地域貢献・国際交流

深める地域との絆、広がる国際交流

協定留学生ブログ 上海大学(中国)から

学びの秋

今回も素敵な場所を訪れているようです。(国際担当T)
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残り一か月半ばをきりました。5月までは日本に早く帰りたいと思っていましたが、今になってはもう帰りたくないと感じてしまいます。時間が過ぎるのもとても早く、現在急いで旅行の計画を立てたり、食べていない中国料理を毎日食べたりしています。今月から2か月は一番お金を消費すると思います。

 

・杭州旅行

秋の季節、中国の大学生たちは旅行に出かけます。中国の大学は三学期制なので、11月半ばに一学期が終わり、一週間休みに入るからです。私たち中国語コースは二学期制なので、その期間も授業です。中国の大学生の友達と旅行に出かけたいため金土日で杭州に行きました。杭州までの高速鉄道はすぐ売り切れてしまったため、普通列車で向かいました。普通列車はとても騒がしく、比較的汚いです。日本人としては恐らく嫌と感じると思います。しかし、私はこの中国の感じが好きです。逆に今は日本が綺麗すぎて、静かすぎて怖いと感じます。
杭州は蘇州とは違って比較的現代的な街並みだと感じました。また、観光名所のほとんどが西湖周辺にあるため、非常に便利で回りやすいです。



写真1 「杭州大剧院(大劇場)周辺」

写真2 「龍井茶田(茶畑)と茶田に行くまでの道」


龍井(ろじん)茶田は私にとって一番楽しいと思った場所です。写真撮影の時は曇ってしまいましたが、風景が非常に綺麗です。その反面非常にやっかいな事が一つありました。茶畑の下には商店街のようになっており、龍井茶を飲むこと、買うことができます。商店街を歩くと、客引きのおばちゃん達がお茶を飲め、買えと声をかけられます。これは商売として当たり前ですが、無視か拒否をしてもしつこく追いかけて声をかける人もいるのです。私たちは英語で「I can’t speak Chinese」と返事をしておばちゃんたちを追い返しました。これがなければ龍井茶田は本当に杭州の中で一番の場所だと思います。
私たちは自転車で茶田まで向かいました。茶田までは森林の中を通ります。秋なので紅葉が綺麗で、帰りは特に夕日が射し込み更に綺麗でした。その時の写真が写真2の右側です。


写真3「西湖」

西湖(せいこ)は人民元の一元紙幣に描かれている風景です。

 

写真4 「銭塘江(せんとうこう)大橋と河坊街景区」

杭州の料理は中国ではまずいと有名です。「很淡」と言われており、これはあっさりしている味で日本料理の味と同じです。そのため日本人には好まれますが、中国人にはあまり好まれないのだと思います。杭州特色の麺料理(鶏白湯らーめんとほぼ同じ)を食べたのですが、あっさりしています。

 

・上海鉄路博物館(上海鉄道博物館)

博物館のある場所は元々上海北駅として使われていたのですが、廃駅となって博物館になりました。

上海鉄道博物館は鉄道についてわかるのですが、歴史の内容に関しては抗日的です。抗日と関わりないと思われがちですが、戦争において鉄道は人、物資を運ぶ非常に重要な手段です。日本が中国に侵攻する際、中国は日本に鉄道を奪われたら日本が有利になってしまう恐れがあるため、自ら破壊を行っていました。ところが、日本は現地にいる中国人が外地に逃げるのを防ぐため、駅、橋の破壊をしていました。日本が破壊などを行った映像もあり、特に「上海南駅の赤ん坊」の写真は特に有名です。この博物館をみると日本は最悪と感じてしまいます。私たちが東京大空襲、原爆などを学ぶような感覚と同じです。

私が一番楽しいと思ったところは、新旧写真が見られることです。上海の場合、かなり見違えているので、このような展示は非常に貴重だと思います。

鉄道博物館は歴史以外にも鉄道に関してかなり充実した内容です。日本と同じように子供が多く、10元(約200円)とお手頃価格なので家族連れにはおすすめ観光スポットです。

 

・文化人の街

中国の文豪、魯迅(ろじん)はご存知でしょうか。文学界ではとても有名で皆様も日本の教科書で一度は目にしていると思います。また、魯迅は日本に留学しているので、日本とも非常に関わり深いです。上海には魯迅公園があり、その中に墓があります。公園周辺は中華民国時代の近代的な建物が多く残されており、魯迅故居以外は現在も住宅として使われています。その建物らは多倫路文化名人街と言われており観光名所の一つです。文化名人街の名の通り中国で有名な文化人たちが住んでいました。文化人のほとんどは中華民国時代において左翼側で国民党政権に対する革命者です。

街を歩いている途中に一つ「内山書店」という本屋さんがありました。日本らしい名前で気になったのでよく調べで見ました。内山完造が1917年上海に開設した書店で、日中文化人らの交流場となったと言われております。また、魯迅もこの書店に通っており、内山完造とはとても親交の深い関係であったと言われております。戦後は日中友好協会の理事長となっており、戦前から戦後まで日中友好の懸け橋となった存在の方であると思いました。

 

上海鉄道博物館も含め、中国歴史に関わる博物館は全て抗日に関する内容が必ずあります。私は中国のいくつか博物館に行きましたが、中国人の視点から見るとかなり日本に対し失望してしまいます。抗日運動がなくならないのは当たり前だと思います。鉄路博物館の所で話した通り、私たちが原爆を見ると悲しくなるのと同じで、日本の立場からみるとアメリカに対し失望します。やはり歴史は両者の立場を見てから向き合って考えることが大事と改めて思いました。このような敵対関係にあったとしても、内山書店のように日中友好があるという良い点が見られました。残り一か月半ば、もっとこのような良い点も探っていきたいです。

FK

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