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綜合仏教研究所
【開催御礼】公開講座「近代日本仏教史上の村上専精」
綜合仏教研究所では、12月12日(木)に、東北大学 准教授のオリオン・クラウタウ先生を講師にお迎えし、公開講座を開催いたしました。
以下、三浦 周 非常勤講師(大正大学)の報告レポートです。
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「言語」と「歴史」によって形成された日本の近代仏教学において、言語面では南條文雄、歴史面では村上専精(1851-1929)が嚆矢といえるでしょう。村上といえば大乗非仏説(『仏教統一論』)が想起されるかも知れませんが、明治27年(1894)に境野黄洋・鷲尾順敬らと創刊した『仏教史林』は、日本初の仏教史学雑誌であり、高い同時代評価を得ています。
ただ、村上の業績をみると、①伝統的な漢学・宗乗余乗(唯識・因明など)、②日本の道徳的基盤としての仏教、③歴史的な仏教、④女子教育(修養)、⑤宗学(真宗)と、興味関心・研究対象が変転しています。これを思想性の乏しさとする村上批判もありますが、そうではなく「同時代的な需要への応答」「仏教の再編成」と読むオリオン・クラウタウ先生(東北大学)をお招きし、特に②③についてご講演いただきました。
現在、仏教が宗教であることに疑念をもつ人は少ないでしょう。ただし、「仏教」「宗教」は明治期に形成された概念です。クラウタウ先生によれば「仏教」=「宗教」の是非をめぐる論争があり、「宗教」:情感、「哲学」:智力とみた場合、「仏教」を「宗教」ではなく「哲学」だとする主張もあったそうです。また、「仏教」=「宗教」とする場合でも、ヨーロッパのオリエント学をうけて「仏教」の中心概念を涅槃とする主張と、進化論・社会ダーウィニズムをうけて大乗を小乗の発達段階とし、真如を中心概念とする主張があり、その社会性の有無を指標として論争がなされたといいます。憲法制定や内地雑居に向けて「国民道徳としての仏教」が焦点化された理由です。ここで注意すべきは、既に仏説・非仏説は論点ではなく、大乗非仏説が前提とされていた点です。
こうした時代背景をもとに、クラウタウ先生は村上の論を「仏説に対する仏意」とまとめます。仏意とは、釈迦の言わんとするところ、教説の歴史的展開であり、ゆえに村上は歴史研究という方法論をとります。そのうえで、上座部系のテキストから再構成された「仏教」のみを「仏教」とするヨーロッパの文献学者(その意を汲む日本の学者)、あるいは社会・国家そのものに向けて日本仏教こそを「仏教」だと主張したといいます。
最後に、こうした論争やロマン主義(クラウタウ先生はリバース・オリエンタリズムと表現)的な神人合一思想をみる際、鍵概念となるのが「涅槃」であり、ここから日本近代仏教思想の問い直しが可能なのでは、という提言をいただきました。
貴重な講演を賜りましたクラウタウ先生に厚く御礼申し上げます。
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ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
綜合仏教研究所では、今後も研究の第一線で活躍されている先生方を講師としてお招きする予定です。予約不要・参加費無料ですので、ぜひふるってご参加ください。
綜合仏教研究所事務局