学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

仏教学コース

【無憂華 プロジェクト】田中杏珠さんからのメッセージ


田中 杏珠
(たなか あんじゅ)
2015年度卒/仏教学科宗学コース(真言宗豊山派)
真言宗豊山派 千光寺 副住職 

早稲田大学・京都大学大学院を経て、2014年に大正大学へ編入学。
2016年、千光寺副住職となる。
2018年度大正大学臨床宗教師養成課程を修了し、現在、関東臨床宗教師会事務局長。


新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
未だ学校にも行けず、同級生にも会えず、これからの学生生活がどのように展開していくのか、不安な気持ちもあると思います。
せっかくの門出を、このような形でスタートしなければならないのは本当にお辛いですね。

在校生の皆さん、進級おめでとうございます。
もっとも、4年生は、就活も含めて、最後の大学生活がこのまま終わってしまうのではないかと不安な気持ちがあるでしょう。

いずれの立場に思いを馳せても、この未曽有の事態に接した皆さんにかける言葉がなく、このお話をいただいたとき、誰も経験したことがないこのような状況下で、私が卒業生として皆さんに何を伝えればよいか、とても悩みました。

私が属する宗派は真言宗豊山派なので、卒論はお大師さまの著書『声字実相義』を題材にしました。
私の理解では、この著作は、「この世のすべての音や文字が、大日如来のコトバです」という内容です。
しかし、修行を積んだ僧侶でも、雨音や鳥の声を大日如来の説法だと感じる人はそれほど多くないでしょう。
ただ、そういうお大師さまの著作があるんだ、と知っていれば、たまにそれを思い出して、色々なことに意味を見出すこともできるのです。
つまり、「目に映る景色は、見る人の心次第」だということです。

同じ景色を見ていても、どこに注目するのか、どのように解釈するのか、受け取った人の考えや心によって、全く違った意味になります。
それは同じ人でもそうです。
自分の心に余裕があるときは、いつも見ている景色でも、こんなところに花が咲いていたんだとか、夕焼けがこんなにきれいだったんだとか、そういうことに気付くこともあります。

これを今の状況に置き換えてみると、この状況を「何もかも制限されて、今まで通りの日常が奪われた」と受け取るか、「今までできなかったことに挑戦できる時間を与えられた」と受け取るかは、その人の心の在り方次第、ということになります。

先生方は立場上、勉強や読書など学業に繋がる“有益な”時間を過ごしてほしいとおっしゃるかもしれませんが、私は何が“有益”かは、その人が死ぬまでわからないと思っているので、何でもいいから何か一つ始めてほしいと思います。

私は外出できない2か月間で、猫背矯正を頑張っています。
お坊さんの姿勢が悪いのは良くないな、と思いつつ、ずっと後回しにしていました。
ストレッチと筋トレで、どこまで治るかわかりませんが、立ち居振る舞いが少しでもお坊さんらしくなればいいな、と思っています。

最後に。私はいつも「せっかく」と思って過ごしています。
「せっかく」お寺の一人娘に生まれたんだから、お坊さんになってみよう。
「せっかく」お坊さんになったのだから、臨床宗教師の勉強もしてみよう。
色んなことに手を出すので、親からよく怒られます。でも、何が後で役に立つか、誰もわかりません。

若い皆さんは、今までの常識にとらわれることなく、新しい時代を作れる人たちです。
「せっかく」コロナを体験できる時代に生を受けたのだから、これを楽しまなきゃ損です。
新しい時代へ向けての智慧をつける時間にしてみませんか?

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