学部・大学院FACULTY TAISHO
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国際文化コース
「カルスタ進歩ジウム」通信②
「カルスタ進歩ジウム」の熱気が冷めやらないうちに、明日は入学試験が行われます。カルチュラルスタディーズコース志望の受験生の方たちのご健闘をお祈りしています。
カルチュラルスタディーズコース所属の教員の一人、星川啓慈先生の、学生たちのシンポジウム企画運営の奮闘に対する感想です。
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カルスタの「進歩ジウム」に参加して
星川啓慈
教員が、自分が所属しているコースの学生の企画を褒めるのは、回りの人から見ておかしいかもしれない。でも、率直な感想を書いておこう。
シンポジウムのキイワードは、僕からいうと、「文化」「解釈」「創造」である。
多くの人たちがいろんな作品にたいする自分のオリジナルな解釈を披露してくれた。これは、ファンタジー文化にせよ、西洋文化にせよ、個々の文化現象をどのように理解するかということだ。ここには2つの側面があると思うな。すなわち、①文化がどこか自分たちと離れたところにあって、それ理解しようという側面と、②自分たちが解釈を通して文化を創り上げているという側面だ。ファンタジーの作品を解釈していくことは、発表者やシンポの参加者自身が、ファンタジー文化を創造・維持することになる。
作品については、いろんな解釈がある。当然、対立する解釈もあるだろう。重要なことは、いろんな解釈をぶつけあいながら、作品をめぐって対話を続けるということだ。対話を続けるには、知識力・想像力・連想力・創造力・洞察力・忍耐力・協調力など、いろんな力が要求される。対話を続けられるということ自体、素晴らしいことだと思う。これは、実に創造的な行為なのだ。
また、いろんな解釈をもたらしてくれる作品、汲めども汲めども汲みつくせないものがある作品、こうした作品が素晴らしい作品ではないだろうか。そして、種々の議論に連動しながら、作者の制作意図を超えて、作品が一人で動き始める/自立するということになれば、作者としても嬉しいのではないかな。違うだろうか?
最初に、学者たちが「文化」をどう定義しているかを紹介してくれたけど、難しいことを述べている学者たちも、所詮、自分の視点から「文化」を定義しているだけの話である。「文化」とうものは、以前にもこのブログで書いたように、茫漠としていて、捉えどころがない。学部の段階では、自分たちの目線で「文化」に自由に切り込んでいけばいいのだと思う。
いずれにしても、参加させてもらって、非常に有意義な時間を過ごせた。「進歩ジウム」にかかわった、すべての人たちに御礼を言いたい気分になった。ありがとうございました。
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