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仏教文化遺産コース

祝 仏教文化遺産コース ブログ更新

仏教学科 仏教文化遺産コースのブログにようこそ!
来年度から新設される仏教文化遺産コースです。

4月に新入生と出会うのを楽しみにして、準備を進めています。
仏教学科は仏教学コース・国際教養コース・宗学コースがあります。
それぞれにブログがありますが、学科全体の情報もそれぞれに更新することがありますので、全てのチェックもお願いします。


 (長澤 昌幸先生)


今回は仏教文化遺産コース 長澤昌幸先生が住職をされているお寺についての紹介をします。

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ここから長澤先生の投稿になります。
 
太古の昔、日本三大大仏のひとつ弥勒仏を安置し、逢坂の関を有する大寺院であった近江関寺は、現在の滋賀県大津市逢坂周辺に存在したと伝えられています。

『関寺縁起』には、10世紀頃の大地震により関寺は大規模な被害を受け荒廃し、その惨状を目の当たりにした恵心僧都源信は復興を発願し、弟子の延鏡が事業を行ったと記されています。復興作業の際、東山清水寺から1頭の牛が資材運搬などのために贈られました。次第に、この牛が迦葉如来の化身との噂が広まり、連日、参詣する人々であふれ、万寿2年(1025)、時の権力者藤原道長、源倫子、藤原賴通なども参詣したと伝わっています(『栄華物語』『今昔物語集』など)。


関寺復興後、その牛は亡くなり、亡骸は境内に埋葬され、藤原頼通により墓石が建立されました。その墓石が現存する日本最大最古の石塔「関寺の牛塔」であると伝えられています。

その後の関寺は、延暦寺と園城寺の抗争や戦国時代の戦乱により衰退し、歴史の表舞台から姿を消してしまいました。

時宗宗祖一遍上人が遊行の最中、関寺に逗留し踊り念仏を修したことが『一遍聖絵』第7に描かれています。このことが縁となり、16世紀頃、関寺の一隅には、時宗寺院として長安寺が建立されました。この長安寺こそ、現在、私が住職を務めている寺院です。

住職就任当初は、雑木に囲まれほとんど陽が差さないため、カビ臭いままの建物や雑草すら生えない境内でした。それから14年、様々な人々のご協力により、雑木伐採など境内整備が進んでいます。今では、大津駅から西に眺めると目に飛び込む大銀杏や紅葉に誘われ、参拝する人も少なくありません。

また、この地は、謡曲『関寺小町』(伝 世阿弥陀仏 作)ゆかりの地としても知られ、芸能守護として信仰を集めている関蝉丸神社も近隣にあり、仏教芸能を肌で感じることができます。

さて、この寺院の住職に就任し関寺の歴史に触れ、謡曲や能などの伝統文化、地域にある関蝉丸神社との関わりから勧進聖、唱導や説教など、自分自身の研究分野を時宗学から仏教芸能・文化へと拡大することができました。

文献などを中心に研究する楽しさや大切さを大学で学びつつ、実践の場で新たな発見ができたことは、私自身とても幸せなことだと感じています。

 

長安寺HP https://sekidera-choanji.com/

 

 

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