学部・大学院FACULTY TAISHO
仏教学コース
水曜勤行の様子2(真言智山担当)
仏教学科副手 谷萩広樹
前回のブログにもありましたように、今年度の秋学期から水曜礼拝が再開され、毎週、水曜日の昼休み、12時30分から13時の間に、礼拝堂の本尊阿弥陀如来のご宝前で行われています。この水曜礼拝は、大正大学の設立母体である天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、浄土宗に所属する学生たちが中心となって、毎週、交替で行っています。
10月6日に行われた水曜礼拝では、真言宗智山派に所属する学生が担当して、「光明三昧法要」を勤修いたしました。光明三昧法要とは、光明真言に節をつけて唱えながら、行堂する法要です。
この法要で唱えられている光明真言は、不空訳の『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』に基づくもので、真言宗智山派では、「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」と唱えています。この経典によれば、光明真言を読誦すると、あらゆる罪障を除くことができ、死者のために唱えると、極楽浄土に往生できるといわれ、日本では、中世から、この光明真言への信仰が盛んとなって、現在でも、様々な場面で唱えられています。
真言宗智山派の総本山である智積院では、この光明三昧の法要が、毎年8月31日に、百僧供養と称して、百人にものぼる多くの僧侶たちによって勤修されています。この法要は、光明真言の力によって、すべての亡くなられた方たちを供養する総供養法要となっています。
今回は、昼休み中の30分という時間的な制限があるため、智積院で行われているものを省略した形で行いました。その法要の流れは、次のように行いました。
まず、学生たちが黒衣を身につけて、行列を組んで入堂し、阿弥陀如来のご宝前に三列に坐りました。
続いて、この法要の導師をつとめた、智山学生会の会長の合図で、奠供(てんぐ)が唱えられます。光明三昧の法要で、導師は、本来、光明真言法を修すことなにっていますが、学生の導師ということもあり、他の学生たちと一緒に唱えています。
そして、奠供とは、本尊を供養するものを奠(そなえ)ることを意味し、本来は、四智梵語と呼ばれる讃など、三つの讃を唱えて本尊を讃歎しながら、本尊に供物を捧げることです。しかし、省略するときには、四智梵語だけを唱えて本尊を讃歎することになっているため、今回も、四智梵語を唱えています。
奠供の次に、いよいよ光明真言を唱え始めます。最初に唱える人が経頭と呼ばれ、奠供の終わりに、一人だけ立ち上がって、本尊の前に進み出て、唱え始めます。
経頭が唱え始めると、他の人も立ち上がり、一緒に唱え始め、堂内を一列になって、回り始めます。これを行堂といいます。光明真言の節は、初重・二重・三重といわれる三段階の声の高さで唱えることになっています。初重が一番低い声、三重が一番高い声で、それぞれ唱えることになっています。
光明真言を唱え終わる頃に、元の坐に帰り、唱え終わると坐って、後讃を唱えます。後讃とは、法要の終わりに本尊を再び讃歎し供養することで、今回は不動讃を唱えました。
讃の終わりには、奠供の場合もそうですが、「はち(→漢字はこちら)」といわれるシンバルのような楽器を鳴らします。
後讃が終わると、大正大学の本尊阿弥陀如来を讚えるため、阿弥陀如来の真言や、弘法大師の宝号などを唱えて、法要を締めくくりました。
水曜礼拝に参加した学生たちの感想を紹介します。
- 水曜礼拝の法要を通して御本尊様を感じることができました。また光明三昧を皆で合わせて行うことができ御本尊に向かう一体感を感じることができました。
- 授業の合間での練習時間は少なかったが、その中でもこれまでの経験をもとにして、まとめあげることができた。
- 普段は多くても二、三人で法事等に参加しているため、今回の水曜礼拝のように多くの同輩と声を出すのは、未だに新鮮で、フィードバックする事が多く見つかりました。
- 水曜礼拝に於いて、光明三昧を久しぶりに勤修しました。本番では習礼以上のすばらしいものになったかと思います。ただ少々失敗も見られたので、点数は70点くらいです。
- 今回の礼拝堂で行われた水曜礼拝では光明三昧で大きく動きました。列の幅に気をつけながら唱えました。また、初重、二重、三重の高さを考えて唱えていたので大変でした。
- 今回は光明三昧を勤修した。光明三昧は普段あまりやらないのでもう少しお客がいればいいなと思った。
- 今日は、私たちが普段お唱えしているお経を披露することができ、そのような場を設けていただいたことに感謝しています。しかし、とても残念だったこともあります。須弥壇にはほこりがたまり、仏器なども汚れていました。このような法要をする際には、もっと前から準備し、しっかりと荘厳すべきだったと後悔しております。
学生たちからの感想にもあるように、まだ、それほど知られていないせいか、法要に参加してくれる人が非常に少ないのが現状です。諸宗派が交替で行っている水曜礼拝は、30分という短い時間ではありますが、普段、目にすることができない、それぞれの宗派の特徴ある法要となっており、貴重な体験となるものと思います。みなさまのご参加をお待ちしております。