学部・大学院FACULTY TAISHO
国際文化コース
カルスタ漫画・アニメ・ゲーム研究会「トワイライト」の活動報告⑤
年内の授業もあと数日となりました。9月にはじまった秋学期を振り返り、1月の集大成に向かう時期を迎えました。カルチュラルスタディーズコースの学生たちも、多くのことに挑戦し、たくさんの成果を実らせようとしています。毎週金曜日の授業後に活動を行っている「トワイライト」の活動報告が届きました。
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トワイライトメンバーkです。私たちは今回、フィンランドの代表的なキャラクターであるムーミンのアニメーション映画である『ムーミン谷の彗星』(1992年公開、以下『彗星』)と『劇場版ムーミン 南の国で楽しいバカンス』(2014年、日本では2015年公開、以下『バカンス』)を見ました。割とのどかなイメージがあるムーミンたちの突っ込みどころ満載の行動にほかのメンバーは驚いていました。
『彗星』と『バカンス』はどちらもトーベ・ヤンソンのムーミンを映画化した作品ですが、キャラクターの見た目や性格、原作、制作国がすべて違います。なので、今回は二つのムーミン映画を比較してみたいと思います。
『彗星』は約20年前に日本で制作されました。元となっている話は小説ムーミン2作目の『ムーミン谷の彗星』です。『バカンス』はフィンランドとフランスが共同制作をし、2014年に公開された一番新しいムーミンアニメです。イギリスの新聞で連載されていた漫画版ムーミンを原作としています。元となっているものが違うためか、登場キャラクターの性格や関係性が大きく違います。全キャラクターの比較は難しいので、ムーミンとフローレンに焦点を当ててみましょう。
ムーミンは『彗星』では冒険好きで勇敢な男の子というなんとも「主人公」らしい性格をしていますが、『バカンス』は心優しく、勇気もあるが、後先考えずに行動したり、真っ先にホームシックにかかったりと「ヘタレ」なところが目立ちます。フローレンは『彗星』の方では、お洒落好きな女の子らしい女の子ですが『バカンス』は空想家、うぬぼれや、我儘、ずる賢いという「女」の悪いところを誇張させたような性格をしています。メンバーの一人が「このフローレン見てるとこっちがなんかちょっと痛くなる…」と言っていました。しかし、驚異的な適応力と愛嬌もあるので厄介です。また、『彗星』での二人は映画のなかで初めて出会うので終始相手をムダに褒め合います。一方で『バカンス』は同居(語弊があり)しているためか倦怠期を思わせ、相手を馬鹿にしたりしてしまいますが、両者嫉妬深いのでしばしば『バカンス』内で愛憎劇を展開させます。
この性格と関係性の違いは、小説版と漫画版の対象者の違いだと考えました。小説版は児童書という位置づけで描かれているので対象者は子供です。漫画版は新聞という大人の読が読むものに連載されていたので対象者は大人です。つまり性格と関係性の違いは、子供向けか大人向けかという違いと言い換えることも出来ます。漫画版は小説に比べて風刺をかなり効かせているためか、キャラクターの「愚かさ」や「欠点」が目立ちます。理想を多く取り入れたキャラクターよりある意味での「共感」ができるかもしれません。しかし、愚かさや短所に共感し受け入れるには精神がある程度まで成熟していなければならないのではないでしょうか。映画の中からなら、互いを尊敬する可愛らしいラブラブな理想的なカップルである『彗星』と、どこか生々しく現実的な『バカンス』という恋愛の描かれ方の違いが子供向け、大人向けの差として比較的分かりやすい例なのではないでしょうか。
他にも20年前はどちらかというと子供のためのアニメのキャラクターだったムーミンの映画と最近キャラクターとしての人気が高いムーミンの映画、さらに20年前に比べて現在はアニメ自体が堂々と大人向けと謳うようになっていることなどの時代や需要が変わったことのなどもあるのではないでしょうか。
『彗星』と『バカンス』には他のキャラクターたち、色彩の違いから見る国の違い、発展と荒廃など比較できるものはまだまだあります。どちらか一つに絞って考えてみても様々な面白い発見ができるはずです。ムーミン作品は「ねぇ、ムーミン」と呼びかければ素敵な題材をたくさん提供してくれるカルチュラルスタディーズコースにとっての宝箱の一つです。
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議論しながら多くのことを発見し、さらに次の関心を引き出す学生たちの自主的な活動が続いています。
比較という分析の手法を用いて、アニメーションという表現媒体の社会における評価の変化、それによる表現方法やテーマの変容を確かめ、否定的な側面を肯定的に描写する表現の転換的な仕組み、ヒューマニズムと共感の分析へと議論を発展させ、一つの題材からたくさんの考察のポイントを発見する学生たち、意欲的な活動が続くことを期待しています。
♪伊藤淑子