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綜合仏教研究所
【開催御礼】公開講座「初期仏教の研究方法」
綜合仏教研究所では、11月27日(水)に、東京大学東洋文化研究所教授の馬場紀寿先生を講師にお迎えし、公開講座を開催いたしました。
以下、平林 二郎 研究員の報告レポートです。
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綜合佛教研究所では,11月27日,東京大学東洋文化研究所教授の馬場紀寿先生を講師にお迎えし,公開講座「初期仏教の研究方法」を開催しました.
馬場先生のご講義では19世紀前半から現在までを「仏教と仏教学の誕生」,「制度と言説の形成期」,「言説の継承・発展期」,「ガンダーラ写本の発見」という期間に区切り,各時期に初期仏教がどのように研究されたかをお教えいただきました.
まず、「仏教と仏教学の誕生」.日本人であれば,義務教育などで一度は仏教の思想を学んだことがあると思います.馬場先生は最初に,この仏教(Buddhism)という考えが西洋で約200年前に考え出されたものであるということを説明してくださいました.
Buddhismという観念が西洋で研究されるようになったのは19世紀前半であり,西欧で系統図(Stemma)思考が進むとともに,仏教学も発展していきました.この時期で特に重要なのは,ビュルヌフ(Eugène Burnouf)によってアジア各地の仏教がサンスクリット文献を中心とする「北方仏教」とパーリ文献を中心とする「南方仏教」に分けられることです.ビュルヌフによるこの2つの系統分けは,後の仏教学研究に大きな影響を与えました.
そして,「制度と言説の形成期」.この時期に研究されたのは,ビュルヌフによって分けられた北方仏教と南方仏教のどちらが本当の仏教であるのか,あるいは,サンスクリット語とパーリ語のどちらをブッダが使用していたのかという問題についてでした.
この時期を代表する学者であるチルダース(R. C. Childers)は,南方仏教が本当の仏教であり,ブッダはパーリ語(=マガダ語)を話していたと考えていました.馬場先生は,このチルダースの考えに当時の社会状況が大きく影響していることをお教えくださいました.
チルダースは官僚としてスリランカに駐在しており,その際に現地の僧侶からパーリ語や仏教の思想を学んでいました.また,当時の国民国家というイデオロギーから地方語を重視する風潮があり,それらの影響を受けてチルダースは南方仏教研究に勢力を注いだということでした.
この他,南條文雄・高楠順次郎など西欧に留学する日本人が出てきたのもこの時期です.彼らはオックスフォード大学のマックス・ミュラー(Max Müller)に師事し,仏教の研究方法を学び,現在の日本のインド学・仏教学の基礎を築きました.その後,高楠順次郎の弟子である木村泰賢は漢訳仏典・パーリ仏典に共通する内容について研究を進め,宇井伯寿たちは阿含・律に先行する伝承について研究を進めました.
さらに,続く「言説の継承・発展期」は,膨大な漢訳の阿含経を駆使して漢訳仏典とパーリ仏典の比較研究を進めた時期と区分するとのことでした.1929年に世界恐慌が起こり,南條文雄・高楠順次郎や,木村泰賢・宇井伯寿のように海外に留学することができなかった研究者たちが日本で研究を進め,現在の初期仏教研究の枠組みをつくったというのが,この時期の特徴であるようです.
馬場先生は,この時期を代表する研究者として水野弘元を挙げていらっしゃいました.水野弘元は木村泰賢の研究を踏まえ漢訳仏典・パーリ仏典に共通する内容を研究し『原始仏教』(平楽寺書店1956)を出版し,また,宇井伯寿などの研究を踏まえ「大乗経典と部派仏教との関係」(宮本正尊編『大乗仏教の成立史的研究』,三省堂,1954)という研究成果を出版しています.
「大乗経典と部派仏教との関係」は九分経と十二分経についてパーリ仏典,大乗仏典を網羅的に研究し,系統ごとに分類した論文です.この研究成果が,九分経と十二分経は実際の経典ではなく,経典の様式であり,口頭で伝えられていたものがある段階で阿含として編纂されたという前田惠学『原始仏教聖典の成立史研究』の結論を導くベースとなっていたことを馬場先生は高く評価されていらっしゃいました.
1980年代になると,阿含や律がまとめられる以前にスッタニパータなどの韻文仏典があったという荒巻典俊「原始仏教経典の成立について—韻文経典から散文経典へ—」(『東洋学術研究』,1984)などの論文が出版され,韻文仏典と散文仏典の関係について研究が進められるようになりました.
最後に「ガンダーラ写本の発見」に起因する時期です.1989年の冷戦終了後,アフガニスタンはその影響を受けて不安定な状況となりました.そうした時期に,現地の人があまり近づかなかった洞窟から多数のガンダーラ語で書かれた写本が発見され,ロンドンで売りに出されました.これらの写本の中には現存する最古の仏教写本が含まれています.木村泰賢など多くの研究者はアショーカ王以前に律の本体部分や阿含などが成立していたと考えていました.しかし,アフガニスタン写本には四阿含や三蔵といった集成をなした痕跡が見られません.
馬場先生は上記の問題について,「アショーカ王以前に律の本体部分や四阿含はあったが,口頭で伝承されており,書写されたのは後代になってからであった」という考えと,「書写がはじまってから(書写とともに)律の本体部分や四阿含がまとめられていった」という2つ考えがあるとお教えくださいました.現段階ではどちらかを確定する根拠がないため,両方の可能性を踏まえて初期仏教を研究していかなければなりません.
仏教学の誕生から現在まで初期仏教がどのように研究されてきたのかを振り返る馬場先生の講義は非常にわかりやすく,今後の研究に役立つものでした.また,本講座の最後におっしゃっていた,先行研究を仏教の単数形の起源に遡るものと捉えるのではなく,紀元前の仏典・複数形の仏典を復元するものとして捉え直すという視座は初期仏教研究を進める際の指針となるものでした.
ご多忙のところ貴重なご講義をいただいた馬場先生に改めて感謝申し上げます.
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ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
綜合仏教研究所では、今後も研究の第一線で活躍されている先生方を講師としてお招きする予定です。予約不要・参加費無料ですので、ぜひふるってご参加ください。
綜合仏教研究所事務局