学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

戦争と文化(3)――武器と命名

はじめに

皆さんには、名前がありますよね。「当り前じゃないか、バカなことを聞くなよ」と言いたいでしょうね。でも、皆さんに名前がなかったら、面白いでしょうね。いろんなことが起こりますよ。大学での出席からしてとれません(笑)。名前がないと、一人ひとりの「ヒト」の在り様を記述しないといけません。こうなると、面倒ですね。想像してみてください。また、恋人でも親友でも、名前がないと愛情や友愛は湧かないかもしれませんよ。

冗談はさておき、「名前をつける」ことは非常に重要なことで、大哲学者も議論しているのです。たとえば、18歳でデビューした様相論理学者のS・クリプキという天才は、『名指しと必然性』(産業図書)という本の中で、「固有名はどのように世界の事物を指示するのか」などといった問題をめぐって、考察しています。また、「言語行為論」という言語哲学上の新分野を切り拓いたJ・オースティンは、『言語と行為』(大修館書店)という本で、「命名する」などの言葉を用いた行為について論じています。たとえば、「私は、この船を〈クイーンエリザベス号〉と名付ける」という事柄をめぐって議論を展開しているのです。皆さんが、そのように言ったとしても、この「命名」成立しません。ある言語行為が成立するには、種々の条件が必要なのです。難しい話はやめましょう。

 

武器と名前

今さらいうまでもなく、第二次世界大戦の最後の局面で、日本には原子爆弾が投下されました。B-29 というアメリカの爆撃機が爆弾を投下したのでしたね。実は、この爆撃機には名前がありました――「エノラ・ゲイ」です。

 

エノラ・ゲイ.jpg

日本人にとっては、不気味な響きですが、これは機長の母親の名前だそうです。この事実にも反映されているように、戦争の歴史を通じて、人々は種々の武器に、これまた種々の名前を付けてきました。今回もクレフェルトの本を参照しながら、このことについて考えてみましょう。

刀・剣は代表的な武器ですが、イスラム教の創始者ムハンマドは、4本の剣をもっていたそうです。そして、それぞれの剣には名前がありました――「厳しきもの」「鋭きもの」「絶対的なもの」「打ちたたくもの」。ムハンマドにならって、ムガール帝国の支配者たちも、剣に名前を付けていました――「敵を殺すもの」「世界征服者」「敵を打ち負かすもの」「信頼できる友」…。

剣といえば、フランスの叙事詩『ローランの歌』に登場する英雄・ローランが持っていた聖剣「デュランダル」が有名です(私はこの叙事詩そのものは読んだことがありません)。瀕死のローランが、この剣が敵の手に渡ることを恐れて、これを折ろうと岩に叩きつけたところ、デュランダルは岩を両断して折れなかったとか…。素晴らしい切れ味ですね!

このように、剣に名前をつけるということは、クレフェルトも述べているように、剣によっては所有者から「命あるもの」とみなされていたのかもしれません。

刀・剣だけではなく、戦争の歴史を振り返ると、ほとんどの武器には名前が付けられていました。たとえば、古代ギリシアの戦船には、アルゴー(都市名)、アンフィトリテ(海神ポセイドンの妻)、テティス(海の精でアキレウスの母)、エレウテリア(自殺)ドルフィス(イルカ)…などの名前がありました。この伝統は現代になっても連綿と続いています。名前だけあげますが、知っているものもあるでしょう。ヴィクトリー、ヘルメス、アリゾナ、ニミッツ、エンタープライズ、デヴァステイション、大和、武蔵、金剛…。

その他、西洋中心の例ですが、大きいものでは、戦車、飛行機、潜水艦、中くらいのものでは、大砲、射出器、大型石弓、小さなものでは、破壊槌、ナイフ、銃、弾丸、砲弾、手榴弾など、実に多くの武器に名前がつけられたそうです。

 

エンタープライズ.jpg戦車の場合にはこんな話もあります。第一次世界大戦末期、ドイツの作家であるE・ユンガーは、無残に破壊されたイギリス軍戦車が散らばる戦場を調査しました。その結果、「名前のついていない戦車は、1両もなかった」と記しているそうです。名前にはいろいろありますが、皮肉な名前だろうと、敵を威嚇するような名前だろうと、縁起のいい名前だろうと、とにかく、すべての戦車には名前が付けられていたというのです。

