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鴨台盆踊り特集 【第5回】
第9回 鴨台盆踊り
生身のやりとりが盆踊り実現のカギ
第3回・第4回・第5回担当教員 弓山達也 (東京工業大学教授/大正大学非常勤講師・前同大学教授)
1. 単独授業での運営は第3回から
-盆踊り担当教員になった経緯を教えてください。
盆踊りの運営は、今みたいに「サービスラーニング」のような授業ではしていなかったんです。全学対象副専攻で、第1回、第2回の盆踊りを運営していたNCC(Next Community Course)が縮小されることになり、今後どのように盆踊りを運営するのかという話になった時、当時私の担当していた「フィールドワーク」の授業内容を急遽変更して、盆踊りの運営をすることになったというのが担当するに至った経緯です。
鴨台プロジェクトセンター学生スタッフとして募集をしたところ、そのほとんどが1年生だったんです。経験もないし経緯も知らない1年生と一緒にどのように作っていくのかと悩んでいた矢先、この授業を受講していた7名の上級生が偶然盆踊りを経験したことがあったので、それぞれの班のリーダーに任命しました。ですから、第3回は大学に入ったばかりで盆踊りをみたことない、やったこともないという人たちが中心でやっていたという記憶がありますね。
-担当教員としてどのように指導されていたのですか?
各班の役割分担表を作成し授業で毎回配り、各班から報告を受けて、できたのにはチェックを、できていないのにはなぜできていないのかを聞いていって、最終的に全部チェックがつくようにするという進捗管理をしていました。
また、大学の行事として行うとなると、主催が授業単位ではなく大学になり、お金の使い方なども厳格に執行する必要が生じました。ですので、備品をレンタルしたり買ったりするのに予算表が必須となります。ですので、進捗管理に加えて予算管理もしました。
他にも商店街や地域の方々との関係作りやその対応、ポスター等を使用しての広報をしていました。ですので、実は第1回、第2回は、私は運営の中心ではなかったんですけど、第3回以降は運営の中心にいた先生が行っていた役割を引き継いだ感じですね。
総合プロデューサーで発起人の塩入法道先生は、どちらかというと法要や盆踊りなどを担当されるので、無意識的に役割分担がありました。学生の指導や対応、地域との関係など、鴨台盆踊りの行事自体の全体的な運営・事務は私が担当していました。
2. 子どもが激増した第3回・第4回・第5回
-第3回の開催の様子はどのようなものでしたか?
本番の風景事態は今とあまり違わないと思います。ただ、今の盆踊りになくて当時あったのは、3号館の前で本格的な施餓鬼法要を行っていたことですかね。当時は太鼓も迫力があり目立っていてすごくかっこよかったです。あと、7号館の1階のプレゼンテーションカフェで地域の方向けのお盆の講義をやっていました。第3回は、塩入先生が絵解き仏教の掛け軸を飾って仏教の講義をされるなど、アカデミックな点に力をいれていましたね。
-続く第4回はどうでしたか?
このときから櫓の上で太鼓を打つようになりました。大きく変わったなと感じたのは、親子連れの来場者数が増えたことですかね。
当時、「増田寛也レポート」といって「地方消滅論」が発表されて、東京23区の中で唯一豊島区がその対象としてあげられました。そこで大学としては、少子化を見据えて子どもが楽しめる行事にすることが急務だと考え、子どもをターゲットにすることにしました。それから、小学校と幼稚園への広報を強化したところ、本当に多く家族が来場してくれました。
-先生が最後に担当された第5回はどうでしたか?
第5回の日程が七夕の前ということで、短冊を子どもに渡して「笹の葉に吊るして当日飾るから来てね」というのをやってみました。正直そんなことで子どもたちが来てくれると思わなかったのですが、「自分の短冊どこにあるんですか?」とお母さんが子どもと一緒に来てくれたんです。そのおかげか、前年と同じように子どもが多かったですね。
しかし、第5回は2日間とも終日雨だったんです。第3回も第4回も決して天気は良くなくて、小雨でもなんとかできるかなと思って決行していたんです。なので第5回は終始大雨で結構ショックでした。
太鼓の演奏だけは建物内で実施すると授業ができなくなるので外で演奏してもらいました。法要、子ども向けの出店などは3号館の中で行いました。一方で、屋内で盆踊りをしたことで密度がぎゅっと濃くなり、まったく寂しいというのはなかったです。結果として、初めて3号館の中で実施したのですが、中でも盛り上がる盆踊りができるというのがわかったので良かったですね。
とても印象に残っているのは、2日目の盆踊りが終了する頃にパッと雨が止んで「いまだ! 外でやろう!」となり、踊りながらみんなが表に出たことです。あれは何か感じましたね。
3. 苦労した連絡手段
-弓山先生が、学生と接するときに苦労したことは何ですか?
