学部・大学院FACULTY TAISHO
国際文化コース
ケヴィンのインターン報告⑥
前回の報告の後半です。英語の論文から日本語に翻訳するというのは、大変な作業です。後半の翻訳は、研究室をたまたま訪ねてきてくれたカルチュラルスタディーズコースの4年生が、丁寧にアドヴァイスしてくれました。
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アメリカの州にはそれぞれ独自の参加要件があります。しかし、1つの点は大体同じです。私は全国に散らばっている四つのランダムな州のミス・アメリカの参加要件について調べました。ニューハンプシャー州(北東)とミシシッピー州(南)とインディアナ州(中西部)とカリフォルニア州(西)でした。それらは米国の4つの地域を表します。でも、恋愛関係や結婚や妊娠に対しての参加要件は類似しています。ニューハンプシャー州のコンテストの公式サイトに「Must be single, never been married」と書いています6。ミシシッピー州のウェブサイトに「Contestants must] not now and have never been married」と「Contestants must] must not now [be] pregnant and have never been pregnant…[and] not the adoptive parent of any child」と書いてありました(7。インディアナ州のウェブサイトには「[Must be] single, never been married」と書いてあって(8カリフォルニア州のウェブサイトに「Contestants must be] never married and never have had children」と書いてありました(9。さらに、その参加要件は1999年まで全国のコンテストのルールでした(10。
その州がリベラルかコンサーバティブかと関係がなく、全国で参加要件は同じです。いまの結婚も、かつての結婚も禁じられていて、州によっては子供がいたり妊娠経験があることも失格の正当化となります。それはミス・アメリカが「純潔性」を重要視している証拠です。ジェシカ・ヴァレンティは『Cult of Virginity』でその問題について論じています。ヴァレンティはその論文に「What virginity is, what it was, and how it’s being used to punish women and roll back their rights is at the core of the purity myth」と書いています(11。つまり、私たちの社会では、女性の処女性が本人の道徳と関連づけられるのです。
しかし、人間の価値は、性的行動によって判断されるべきではありません。「Idolizing virginity as a stand-in for women’s morality means that nothing else matters—not what we accomplish, not what we think, not what we care about and work for. Just if/how/whom we have sex with. That’s all」(12。1つの大きな問題は、見せかけと実態がかけ離れていることです。ミス・アメリカはいろいろな才能によって競われる美人コンテストのように見えるにもかかわらず、未婚であって、「純潔」であることが必須の要件なのです。
もう一つの問題は、ミス・アメリカはもっと大きい、体系的で抑圧的な文化の一部であることです。その考え方は「virginity movement」と呼ばれています。この「movement」の危険なところは「it’s a targeted and well-funded backlash that is rolling back women’s rights using revamped and modernized definitions of purity, and sexuality」という点です(13。女性は過去数十年に非常に多くの進歩を果たし、女性を抑圧する法的な差別は除去されましたが、新たな支配の方法が出現しました。男性はめったに自分の性的行動によって判断されることはありません。性的なふるまいによる判断は女性に適用されます。男女によって、道徳的な規準が異なるのです。男性なら問題なしにできることも、女性が行うと不道徳な行為になります。それを当然だと考えると、本当の社会の問題を隠すことになります。女性のみがセクシュアリティによって定義されているのは問題です(14。
ミス・アメリカで優勝した女性は、コンテストの主催者の表現によると、女性のロール・モデルになるそうです。しかし、結婚もしていなくて、お母さんでもない女性だけが参加できるコンテストの優勝者が、一般の女性にどんなメッセージを送ることができるでしょうか。女性の多様な業績や人柄を無視することになります。ミス・アメリカがロール・モデルなら、女性に道徳を強要し、性的な対象であることを求める社会を永続させることになります。男性にはそのようなことは求められません。
さらに、他の参加要件もあります。年齢制限は17歳から24歳です。24歳はまだ若いのに、それが上限です。1991年にナオミ・ウルフという著者は『美の陰謀(The Beauty Myth)』を書きました。彼女によると女性の老化は美しくないと考えられているそうです。なぜなら、女性は時間をかけて、より強力に成長して家父長制を脅かすからです。それで、年齢制限という「弾圧」が起こります。
ウルフはもう1つ批判します。ミス・アメリカは「purity myth」だけ強化「するわけではなくて「beauty myth」も強化します。ウルフはそれについて「The beauty myth tells a story: The quality called ‘beauty’ objectively and universally exists」と書いています(15。その「beauty myth」によると、美というのは普遍的で一つの定義しかないということです。その考え方の問題は歴史的や生物的や人類学的にとっても美が一つの定義がありません。美は時代や所在地によって違って変化します。例えば、タイのカヤン族の女性は長い首を大切にしているので伸びるために首の周りにリングを着けておきます。モーリタニアの女性は、できるだけ体重を得ることを奨励されています。マオリの人々は、唇とあごに入れ墨を持っている女性を美しいと思います(16。
しかし、ミス・アメリカに対して一貫したテーマがあります。ヴァレンティによると参加者は圧倒的に「overwhelmingly white, thin, and eager to please」だそうです(17。ミス・アメリカは1921年に始まりましたが、最初の黒人の参加は1970年までなく、黒人の勝者は1984年までいませんでした(18。その時から黒人の勝者が8人いて(たいてい3年毎)それがミス・アメリカの誉れとなっています(19。しかし、その勝者たちも全般的に青白くて背が高くて細くて欧米の美しさの基準に一致してしまいます。さらに、最初のアジア系アメリカ人の勝者は2001年までいませんでした。コンテストが始まって80年後です(20。そして、2番目のアジア系アメリカ人の勝者はインターネットから排外的と人種差別的なコメントをもらいました。例えば、2つのコメントは「This is Miss America, not Miss Muslim」と「nice slap in the face to the people of 9-11 how pathetic #missamerica」でした(21。これは、特定の人種の壁が壊れていても、偏った西洋の美しさの概念がこのコンテストによって永続されることを示しています。
