2日に、ミュンヘンでは20年ぶりとなる大雪が降って、ホストファミリーからはめったにないことだから逆にラッキーだねと言われました。

  

-12度になる日に、ホストマザーと一緒に散歩に行ったのですが、あたり一面銀世界で歩くのが大変でした。頬が寒さで痛くて、スマホも凍ったように冷たかったです。でも、子供たちがそりを持ち寄って滑っていたり、雪合戦をする風景が見られてたりして、心はほっこりしました。

12月はドイツのクリスマスの文化をたくさん学べました。日本だと、クリスマスは子供の頃は特別感があったり、カップルにとっても絶好のデート日和だったりして、文化というよりは特別な日という印象だと思います。しかし、ドイツにとっては日本のお正月ほど重要な文化です。ドイツは、12月は一ヶ月間まるごとクリスマスです。


12月に入ると、ホストマザーはまず、ろうそくを灯しました。ドイツは伝統的に、四つのろうそくを用意して、クリスマスまでの各週に一つずつろうそくを灯すそうです。また、私のホストファミリーはいつもご飯を食べる時に音楽をかけるのですが、12月はずっとバイエルンの伝統的なクリスマスの歌でした。“Heilige Nacht”(きよしこの夜)はもちろんのこと、バイエルン方言の楽しい童謡など、私はアメリカのクリスマスソングしか知らなかったため、ドイツの伝統的で情緒深かい音楽は新鮮でした。そして、デザートには、お手製のPlätzchenというクッキーとGlühweinを一緒に食べました。

     

そして、Münchenはもちろん、RegensburgやAugsburg、Nürnbergなどの様々な街のクリスマスマーケットに行きました。私はドイツに来るまでクリスマスマーケットの存在を知らなかったのですが、街ごとに雰囲気が違ってとても楽しいです。そしてもちろんGlühweinはどこのクリスマスマーケットにも売っていて、オリジナルのマグカップも買えるので必ず飲んでいました。ただ、アルコール度数はそれなりにあるので、飲みすぎには気を付けないといけません。

 

12月中旬には、ベネチアへ一泊二日の旅行に行きました。冬のベネチアもとても綺麗でした。また、近くのブラーノ島に行った際には、島に住んでいる唯一の日本人の方とたまたまお会いできて、いろいろなお話ができました。



クリスマス当日の24日に、くるみ割り人形のバレエをテレビで見ながら、クリスマスツリーの飾りをつけました。伝統的なクリスマスの飾りは木でできた星形のもので、日本と少し違いました。さらに、本物のろうそくも点けていて、ちょっと怖かったですが、とても綺麗でした。普通は24日の夜にサンタが来て、子供たちにプレゼントを渡すらしいです。ちなみに、12月6日にNikolaustagesという日があり、その日はニコラスが来て、靴下にプレゼントを入れてくれるらしいです。もともと、宗教的にはサンタクロースはドイツにいなくて、代わりにニコラスがいたらしいです。

 

また、Wichtelというサンタに似た小人もいます。この小人は冬になったら現われるらしく、日本の座敷童みたいな存在らしいです。日本にはない伝統的なクリスマス文化がたくさんあって驚きました。24日にはラクレットを食べて、25日のお昼にはローストビーフみたいなのを食べました。

私は26日から29日まで、ホストファミリーの実家がある、ベルリンに行ったのですが、親戚の家にはクリスマスが過ぎた後でもクリスマスツリーがありました。ドイツでは、年越し後も一週間くらいはクリスマスツリーが置いてあるらしいです。

ホストファミリーの親戚のみなさんは、初めて会うにも関わらず、温かく私を迎えてくださいました。ゲームをしたり映画を見たりして、とても素敵な時間を過ごせました。

 

そして、私がベルリンに行った目的の一つでもある、旧東ドイツ時代の記録もたくさん見ることができました。ホストファミリーはどちらとも、旧東ドイツ地区にあったベルリン出身で、ベルリンの壁崩壊当時は大学生でちょうど今の私と同じくらいの年齢だったらしいです。ベルリンの壁はできてから約30年存続していたので、ホストファミリーは生まれた時から壁の中で生活していました。とても信じられなかいです。ホストファミリーと一緒にベルリンの壁博物館やDDR博物館、East side Gallary、記念碑、などたくさんのものを見て、一つ一つ丁寧に教えてもらいました。特にDDR博物館は当時の人の暮らしを詳しく知ることができて、例えば、配給制の中で何が特に高かったのか、教会が表現の自由のために使われていたのはなぜか、アメリカに影響された西ドイツとソ連に影響された東ドイツで言葉がどのように違うのか、など様々な情報が展示されていました。

ベルリンに行って気づいたのが、ベルリンの街中そこらかしこに記念碑や博物館が置いてあって、街全体が冷戦を忘れないように存在しているのではないかと思ったほどです。駅一つにしても、駅構内の壁に冷戦時にこの駅がどう使われていたのか書かれているし、色合いも当時のままでした。冷戦が終結してからまだ30年あまりしか過ぎていないからこそ、冷戦の記録は適切に残されているし、それを通して人々は監視社会の恐ろしさやその中でも人間がどうやって希望を見出していたのか学ぶことができると思いました。ホストファミリーに、当時自由に旅行ができなかったことをどう思っていたか聞きました。すると、そんなに悲観的でなかったらしいです。なぜなら、東欧やソ連占領下の国には旅行できたからです。さらに、配給されないものは高かったが、家賃や食費は安く、生きるのは大変ではなかったらしいです。しかし同時に、ホストファミリーは監視社会や表現・言論の自由の抑圧につていも話をしています。だからこそ、ホストファミリーは自分の子供がデモに参加するのに賛成しているし、政治にも積極的に関わっています。今回の旅行を通じて、旧東ドイツについて学べたし、政治は限られた人だけでなく平等に全ての人に関わる権利と責任があるからこそ、無関心でいたらだめだと気づかされました。

 


最後に、12月31日の大晦日は自宅でパーティーをして、友人たちと一緒に花火を見に行きました。花火を見るといっても一般人が日本では考えられない規模で盛大に楽しんでいるのを、丘から見るというものです。ドイツでは、クリスマスは家族、お正月は友人とパーティーが普通らしいので、私もそれにのっとって友達と楽しく過ごせました。

あと残り二ヶ月、短くはありますが、やり残したことが無いように、帰る準備と心の準備をいろいろとしていきたいと思います!

明けましておめでとうございます。Frohes neues Jahr!!!

(Hさん)

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