学部・大学院FACULTY TAISHO
国際文化コース
シンガポールから伏木香織先生の報告が届きました。
授業のない期間を利用して、シンガポールで研究中の伏木香織先生から、報告をいただきました。
フィールドワークとはどのような研究の方法なのか、ということも、具体的に、わかりやすく説明してくださっています。日頃指導を受けている学生にも、4月にカルチュラルスタディーズコースに入学を予定している新入生にも、これからカルチュラルスタディーズコースの受験を考えている方たちにも、とても興味深い報告です。
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フィールドワーク@シンガポール
フィールドワークに行くって、いったい何をしているのだろう?と思われている方が多いかと思います。今回はその内容を一部、紹介してみます。
ただし、このフィールドワークというのは、どんなことを研究しているのかによって、方法も研究対象も大きく異なります。私の場合は、音楽人類学(民族音楽学)が専門であり、音楽や芸能にまつわることを研究対象とするわけですが、宗教的儀礼の場にある音楽、芸能の研究をしているので、ずっと宗教技能者や寺廟の人たちと話をして、ご飯を食べているだけということもあります。一見すると音楽や芸能の研究をしているように見えないこともあるかもしれません。また、別の日には音楽や芸能の専門家たちと話をしているだけだったり、音楽のレッスンを受けていたり、あるいは音楽グループのワークショップの手伝いをしていたりして、それこそ何をしているのですか?ということもあるかもしれません。またある時には、誰も観客のいない人形劇のステージの目の前でたったひとり、日傘の下でうだりながら、人形劇の劇団の人に飲み物とおやつを分けてもらいながら、ひたすら芝居をみていることもあります。ですが、実際に演奏すること、上演すること、上演の場にいることも重要なフィールドワークの経験のひとつなので、身体がひとつでは足りない、というのが正直なところです。
今回のフィールドワークは2016年2月17日から29日という、大変短い、約2週間弱のフィールドワークです。欲張ってあれこれ計画を立てても何もできませんから、ざっくりとした計画を立ててきています。
今回の主目的は毎年調査をしている陰暦7月の中元節儀礼の補足調査です。これまでの調査記録をもとに、そこから浮かび上がってくる疑問点について、寺廟の人々や関係者の人々へのインタビューを行うとともに、歴史的な問題については、シンガポール国立図書館のデジタル・アーカイブズを利用して、過去の現地紙の新聞記事を丹念に辿るという地道な調査です。直接、儀礼や音楽、芸能の調査をしたり、セミナーやシンポジウム、研究の打ち合わせなどに参加したりする予定がない日は、1日中、シンガポール国立図書館に籠っています。
*シンガポールのナショナル・アーカイヴズの資料は、国立図書館のマルチメディア・コーナーから閲覧が可能なので、デジタル・データ化が済んでいないビデオ、録音の確認の時以外は図書館へ向かいます。
それとともに、これまでに研究してきている人形劇(布袋戯、加礼戯、その他の人形劇)や、各種戯劇、歌台などの追加調査も行います。またこの時期、つまり春節(旧正月)の儀礼の調査も合わせて行います。春節当日から1週間は、残念ながら来星が間に合いませんでしたので、今回は拝天公の儀礼からになりました。ですが、今回のおそらくハイライトと呼べる儀礼は、先日の陰暦1月15日に行われたCap Go Meh(十五瞑=福建語)でしょう。
陰暦の1月15日は元宵節とも呼ばれるお正月が終わる日で、台湾などではランタンを天に飛ばす幻想的な光景が広がることで知られます。ところが東南アジアでは、この日、ランタンを飛ばすのではなく、神明たちがこの世に降りてきて人々の前に現れてくれるのです。今回は、このCap Go Mehの儀礼を2つの寺廟で調査させてもらいました。
実は寺廟といっても、当然のことながら、様々な種類があります。シンガポールでチャイニーズ系の寺廟というと「仏教」だと思われるかもしれませんが、多くの場合はシンクレティズムで、道教(民間道教)、仏教、民間信仰がそれぞれに入り混じっています。加えて、言語集団によって信じる神が違う、祀り方が違うなどの相違があり、寺廟ごとに儀礼の内容は異なります。したがって、当然のことながら、調査させてもらった2つの寺廟も、それぞれの寺廟における信仰形態が異なるほか、それぞれで行う儀礼の日取りと次第も異なっています。
どちらの寺廟も、そのルーツは中国福建省の莆田にあり、両方の寺廟で話されている方言もシンガポールでもっとも話者の多いとされる福建語ではなく、莆仙語(興化語ともいう)です。この2つの寺廟の信仰形態において特徴的なのは扶乩と呼ばれるものがあることで、これは二又の枝に降りてきた神が人々に助言をあたえてくれる、というものです(日本でいう「こっくりさん」に似ています)。それに加えて、人を依代として神明たちがさらに降りてくるので、神明が集まって降臨する日であるCap Go Mehはさながら、神様の顔見せ興業のような賑やかさになります。
