学部・大学院FACULTY TAISHO
仏教学コース
【無憂華 プロジェクト】大島慎也さんからのメッセージ
大島 慎也(おおしま しんや)
2017年 仏教学研究科仏教学コース修士課程修了
浄土宗龍興院副住職・歯科医師・認定臨床宗教師
2003年 学習院大学法学部卒業
2009年 日本歯科大学歯学部卒業
歯科医師として働く中、住職である父の体調不良を機会に僧侶の道へ
2018年 東北大学 臨床宗教師養成課程修了
大正大学に通われている皆さん、初めまして大島慎也と申します。
社会に不安が広がる中、皆さんの大学生活も思うようにはなかなかいかず、ストレスもたまってきているのではないかと心配しております。
でも皆さん、考え方によってはこの時間は貴重な“回り道”の時間かもしれません。私の人生はまさに迷い迷って寄り道に回り道を重ね、ようやく僧侶の道にたどり着きました。人生に無駄な時間なんてないんだなと40歳になってようやく実感しています。皆さんにとって、この大正大学で過ごす時間は実はものすごく貴重な時間なのですが、今はあまり実感がないかもしれません。自身の将来に色々と悩むことも多いでしょう。悩みながらも毎日の少しずつの取り組みが、後々の人生に大きな意味を持ってきます。大切なのは今日という一日を精一杯取り組むことです。
私は浄土宗のお寺の長男として生まれましたが「僧侶以外の仕事も探すように」と言われて育ちました。進路に悩み苦しみながら、文系の大学を卒業後に歯科医師を目指して再受験、卒業後に歯科医師として働いていましたが、住職である父が体調を崩してしまいました。勤めていた大学病院を辞めて道場に入り加行成満しましたが、今振り返るとこの時決心し僧侶になることができて本当に良かったと感じています。信仰という面から人々の苦しみに寄り添うことができ、そして自分自身も信仰によって救われることが分かったからです。
例えば、家族を亡くした悲しみで夜も眠れない人に、医療では薬を処方して眠れるようにすることはできるでしょう。しかしその人の悲しみは薬で無くなったわけではありません。僧侶はその悲しみが少しでも和らぐようにその人に寄り添い、亡き人のためにお経をあげてご供養することができます。医師は病気を治すことは出来ますが、悲しみを癒せるわけではありません。人々のこころを癒すことはストレスばかりの現代社会で非常に重要で、「祈る」ということの大切な意味を再確認できました。私自身、子供の頃から南無阿弥陀仏と唱えていながらその深い意味に心を向けていなかったことを恥ずかしく感じたのと同時に、導いていただいたような感謝の気持ちが湧き上がってきたのを覚えています。
進路に悩み苦しみ色々とさまよいましたが結局私に最も大切だったのは僧侶としての信仰でした。お寺に生まれながら僧侶としての勉強不足を痛感し、大正大学大学院に入学して仏教学修士課程で研究をさせていただきました。すべてが僧侶という道につながっている大切な経験で何一つ無駄なものはありません。医療の経験が宗教の道に生かすことが出来ないかと思い「臨床宗教師」にも携わっています。臨床宗教師は病院や介護施設などで悩み苦しんでいる方々の所に伺い、お話を聞きながら痛みや苦しみに寄り添い、少しでもこころを癒すことができるように支援する仕事です。こうした施設での活動は、病院で働いていた経験が生きてきます。歯科医師としては患者さんと向き合う時間は十分だったとは言えませんが、今ではじっくりと向き合い宗教者としてお話を聞いています。不思議なことに歯科医師として働いていた時より患者さんに感謝される機会が多くなったように感じられます。これからの時代に、こころを癒し支える宗教者の役割は益々重要性が増していくことを臨床の現場で実感しています。
ひとつひとつは無駄な回り道のように感じていた私の人生でしたが、実はすべてつながっていてどれもかけがえの無い経験でした。若い皆さんはこれから様々悩みながら進んでいく中で、いろいろと回り道をしなくてはならない時もあるかと思います。多くの皆さんが、いまだかつてない状況の中で自身が思うように物事が進まず、不安や不満がたまっているかもしれません。出来ないことを嘆くより、出来ることを探してやったほうが楽しいです。何もしないよりは何かを見つけて取り組んだ方が面白いです。人生に無駄な事なんてなにもありません。やってみて無駄だったと感じることもあるかもしれませんが、その小さな毎日の積み重ねが後々の大きな変化になります。後々の皆さんの人生に生きてくるでしょう。今できる事を少しずつでも精一杯取り組んでみてください。きっと何年も後になって、同級生たちと笑って話せる素晴らしい経験になるかと思います。どうか皆さんの学生生活が実り多いものとなりますようにご祈念させていただきます。