学部・大学院FACULTY TAISHO
国際文化コース
「彼氏/彼女いない歴○○年」???
前回、恋愛もコミュニケーションの手段であると書きました。
コミュニケーションにはパターンがあります。
たとえば、朝会うと「おはよう」ですね。もっとも最近は大学も業界化(?)してきたのか、お昼過ぎでもその日初めて会う学生は「おはようございます」と挨拶してくれますから、「おはよう」の時間的範囲はずいぶん拡大してきているといえるでしょう。そのあとに続くのは季節や天候、最近は「暑いですね」が定番ですが、こういうコミュニケーションのパターンがなくなってしまったら、人に会うたびに何を言おうか、相当の緊張を強いられることになりそうです。
恋愛をするにもコミュニケーションのパターンがあります。どういう場面でどのような発言をするか、どのくらいの頻度で対話をするか、どのように相手に好意を伝えるか、世代や地域の差もあるでしょうが、なんとなく共有されている基準のようなものがありますね。
恋愛はきわめて個人的で親密な関係性の構築だから、もっと自由な発想があってもよさそうなものですが、オリジナルでユニークな恋愛をするのはなかなかむずかしいものです。テレビドラマや小説から映画、コマーシャル、ポップソング、週刊誌のゴシップ記事にいたるまで、いろいろなものが恋愛のコミュニケーション方法を教えてくれます。この教育効果、学習効果は相当大きい。
テレビを見ているとタレントさんが「彼女いない歴○○年」という自己紹介をしている(させられている)シーンがときどきあります。20歳の男性が「彼女いない歴20年」と平気で言ったりします。これには、人は恋愛をするのがあたりまえだ、男の子は女の子に、女の子は男の子に異性の魅力を感じるのが当然だ、という2つの前提があります。
最近「草食系男子」ということばが使われるようになりました。これにも「男子は本来肉食動物的な性質をもっている」という前提がありますね。だからこそ「草食化」した男子の特有のあり方にこのようなネーミングが行われ、多くの人たちがこれを一つの現象として受けとめているわけです。
でも、考えてみれば草食動物のオスたちには失礼な話ですね。キリンにはキリンの、ゾウにはゾウの、それぞれ固有の「男らしさ」はあって、ちゃんとジェンダーのバランス維持をはかっているでしょうに、人間がかってに「肉食=男性的、草食=女性的」という意味づけをしているわけですから。
そういえば、かつては「欧米=男性、東洋=女性」というメタファーもありました。オペラ『蝶々夫人』あたりが典型的なパターンでしょうか。芥川龍之介の「舞踏会」という短編も、そのような認識を皮肉を込めて切りとっています。
東洋にだって男はいる、という東洋人男性の欧米中心主義にたいする文化的逆襲はデイヴィッド・ヘンリー・ウォンの『M.バタフライ』という演劇に描かれています。(ジョン・ローンの主演で映画化されていますが、映画では東洋人男性のリベンジ、という側面は薄れています。)
私たちはいろいろな前提的な「お約束」のなかで暮らしています。そしてそのルールに従って発言したり行動したりすることで、みずからそれを強化しています。理不尽なルールなら抑圧ですが、文化的な前提がまったくないのが自由かというと、一つひとつ自分で自分のふるまい方を考えなければならない、というのもシンドイものです。
恋愛のコミュニケーションパターンがあるから、恋人たちは意思疎通ができるのかもしれない、そう考えると「うすっぺらく」みえるラブコメにも文化的な意味はあるわけです。文化を研究するとき、「楽しむ自分」と「冷静に分析する自分」を共存させることは大切です。
暑い夏です。受験生のみなさんも勉強の息抜きに、たまには軽いタッチの映画でも楽しんでみてください。「物語の展開を楽しむ」と「文化的な前提を分析する」、二つの視点でながめてみると、いつもと違う脳の部分が活性化されて、リフレッシュできるかもしれません。