学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

カルスタ、あれこれ(その5)――「装丁」の文化

  前回は、神学と数学という「二つの文化」を融合しようとしている研究者のことを取り上げました。やや抽象的で、読みづらかったかもしれません。

今回は、具体的で分かりやすい内容にしましょう。本の「装丁」――書物の表紙などの体裁をつくること――についての話です。「本の文化」は、目に見えず触ることもできない本の「内容」と、目に見え触ることもできるその「外装」とによって創られる、というお話です。

 

一口に「本」といっても、今日ではイラストや写真がふんだんに取り入れられているものも多く、多種多様なものがありますね。でも、私などは「本」という言葉を聞くと、「文字」がすぐ頭に浮かんできます。

だいぶ前から、素敵な装丁の本がいっぱい出るようになりました。そうした中、ある高名な装丁家が語っていました――「本の文字がもつ力が弱くなったから、装丁がますます重要になってきたのではないか」と。つまり、本の内容が希薄で質が落ちてきたから、視覚に訴える装丁が売上に大きな影響を与えるのだろう、ということでした。その人は「自分は作家のメッセージを読者に伝える手助けをしたい」とも述べていました。

昔は、本を出版できる人の数は限られていました。でも今では、自費出版もできるので、おびただしい数の新刊書が毎年出版されています(年間8万点前後)。ですから、上のような装丁家の発言もよく理解できます。しかし、多くの人が本を出せる状況になってきたことは、基本的には、良いことだと思います。自己表現をできる機会が増えたわけですからね。「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉を捩って、「悪書は良書を駆逐する」という人もいるかもしれませんが、私はそのように思います。

 

 

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自分のことで恐縮ですが、本日ついに、執筆に25年を費やした私の主著(大きく分厚く黒い本)が出版されました! ジュンク堂など大型書店には並べてくれています。題して、『宗教と〈他〉なるもの――言語とリアリティをめぐる考察』(春秋社刊、A5判、総頁数352頁)。今回は「装丁」の話ですから、難解な「中身」については述べませんから、安心してください。

 

私はこれまで、十数冊の本を世に出していますが、いつも、カバーデザインは気にかかります。予算があるわけではないし、装丁の知識もないので、いつも編集者とデザイナーに任せています。今回も、好みを聞かれたので、「飽きの来ないもので、シンプルな感じのものを」とだけ、伝えておきました。

ある装丁家は「自分が手がける本(=小説)は、それを読んでからデザインの構想を練る」と言っていました。今回お世話になった装丁家の芦澤泰偉さんに、私の本を読んでいただいたどうかは定かではありませんが、編集者から「重厚な感じの仕上がりになると思います」とだけ聞かされていました。結果として、本の内容をイメージ的にきちんと踏まえたカバーにしてもらって、非常に満足しています。芦澤さん、ありがとうございました!

写真では見えにくいのですが、帯が本の高さの半分まであります(だから、帯をとれば下半分は真っ黒です)。また、メインタイトル、編集者による刺激的なヘッドコピー、それに私の名前は、「UVシルク加工」といって、ビニールが盛り上がったような感じの特殊印刷です。PDFで事前にデザインを見てもらった知り合いからは、「知性を感じるデザイン」「シンプルさがいい」「白と黒とのコントラストが素晴らしい」「星川の本にはもったいないカバー」(笑)などと、多くの賛辞がよせられました。

帯についていうと、著者の私としては、編集者が考えた帯の細かい文字の文言はいいとしても、「あなたにとって、〈神〉はリアルか?」などと大胆な問いかけはしいていないよなぁ…、恥ずかしいよなぁ…、と思ったりもします。しかし、冷静に考えてみると、内容的にはこの問いかけよりも一歩も二歩も踏み込んだ議論を展開していますから、これでいいのです。

さらに、帯の裏には、本の中で頻繁に引用される哲学者たちの、これまた刺激的な言葉が引用されていて、手にとると、思わず引き込まれそうになります(裏をお見せできないのが残念)。

 

本は、文化を生み出し、継承し、発展させるための有力な手段です。でも、こういう素敵な装丁だと、やはり、私が読者に伝えたいメッセージの伝達を「デザイン」という方法で助けてくれている、とつくづく感じます。言いかえれば、本が伝えようとするメッセージは、その内容からだけではなく「装丁からも放たれる」と言っていいかもしれません。

最初に書いたように、「本の文化」は、目に見えず触ることもできない本の「内容」と、目に見え触ることもできるその「外装」とによって創られるのです。これら2つのものがうまくマッチするとき、本はいっそう輝きを増すことになるでしょう。

私の新著は、もともと大きめで分厚い本ですが、カバーデザインのおかげで非常に存在感があるものとなりました。読まなくても、「インテリア」として購入してくださると、いいかもしれません(笑)。

 

私の新著は「座学」――ひたすら座って考えるスタイルの学問――から生まれました。次回は、この「座学」と「フィールドワーク」の対決について考えてみましょう。

 

            星川啓慈

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