地域貢献・国際交流「まち」が大学になる、大学が「まち」になる
鴨台盆踊り特集 【第8回】
第9回 鴨台盆踊り
大正大学の社会貢献活動の系譜 昭和の盆踊り
これまで平成23年に再開された大正大学の盆踊りに関して振り返ってきました。「再開」ということは、実はそれ以前に盆踊りはあったということ。そうなんです、昭和でも大正大学は盆踊りを開催していたのです。それでは最後に、昭和の盆踊りの様子を写真で紹介します。大変貴重な資料でもありますので、ぜひご覧ください。
昭和におこなわれていた盆踊りは、実はあまり記録が残っていないため実態がわからないというのが現状です。上記の写真は、令和8年(2026)に創立100周年を迎える大正大学の百年史編纂室にうかがったところ、昭和40年代に撮影されたものだそうです。
盆踊りは、現在でも活動を続ける「児童研究部」が中心となって運営していました。しかし、いつから開催されていたのかは今のところわかっていません。また、昭和40年代に活発化した学生運動が原因となって、以後開催されなくなったとも言われています。この顛末はもう少し詳しく調査する必要があるでしょう。
昭和63年4月に発刊された大正大学の広報誌「鴨台」No.13を見ると、児童研究部の当時のOB会会長が盆踊りの回顧録を書いています。「部員の配属されている土曜・日曜学校約十園ほどの合同大会(花まつり・盆踊り・学園祭・成道会)などの、行事の計画運営・学友会や外部からの資金集めや会場(中略)の交渉の苦しみを味わいました」。このOB会長が卒業したのは終戦直後です。ということは、昭和20年代には確実に盆踊りが行われていたことがわかります。また、「盆踊り大会や学園祭には地元商店街や日曜学校の父兄の応援のもと地元の人に楽しまれ期待され、正大生と地元の方々との密接な交流がなされた事も良き思い出となっています」と述べていることから、当時から地域密着・地域振興を志向した盆踊りを開催していたようです。
私も以前、大正大学の鴨台花壇カフェでコミュニティカフェを開催した際に、地域の方から昭和の盆踊りの話を聞いたことがあります。その方は、以前から西巣鴨に住んでいる方で、子どもの頃は夏になると毎年盆踊りに行っていたとおっしゃっていました。当時は、現在工事中の場所一帯がグラウンドで、そこに櫓が建ち、その周りを輪になって踊り、それはそれはたくさんの人で賑わったとのことでした。たしかに1枚目の写真左に、広場に櫓が建っているのを確認できます。
他にも色々な場面で、地域に住む方々から昭和の盆踊りの話を聞きます。それくらい地域の方にとっては昔から根付いていたイベントだったのでしょう。鴨台盆踊りも一角を占める「巣鴨三大盆踊り」のうち、巣鴨駅前ロータリーで開催される巣鴨盆踊り大会は昨年で第41回、高岩寺で開催される巣鴨納涼盆踊りは昨年で第34回ということを考えれば、(一概には言えませんが)それらよりも相当以前から巣鴨の盆踊りとして定着していたと推測できます。今後も継続して昭和の盆踊りにおける実態の解明に努めたいと思います。
簡単ではありますが、昭和の盆踊りを振り返りました。大正大学の盆踊りはやはり地域密着・地域振興を目的とした「社会貢献活動」の一環であったと考えます。一度は中断されたとはいえ、平成に再開され令和に続いていく鴨台盆踊りも、「社会貢献活動」の理念を忘れずに実施し、巣鴨地域の大事な交流の行事にしていく所存です。
第9回鴨台盆踊り担当教員
人間科学科 齋藤知明
第9回鴨台盆踊り 人と霊輪になる
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