学部・大学院FACULTY TAISHO
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宗学コース
特別企画「学びの探索 教員版」第12回 石川琢道先生(浄土宗)
公式Facebookページ開設を記念して、学科教員の研究の紹介や教員になった経緯などを紹介する企画です。大学HPの教員紹介よりも一歩踏み込んだ内容となっております。
高校までには居なかった、専門分野において突出した知識や経験を持つ仏教学科の先生たちを余すことなく紹介します。
第12回は宗学コースの石川琢道先生です。
寺で生まれ育った私が研究者になるまで~2人の師との出会い~
寺で生まれて
本学宗学コースの多くの皆さんと同じように、私は寺で生まれ育ちました。長男であった私は、お檀家様から陰に陽に期待を感じていましたが、将来、僧侶になること自体にはあまり不安や不満はありませんでした。両親共に寺院の出身で、一族のほとんどが寺院関係だったことがその一因だったのかもしれません(もう逃れられないという覚悟?)。ただ、大学進学を迎える頃になると、仏教には興味があるけれども、敷かれたレールには乗りたくないという若い時に特有な反抗心もあり、浄土宗寺院の子弟であるにもかかわらず、他大学の仏教学部へ進学しました。
批判仏教と私の僧侶への道
大学では、必ずしも真面目な学生ではありませんでした。しかし、仏教の根元的な教えは何かということを考えさせられるようになりました。それは、当時、在籍した大学で「批判仏教」と呼ばれる主張が提唱されたからです。その主張を簡単に言えば、本覚思想や如来蔵思想などは仏教ではなく、縁起の教えのみが正しい仏教であるというものでした。実は、学内のごく一部の先生のみがこの主張をされていたのですが、当時の仏教学界に与える影響は非常に大きいものがありましたし、私も先輩たちとの話の中で「批判仏教」の空気を強く感じていました。
大学生活と並行して僧侶資格を取る道場にも入り、修行を積んでいました。そのようななかで次第に、僧侶への道が明確になり、浄土教への興味も湧いていたのです。しかし、「批判仏教」が提示した正しい仏教とは何かという問いと、西方の阿弥陀仏の極楽浄土が実在するという浄土宗の教えをどのように理解するかという課題が私自身に浮かび上がってきました。
吉津宜英先生との出会い
そのような迷いの中で出会ったのが、1人目の師である吉津宜英先生です。当時のゼミの指導の先生でもありましたが、「批判仏教」に対して批判的な立場を取っていました。それは「批判仏教」が自身の価値判断によって、それが正しいか否かを判断しているという批判であり、一方で、仏教の諸思想を公平に扱いながら、思想史的な流れのなかで事実判断として、その研究対象を扱うことの重要性を説いたものでした。当時、仏教に関する知識が浅かった私は、「批判仏教」の流れの中で浄土教の価値を見失いがちでしたが、吉津先生との出会いが私に仏教を冷静に研究していく価値を気づかせてくれました。
金子寛哉先生との出会いと研究者への道
大学卒業時、いよいよ軌道修正を決意して、大正大学大学院へ進学しました。所属した浄土学研究室には長い歴史がありました。初代主任教授は『望月仏教大辞典』を編纂した望月信亨先生、第二代の主任は法然上人の研究で知られる石井教道先生でした。その後も多くの著名な先生方がこの流れを継いでおり、思想史的な研究を重視するという共通した特色がありました。そのことを教えてくださったのが2人目の師である金子寛哉先生でした。奇跡的にも2人の師の基本的な立場が同じだったことが、より研究への意欲が高まるきっかけともなりました。
当時、自分の問題意識の研究のために中国の浄土教僧・曇鸞の研究を志していました。非常に著名な浄土教の祖師であったことから、先行研究が非常に多く、自らの研究が先行研究のなかで埋没してしまうような感覚を持っていました。そのようななかで金子先生からは、祖師研究の大切さと同時に、中国の時代や地域性のなかで曇鸞の存在をできるだけ正確に捉えることの重要性を説かれ、そのことがきっかけで自分の研究の独自性にも繋がったようにも思います。
おわりに
回り道をしながらも、不思議なご縁で、大正大学の教員を務めさせていただいています。今、2人の師や様々な先生方から受けた学恩を、学生の皆さんへ還元することを通じて、お返ししたいと思っています。
石川先生の経歴やご専門についてもっと詳しく知りたい方は、以下のリンクをご覧ください。
https://researchmap.jp/read0142402
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