『Cult of Virginity』にあるように、女性の道徳的および性的基準は、新しい進歩があるからこそ、征服するためだけに存在しています。美に取っても同じです。ウルフは「The ideology of beauty is the last one remaining of the old feminine ideologies that still has the power to control those women whom second wave feminism would have otherwise made relatively uncontrollable」と書いています(22。女性が1つのセクタにプログレスした時に、家父長制は、女性の利益を否定するために、別の方法で女性を支配するしかなかったのです。例えば、女性を性別に基づいて仕事上の差別を禁止する法律が成立する一方で、外観に基づいて判断することが始まりました。女性の健康が大きな問題になった時に、形成美容外科は、女性の美を医療的方法で維持するために、人気になりました(23。リプロダクティブ・ライツ(生殖をめぐる権利)を獲得した女性は、自分自身の身体に高い意識を持つようになりましたが、ファッションモデルはそれとは異なる身体の基準を提示し、女性たちを摂食障害に追い込みもしました。
さらに、「purity myth」と「beauty myth」はミス・アメリカを非難するための概念にはなりますが、ミス・アメリカの本質は、その最も深いところで、女性の間の競争である事実に対する反論に用いることができません。すべての女性を祝うのではなくて、主観的な判断基準の表面的な価値基準を使って判断し、女性たちを互いに競い合わせます。それは参加者にも、観客にも、悪くて健康的ではないです。
本稿の冒頭で、ミス・アメリカというコンテストに対する一般的な態度が4つあると述べました。つまり、「賛成」、「反対」、「無関心」、「よくわからない」、です。既述したように、この問題に関しては、「反対」の立場がもっとも好ましいのです。「よくわからない」というのは、最悪の態度とはいえませんが、もっと情報を集めて、判断を下すべきです。「無関心」は、ミス・アメリカという恥ずべき社会的制度に暗黙の支持を与えているという点において、さらに好ましくありません。「賛成」は言語道断です。ミス・アメリカがどのようなものであるかを知ったうえで、賛成するのであれば、なおさらです。それは、女性に対するあらゆる不正義を承認することに他なりません。それは、社会があらゆるジェンダーを平等であるとみなしているわけではないということを受け入れることに他ならないのです。ミス・アメリカの勝者は、女性のロール・モデルと呼ばれるかもしれませんが、しかし、ミスコンの参加者に瑕疵がないとしても、若い女性たちにとっても、一般の人にも、よりよい女性のロール・モデルはあります。女性教育者、女性科学者、女性の裁判官、女性指導者、挙げればきりのないモデルがあります。
Endnotes
7 “Application and Contract for Participation in the 2016 State and Local Pageants of the Miss America’s Outstanding Teen Competition,” Miss Mississippi,11 Nov. 2015
<http://missmississippipageant.com/wp-content/uploads/2015/09/2016-maoteen-state_local-contestantcontract_sept2014-MS-scholarship-rules.pdf>.
8 “Eligibility for Miss Contestants,” Miss Indiana, 11 Nov. 2015
<http://www.missindianapageant.com/eligibility.html>.
9 “Compete for Miss California,” Miss California, 11 Nov. 2015
<http://www.misscalifornia.org/compete-for-miss-california/>.
10 Jessica Valenti, “The Cult of Virginity,” Women: Images and Realities (WIR) (New York: McGraw Hill, 2012): 184.
11 Ibid.
12 Ibid.
13 Ibid.
14 Ibid.
15 Naomi Wolf, “The Beauty Myth,” Women: Images and Realities (WIR) (New York: McGraw Hill, 2012): 121.
16 “Long Necks, Stretched Lips, And Other Beauty Standards From Around the World,” Cosmopolitan, 11 Nov. 2015 <http://www.cosmopolitan.com/style-beauty/g3279/weird-beauty/>.
17 Valenti 184.
18 Elwood Watson, “The Racial Politics of Miss America,” BlackPast, 11 Nov. 2015
<http://www.blackpast.org/perspectives/racial-politics-miss-america>.
19 Ibid.
20 Ibid.
21 Yasmine Hafiz, “Nina Davuluri’s Miss America 2014 Win Prompts Twitter Backlash Against Indians, Muslims,” The Huffington Post, 16 Sept. 2013, 11 Nov. 2015
<http://www.huffingtonpost.com/2013/09/16/nina-davuluri-miss-america-religion_n_3934428.html# >.
22 Wolf 120.23 Ibid.
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ケヴィンが意欲的な論考を日本語に訳してくれたおかげで、学生たちと問題意識を共有できます。
4年生の学生とケヴィンも、ミスコンテストについて、いろいろと議論していました。
皆さんにもそれぞれの意見があることでしょう。
ミスコンテスト、あるいはミスターコンテストは、大正大学の学園祭でも人気のイベントのようです。大学生を対象にしたコンテストは、選ばれるほうも選ぶほうも、限定されるので、ケヴィンが論じたような問題はあまり意識されないかもしれません。でも、楽しい行事に参加することは、その意味と価値を伝える「エージェント(行為主体)」として機能することでもあるのです。
「エージェント/エージェンシー」はカルチュラルスタディーズでは、キーワードの一つです。ミスコンにかぎらず、さまざまな問題をいっしょに議論するのは、とても刺激的で、たくさんのことを発見させてくれます。楽しいことのなかに潜んでいる作用を分析して、「意識的」にいろいろなことを楽しむことができるようになりませんか?
♪伊藤淑子