学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

日本文学科

6月の文学散歩―古典文学から近代文学へ

6月3日の雨模様の中、大学に9時集合で、学生有志たちと立川の国文学資料館に「方丈記 記念800年展示資料」を見に出かけました。ところが1時間半もかけて資料館に行ったのに、日曜日・祭日は閉館とのこと、以前は月曜日休館だったので確かめなかったこちらにも非はあるのですが、土曜日にも授業がある学生たちと一緒に行くとなると、日曜日に見られないなら、いつ見られるの!と言いたくなってしまいます。

 

太宰サロン.JPGのサムネール画像

仕方なくモノレールで立川駅まで引き換えし、昼食を食べながら態勢立て直し。急遽古典文学から近代文学に鞍替えして、帰路の中央線三鷹まで戻り、太宰治の文学サロンと山本有三記念館に行くことにしました。これには学生たちの所持していたスマートフォンがとても役にたちました。感謝!感謝!

 

 
一時頃だったでしょうか、訪れた太宰の文学サロンは資料こそ少ないものの、みたか観光ガイドの方々の丁寧な説明に、すっかり気分は近代文学研究に切り替わりました。さらに、ガイドの方は山本有三記念館まで当時の玉川上水の状況や太宰の入水地点、住居跡など、道々詳しい説明をされながら有三記念館まで同行してくださったのでした。これにも感謝!感謝!です。
 
 
           玉川上水.JPG太宰入水玉鹿石.JPG
 
 
山本有三記念館は大正末年にできた近代様式の洒落た洋館で、昭和11年から21年まで家族との住居になっていましたが、昭和21年に進駐軍に接収
されてしまい、26年に接収解除されたそうです。その後、有三はその家と土地を東京都に寄付し、都は「有三青少年文庫」を開設した後、平成8年に「三鷹市山本有三記念館」として新たに開館したということでした。
 
 
山本有三記念館.JPG
 
ご承知のように、太宰には『晩年』『斜陽』『人間失格』等多くの作品があります。中学の教科書には『走れメロス』が載っていましたから、皆さんはそちらの方がよく知っているかもしれません。私は高校時代に太宰にかぶれて、「生まれてきてごめんなさい」とか「富士山には月見草がよく似合う」なんてキドッタこともありました。彼を偲ぶ6月19日の<桜桃忌>には、三鷹の禅林寺のお墓に今なお多くの太宰ファンが集まるということを、友人から聞いたことがあります。
 
山本有三は貴族院議員や参議院議員だったことでも有名ですが、私には中学時代に『波』『女の一生』『真実一路』『路傍の石』等、彼の作品を下村胡人の『次郎物語』とともに夢中になって読んだ時期がありました。参加の皆さんは入り口にある大きな石を見て、『路傍の石』の記憶が呼び起されたようです。
 
その後、森鷗外と、太宰治の墓がある禅林寺まで足を伸ばし、参拝しました。正午を回り、日差しもだいぶ強くなっていたのですが、お寺の中は涼しく、心地良かったです。また、桜桃忌が近いせいか、太宰の墓には、たくさんの献花がありました。
 
    太宰墓.JPG   鷗外墓.JPG
 
 
こちらのうっかりミスで遠い立川まで行ってしまい、古典文学から近代文学に変更を余儀なくされた文学散歩でしたが、気持ちのいい三鷹の緑豊かな風の散歩道を歩きながら、教室から現場に出向く意義を痛感した1日でした。
                                        人文学科 米山 首藤 記
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