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国際文化コース

【人文学科国際文化コース】 リレー国際体験記(3)伏木香織先生①

国際文化コースの教員によるリレー国際体験記も3回目になりました。
今回もお楽しみください。

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今回の担当は伏木です。

今回は留学前、海外渡航体験での出来事から始めたいと思います。学科コースの皆さんには、フィールド・サイエンス入門と称して、海外での調査に向けた準備の仕方などもお話ししていますが、そのきっかけになった事件からお話ししましょう。

時は1990年代初頭。高校時代からアジア各国、特にその時「国が文化を作る」というはどういうことかという視点からも大変興味のあったシンガポールに、ポピュラー音楽の調査というかその走りをしに出かけました。

1980年代以降、アジア地域へのバックパック旅行が一般的になったことで、ツアーではなく一人旅をする航空券も入手しやすくなっていました。当時手にした航空券はアメリカから成田を経由してシンガポールに向かう便。ちなみにこのルートはアメリカ系航空会社がアジアに向かう時の典型的なルートで、飛行機は成田である程度の乗客を下ろしたあと給油して、その後、日本からの乗客も乗せてアジアに向かうというものでした。そのため比較的安い値段でチケットが手にできる路線だったともいえます。

シンガポールは安全な国だ、と事前に情報を入手していた私は、バックパッカーたちの使う宿を使うべく、宿の予約もせず、シンガポール深夜着の飛行機に乗り込んでいました。飛行機で隣に座ったのは少しお年を召したインド系のシンガポール男性。「シンガポールでどこにいくの?何するの?」と聞かれ、楽しく会話をした後で、「ところでどこに泊まるの?」と聞いてきたその方の顔は「まだ決めていません。着いてから探します」という私の返事に凍りつきました。

飛行機を降りた後、その男性は「一緒についてきなさい」と国内公衆電話に向かい、どこか数カ所に連絡していました(その当時、シンガポールの国内公衆電話は無料でした)。その後、私は「ホテルを予約したのでここに行きなさい」と住所を書いたメモを渡されたのでした。

その男性が凍りついた理由を知ったのは、それから20年以上もたってからのこと。実は「安全だ」といわれていたシンガポールは、当時、「安全になったばかり」だったのです。地域によっては現在でも注意をしなくてはいけないところもあります。「1980年代にはマフィア等の抗争や暗躍もあったんだよ」と友人が笑いながら話してくれたことも考えると、その時ホテルを予約してくれた男性はまさか未成年の女性がひとり、大きなバックパックを背に夜中に街を徘徊することなど信じられないと思ったに違いありません。ずいぶんたってから、なるほどと思った次第です。無知の怖さよ。

フィールドワークの安全対策としてさまざまなことを皆さんにお伝えしていますが、なぜかといえば、皆さんにこうした轍を踏まないようにしてもらいたいからです。皆さん、くれぐれもご注意ください。

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海外でヒヤッとした体験、あとから背筋が凍る思いをした経験はたくさんあります。
臆病になってはせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれませんが、でも、海外では安全第一です。
先生たちの体験から、皆さんも知恵を得て、十分な備えをしてください。

コロナの影響で気軽に海外に行くことができない状況が続いていますが、教員の体験記から想像を膨らませ、みなさん自身が海外で見分を広げる機会が訪れたときの参考にしてください。

次回も楽しみにしてください。

                                        人文学科国際文化コース

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