2013年頃から学生がPCでメールを見ることがほとんどなくなり、スマホで連絡のやり取りをするのが一般化するんですよね。私のパソコンから送ったメールがフィルタリングで届かないということも頻繁に起き、伝えるべきことが伝わっていないという状況がありました。週に1回授業がなかったらどう連絡とってたんだろうというぐらいに、学生とどんどん連絡が取れなくなっていきました。
ですので、もっとも苦労したのは学生とのコミュニケーションが難しくなったことですね。当時は通じると思っていたので、通じなかったのがもどかしかったです。
-外部の方とコミュニケーション取るときに配慮したことは何ですか?
大学周辺の教育機関との関わりが増え、その際の服装や時間を守るなどのマナー、短冊を書くことに対する子供のプライバシーに関して非常に注意しました。最初は勝手がわからなくて、実は第4回の準備の際に、学校の先生から保護者当ての手紙がないと配布できない、子どものプライバシーはどう考えてるのかを明確に示してもらわないと困るということを伝えられ、第5回にはしっかりと書面を作って学校に持っていくとうようなことをしました。
他にも、第4回から学生の出店が多くなったことにより学生の参加者が増えた一方で、トラブルも増えました。説明会を実施しても来なかったり、機材の確認メールやアンケートをとっても答えてくれなかったり…。学生間のやり取りがとにかく大変で、出店の担当をしていた学生さんは落ち込んでいたときもありましたね。
対応する数も多すぎて、個人間のLINEのやり取りの中で情報が蓄積できず、関係が悪くなるというのが何度もありました。重要なものはプリントアウトして、ファイリングして持たないとダメだと思いましたね。
4. 盆踊りが終わった後も大事!
-盆踊りで最も印象に残っていることを教えてください。
やはり第5回で雨が降ったことが印象的でしたね。実は雨が降ったときの地割りを考えていなかったんです。急遽雨が降ったので、3号館と5号館の間に店を置くようにするというのはその場で考えてやりました。なので、本当に大変だったというか、身心ともに疲れました。当日2日間は本番が終わった後、座ることもできなかったくらいです。本当に気をもんだというのはこういうことですね。
あと、学生間で揉めることが多かったなぁと。学生同士が揉めたときは火消しに回るんですけど、相手に対して何が間違ってるとはっきり言ってしっかりと議論する学生が毎年何人かいました。しかし、特にこういうイベント運営では、あやふやにしたり事なかれ主義で過ごすのは最もやってはいけないことなので、頼もしいと思ったりしました。
-今の盆踊りに対して思うことを教えてください。
Facebookなどで報告を見るんですけど、学生達が楽しそうにやってるなと思いますね。また、当日遊びに行くと、当時手伝ってくれていた学生が同窓会のような感じで来たりするので嬉しいです。
当時解決できなかった課題があるんです。大正大学の盆踊りが終わった後に、地域の方から「ぜひお祭りに参加してください」と声をかけていただくことがあります。しかし、そこに行ったら僕しかいない。行かなきゃいけないという訳ではないけど、つぼみの会や鼓友さんあっての鴨台盆踊りなので、お礼として顔を出してもらいたいな、と。
あと、せっかく学内で多くの人の目にとまる仏教行事をやっているので、仏教系大学として学生たちには深く関わってほしいと思います。さらに、学祭と並んで集客できる行事でもあるので、この日は浴衣や甚平を着るなどして先生方や職員さんたちにも、当事者性を持って盛り上げもらいたいですね!
-最後にいまの学生に対して一言お願いします。
PCやスマホの中で物事が動いてるんじゃなくて、生身のやり取りが問題解決や頭の中で考えていることを実現させるのにすごく有効だと思うんです。メール一本で人が動くなんて思ってはいけません。足を運んだり直接話をしたりして、イベントの実現に向かってほしいです。そのことを、盆踊りを通して手応えを得てもらいたいです。
聞き手・記事
心理社会学部臨床心理学科3年 石橋郁乃
第9回鴨台盆踊り 人と霊輪になる
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問い合わせ先 大正大学 教務部