気をつけていただきたいのは、個々の武器に「固有名」がつけられるということであり、ある「型」やある「種類」の武器に名前がつけられるということではありません。ある型の飛行機が「B-29」と呼ばれるのは、何でもありません。「B-29」という飛行機は何十機もあったでしょう。でも、「エノラ・ゲイ」という飛行機はたぶん1機だけです。「エノラ・ゲイ」という人名が飛行機の名前に転用されたように、特定の武器に「固有名」がつけられるということ、これが重要なことです。

クレフェルトはそれほど強く主張しているわけではありませんが、個々の武器に名前を付けることにより、それだけではたんなる道具・機械・無機物でしかない武器が、人格をもっているように、生きているように、自分の腹心であるように、感じられるようになるでしょう。そうすると、当然のことながら、親しみも湧くでしょう。先のローランは、死ぬ直前に、「デュランダル」に心をこめて別れを告げたそうです。

日本の場合はどうでしょうか? やはり、特定の武器に名前をつけたのでしょうか? 自衛隊のある教官に確認したところ、「日本の軍隊の場合には、そうしたことはあまり聞かない」というお返事でした。これが事実だとしたら、こうした相違(武器に命名するか否か)に見られる欧米と日本の文化の相違も研究してみる価値があるかもしれません。

 

武器と装飾

今回は、「命名」という言語行為に引かれて、クレフェルトの書いているテーマである「装飾」からやや離れてきましたが、先回からの「装飾」に話を戻しましょう。今回のブログをクレフェルトの文脈に位置付けるとすれば、「そうした固有名をつけるほどの武器にはどのような装飾を施しても不自然ではないだろう」ということになるでしょうか。

戦争は組織的暴力の最たるものであることに間違いはありません。だとすれば、戦いに赴く人びとにとって、武器はもっとも重要な「伴侶」でしょう。相手を倒すためにも、また、自分を護るためにも。言いかえれば、クレフェルトがいうように、「武器は〔戦いに赴く人びとが〕生きているかぎり必要不可欠なもの」でしょう。ここで、彼の言葉を引用します。

そのように考えれば、最高の技術を駆使してつくられた武器が、性能には無関係な装飾をほどこされ、大事にされ、賛美されるのは当然ではないだろうか? 武器を中心とした独特の文化が育つのは当然ではないだろうか? 他の文化と同様に洗練され、壮麗で合理的な文化が。

戦闘で使うだけなら不必要な装飾が莫大な金をかけてほどこされていたとしても、そうした武器は、現実に「戦場でもしっかり用いられていた」のです。最後に、再びクレフェルトの言葉を引用して、2回にわたる「武器の装飾」をめぐる話を締めくくりたい、と思います。

 最近出版される戦争関連の本や論文は「戦略」にばかり焦点を当てて、このようなこと〔戦争における文化〕に触れなくなっている。こういった本や論文を読むと戦争の周辺に文化があるとはとても思えないだろう。だが、それでは戦争における人間の行動を決して理解できない。まして自分たちの戦闘力を最大にし、敵の戦闘力を最小にするような道に導かれることはない。

最後から推測できるように、武器に名前をつけたり華麗な装飾をほどこしたりすることは、実際には、戦闘自体にとっても重要なことなのですね。つまり、そうすることによって、戦いに赴く人びとの「士気も高まる」という効果があるのでしょうね。さらに、「死」の恐怖を軽減するということもあるでしょう。

 

おわりに

次回のテーマは「戦場の心理」です。平時と戦時では人間の心理は異なってきます。戦場で闘う人々の心理はどのようなものなのでしょうか。その一端をクレフェルトとともに考えてみましょう。

なお、今回紹介したB‐29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長(ポール・ティベッツ機長)については、第6回目のブログで、再度取り上げます。原爆投下から後の彼の人生について考えたいと思っています。

 

星川啓慈

 

【参照文献】

(1)M・クレフェルト(石津朋之監訳)『戦争文化論(上)』(原書房、2010年)第1部第2章。

(2)ウィキペディア「デュランダル」。

(3)朝日新聞、2007年11月10日。

GO TOP