14日にこの儀礼を行う寺廟では、まず、女性のグループの太鼓とシンバルの演奏から儀礼が始まります(写真2)。堂内で依代となる人に神が降りてきたら儀礼が本格的にスタートし、庭にうず高く積み上げた薪に火が放たれます。二又の枝にも神が降りてきて、火の周りを遊業します。盛大に燃え盛る火が薪の山を崩し、それを炭としたところで、神明の像を乗せた輿が寺廟の建物内から走り出てきて、庭を遊業します(写真3、4)。もっとも力のある神の輿が遊業する直前、参加者の一部がトランスに陥り(神明が人々の中に降りてきて)、火渡りを始めます(写真5)。すべての神像が遊業を終えて堂内に戻り、人に降臨した神明のうち、もっとも権威のある神が火渡りを終えて天に帰ると儀礼は終了です。
15日にこの儀礼を行う寺廟では、昼と夜とに加礼戯という人形劇が上演されました(写真6)。加えて18時頃から、人々の不運を払い、1年の加護を願う人型(写真7)を焚き上げる儀礼も行われました。二又の枝に降りてきた神が、人型に朱印をつけていき、儀礼を司っていきます(写真8)。この炊き上げが終わったところで、女性たちの楽団が寺廟の庭に入ってきます(写真9)。実はこの女性の楽団は昨日の寺廟からやってきたもので、Cap Go Mehに際して、この2つの寺廟で必ずこの女性の楽団の演奏だけは共通して行われるものだそうです。その演奏の間を割るようにして、神の名を記した提灯と、これから神が降臨する依代となる人々が、寺廟の外を一周しに出ていきます。それらの人々が堂内に戻ると、神明たちが次々に依代となる人々の上に降臨し始めます。降臨した神は衣装をまとい、人々の前に神となって現れます(写真10)。その後、五色の旗をもった寺廟の男性メンバーたちとともに庭に現れ、他の宗教集団では五方圓壇として知られる所作を行います(写真11)(この部分はまた寺廟の関係者に名称を確認しなくてはなりません)。そしてひとしきり所作が終わると神は天へと帰り、次にまた別の神が降りてくるのです。
以上が簡単な儀礼の紹介だったのですが、フィクションを読んでいるような気になったでしょうか。でもこれがフィールドワークにおける現実なのです。神と人と精霊(時には悪霊かもしれません)が、このうつつにおいてひとつの場にいる、あるいはそこは現世とそうでない世界とのあわい、私が調査している場を、少なくとも、儀礼を執行している人々はそう信じているはずです。当然、違う信仰を持つ人々のうち、これらを「迷信」という人もいます。そしてそれを排除しようとする人々もいます。調査者としての私も、これを「迷信」と切ってしまうこともできるでしょう。実際、調査者の中には、「迷信」だと信じてやまない人もいます。しかしそこであえて自分の価値判断を持ち込まない。その場にいる人々の声に耳を澄まし、その人々が見ている世界を見てみようとして見る。そうすると、現実の記述が上記のような形に生成されてくるのです。
私自身は、現世とそうでない世界のあわい、という瞬間/場というものにワクワクするし、そう信じる人々の生の姿にすごく心惹かれます。信じるか、信じないかという問題はまず棚に上げ、現場で人々はどのようにその瞬間をみているのか、これをもっと知りたいと思うのです。そうした積み重ねのなかで、人々の多様な価値観を知り、さらなる疑問にぶつかるのです。
フィールドワークとはおそらく、ワクワクしながら、ゆっくりと自分の価値観をリセットして他の価値観を得るようになること、そしてゆっくりと疑問を見つけ、その答えを探し、多様な人々の生を考えることなのだろうと思います。それが偶然、私にとっては、音に満ちあふれた、人によってはうるさいと感じるかもしれない空間であった、というのが、もしかしたらこれを読んでくださった皆さんには信じがたいことかもしれませんが。
ところでフィールドワークに赴くにあたり、ひとつだけ、心しておいたほうがいいことがあります。それは自分の体力の限界を知ること&海外での調査の場合、きちんと海外旅行保険をかけてくることです。実は今回、調査中から何だか体調が悪いな、とは思っていましたが、儀礼が終わったところで自分の集中力と体力が切れたか、インフルエンザを発症しました。高熱と関節痛で、寝るに寝られず、のたうちまわり…参加予定だったシンポジウムに参加できなくなりました(ドクターストップがかかりました。感染症ですから仕方ありませんが)。保険をかけておいてよかった、とは思うものの、寝込んでいる時間がもったいない、と歯ぎしりした2日間でした。
えっ、もったいない、と思っているところがまだ自覚が足りない?
…そうかもしれません。
(2016日2月25日 伏木香織)
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伏木先生、お忙しい調査の時間を割いて、臨場感あるれるご報告、ありがとうございます。
そして、どうぞおだいじに。
♪伊藤淑子