学部・大学院FACULTY TAISHO
仏教学コース
仏教学科 智慧の話1林田康順先生
仏教学科ブログ・智慧の話(ちえのわ)にようこそ!
大正大学仏教学科ってどんなところ?同じキャンパスにいても、仏教学科に所属していても知らないことはあると思います。知れば、楽しいこと便利なことがたくさんあるはず!仏教学科をもっと身近に感じて頂くために、教員や学生やその他を紹介していくブログをはじめました。
さて、6月23日のオープンキャンパスで、わが仏教学科の模擬講義を担当した榊義孝先生が、「袖すり合うも多生の縁」とは仏教の用語が使われていることわざですよ!とお話しされました。
多生とは何度も生まれ変わるという仏教の言葉、縁というのは因縁のこと、結果を生じる直接的な原因にたいして間接的な原因という仏教の言葉です。つまり、袖がほんの一瞬すれ合っただけの人でも、前世では親子や兄弟であったかもしれないない、だからこのご縁を大事にしたいということだそうです。
日本人はずっと昔から仏教の考え方を日常的に取り入れていたことが分かります。
(さらに詳しくは勝崎裕彦学長著、日本放送出版協会より出版されている『ことわざで学ぶ仏教』199頁へGO!)
このブログにクリックしたのも多生の縁ということで、続けてご覧ください。1話は林田康順先生へのインタビューです。
先生の専門は法然浄土教と浄土宗学、学部1年生から大学院まで多くの講義を展開されています。
夏休みには夏期研修道場の一つ、古都研修を長く担当されています。奈良・京都・鎌倉などの寺院を参拝し、特別講師を招きじっくりと日本の仏教文化を満喫するものです。一般には公開していないところも、大正大学の方にならと特別に見せて頂けることも多く、キャンセル待ちがでるほどの人気。もちろん林田ファンも多く、1年から4年まで、さらに卒業しても参加し続ける方もいます。
そんな学生さんを先生はどんなふうに感じているのでしょうか?
「仏教学科の学生さんは、とてもまじめで、かつやさしいですね。仏教を学ぼうと思っている学生さんが、ふまじめで、道に外れ、意地汚いはずもありません。ただ、どちらかというと少し控えめな学生さんが多い印象があります。」
また、仏教学科の特徴として、僧侶となる人材を育成していくことがあると思いますが、先生自身は、どんな学生、またどんな人になってほしいと思って教育しているのでしょうか。
「仏心(ほとけごころ)を発信できる学生さんになってほしいと思います。せっかく仏教を学んでも、それが自分一人の理解にとどまっていたのでは、世のため、人のために尽くす大乗仏教の真精神には沿いません。大正大学仏教学科を卒業した学生たちが日本全国に広がって、努力を重ねていってほしいです。」
この気持ちは、僧侶となる人ばかりではなく、仏教を学んだ全員に対しての願いということですね。
先生は仏教学科長をされています。学科長は教員と学生を束ねる立場だと思いますが、どんな学科をつくろうとされているのでしょうか?
「言うまでもなく、大正大学は天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・浄土宗という異なった4宗が1つの大学を作るという、世界で唯一の仏教総合大学です。そういった意味からも、じつにバランス感覚に富んだ、多彩なカリキュラムが用意されていると自負しています。学生がそれぞれの立場を踏まえつつ、大学生活を満喫し、卒業してからも、出家・在家を超え、宗派を超えて学友としての絆を深めています。こうした仏教学科の伝統を継承し、広く仏教の教えを学び、ブッディストマインドに富んだ学科にしようとしています。」
ある宗派に所属していても、他宗の講義を受講することが奨励され、宗派に所属していない一般の学生も様々な宗派の特徴ある講義を受講でき、単位も認定される。在家(一般)の人からいえば、お坊さんのお友達がたくさんできる、出家する人は他宗の僧侶を友人ができる、まさに仏教学科ならではの特徴です。
最後に、先生が考える仏教の良いところをお聞かせ下さい。
「インドに発祥した仏教の教えは、その柔軟性を活かし、仏教が伝わったそれぞれの国に生きる人々の意識を受けとめ、あるいは、その国にもともとあった宗教と調和して、多様な形態を現出することとなったのです。すなわち、中国や朝鮮半島には中国や朝鮮半島の仏教が、東南アジアには東南アジアの仏教が、そして、日本には日本の仏教が育まれ、独自に展開していったのです。ですから、仏教経典の分量は実に膨大で、経典が説く世界観も多様性に富んでいるのです。そして、それぞれの信仰する世界観が180度違っていようとも、柔軟な教えを基調とする仏教徒は、お互いに敬い合い、手を携えて進むことができるのです。これほど柔軟な宗教は仏教をおいて他にないことがお分かりいただけることでしょう。」
このタイトルの智慧という言葉、これも仏教の言葉で、「すべての道理を明らかにし、迷いを絶滅し、さとりを成就しようとする精神のはたらき。」(『日本佛教語辞典』平凡社)という意味です。
一見すると、字も意味も難しいと思いますが、解釈しようとする人によって、様々な意味を持たせてくれる言葉ではないでしょうか。
難解ですが奥深い仏教、その仏教を学問として研究している、わが仏教学科の話をこれからも続けていきたいと思います。
玩具・知恵(ちえのわ)の輪を解くように、「迷いを絶滅し、さとりを成就」する一つの手立てとしてくだされば幸いです。
これからも、お気軽にアクセスしてください<m(__)m>
仏教学科助手 池田そのみ