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綜合仏教研究所
【開催御礼】公開講座「思想史の中の最澄・徳一論争」
綜合仏教研究所では、12月12日(水)に、花園大学 教授の師 茂樹先生を講師にお迎えし、公開講座を開催いたしました。以下、伊久間 洋光 研究員の報告レポートです。
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平成30年12月の綜合仏教研究所公開講座では、花園大学教授の師茂樹先生に「思想史の中の最澄・徳一論争」と題しご講演を賜りました。
平安初期の最澄と徳一の論争は、日本仏教史上最大の論争として知られています。従来、この論争は、一乗思想と三乗思想、一切皆成仏と一分不成仏などの、天台宗対法相宗の論争という見方がされてきました。しかし近年、師先生のご研究を始めとする成果により、この論争がより広範な思想対立を背景として成立したものであることが明らかになってきています。
今回の講座では、師先生はまず、最澄の著作を検証し、最澄と徳一をめぐる奈良仏教の人物の相関関係を詳細に示されました。そして、最澄が、鑑真のグループや大安寺三論宗のグループと関係していることを示されました。さらに、『大仏頂経』の真偽問題や年分度者の奪い合いなど、当時の奈良仏教において三論宗と法相宗との対立があったことを示されました。また最澄と徳一との論争を検証し、両者が、法相宗による中主(≒法相宗)対辺主(中観派に代表される法相宗に対立する者たち)という枠組みを自身の論争の対立構造として受け入れていたことを示されました。
以上のことから、師先生は、最澄・徳一論争が当時の三論宗と法相宗との対立を背景としたものであることを示されました。そして、徳一から見て、最澄がその対立の担い手であった鑑真のグループや大安寺三論宗のグループの一員であったことが、最澄・徳一論争の一因であったことを結論されました。即ち、最澄・徳一論争は単純な天台宗対法相宗という構図ではなく、当時の日本仏教の枠組みに従ったものであったということを示されました。
以上のように、今回の講座において、師先生は、既に評価が定まった事柄に対し、同時代の思想・社会的背景を踏まえて再検証することで、思想史の中の新しい位置付けを図るという方法論をお示し頂きました。師先生に改めて深く感謝申し上げます。
***********************************ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
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綜合仏教研究所事務局