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日本文学科

【日本文学科】「絵巻に跋扈する妖怪・鬼」講演会の学生による報告です

大正大学日本文学科では、古典文学関連の資料を多数所蔵する環境の中で、在校生の皆さんが有意義な古典の学習・研究ができるようになることを目指して、「古典へのいざない」プロジェクトを実施しています。2月11日(火)には、「絵巻に跋扈する妖怪・鬼」の講演会を実施しました。補助として参加してくれた学生のMさんが、参加して学んだことを感想を交えてまとめてくれたので、開催報告としてご覧ください。


2月11日に行われた鬼や妖怪の絵巻に関する『絵巻に跋扈する妖怪・鬼』のイベントに関しまして、補助スタッフを務めた日本文学科4年のM.Mから、私の感想も交えて当日の概要をご報告します。

今回は、早稲田大学文学学術院教授山本聡美先生と、立教大学名誉教授小峯和明先生をお招きして、絵巻に描かれる鬼や妖怪の魅力をお話していただきました。当日は60名を越える多くの方に足を運んでいただきました。

まず、大正大学日本文学科教授の渡辺麻里子先生に「古典へのいざない」プロジェクトについて紹介していただいた後、大正大学日本文学科准教授の田中仁先生に大正大学附属図書館が所蔵する『百鬼夜行絵巻』写本一巻と、『妖怪絵巻』写本一巻の内容と特徴について紹介していただきました。

大正大学本『百鬼夜行絵巻』は、大まかな図案は他の絵巻と同様でありながら、文章がないことや、絵の細部の描き込みが異なるという特徴がありました。『妖怪絵巻』も同様に文章がないという特徴がありました。何の妖怪を描いたのか分からないものが多かったですが、何の妖怪なのかを想像しながら見ることができるので、絵だけでも大変面白かったです。これらの絵巻は今回のイベントではじめて紹介されたもので、この機会に内容や特徴を知ることができて良かったです。


【田中先生による『百鬼夜行絵巻』の紹介】

次に、山本先生からは「鬼と人」というタイトルで、12世紀末から13世紀に製作された『餓鬼草子』『辟邪絵』『吉備大臣入唐絵巻』『長谷雄草紙』の各絵巻に登場する鬼と人間の関係についてお話していただきました。「鬼」という漢字は死者の魂を表すものでもあることや、古代・中世日本では日常の中に潜むいつもとは違った出来事(例:自然災害や異常気象、仏像の破裂など)を「怪異」と呼び、捉えどころのない怪異は鬼や妖怪の所為として認知されることもあったと教えていただきました。

山本先生のお話で特に印象に残っている内容は『吉備大臣入唐絵巻』『長谷雄草紙』についてです。『吉備大臣入唐絵巻』は阿部仲麻呂の亡魂が変化した鬼と吉備大臣(=吉備真備)が協力関係を結び二人で無理難題を乗り越える話、『長谷雄草紙』は鬼が紀長谷雄に双六勝負を挑んで負かされた話であり、どちらの鬼も人間と心を通わせ、対等な交流が可能な存在として描かれています。

『長谷雄草紙』の舞台は朱雀門、夕方の時刻です。絵巻では夕方から夜になっていく様子を「かすみ」で表現したり、火をつけるときに用いる菜種油を売りに行く男を描いたりしており、どんどん夜になっていく様子が目に見えて分かりました。夕方という時刻が話の注目ポイントでもあり、鬼や物の怪が出る情景を表現する巧みな工夫に興味を持ちました。また、鬼が双六勝負に勝ったら紀長谷雄の全財産を、紀長谷雄が勝ったら絶世の美女をと約束を交わしており、紀長谷雄が鬼を鬼と思っていないことや、鬼と人間の対等な関係性を読み取ることができて面白かったです。勝負に勝った紀長谷雄は絶世の美女を手に入れますが、百日間女と契りを交わしてはいけないと約束したにも関わらず、その約束を破った紀長谷雄に対し、鬼が人を信用ならないと考えているとの結末を教えていただきました。「約束を破る人間」と「約束を果たした鬼」という関係に魅力を感じ、鬼の方が律儀な内面を持っていると思いました。


【山本先生のご講演の様子】

続いて、小峯先生からは「スポンサー本『百鬼夜行絵巻』を読む――絵画が作った物語――」というタイトルで、『百鬼夜行絵巻』の概要や絵画から作られた物語と絵の関係、妖怪の図録についてお話ししていただきました。『百鬼夜行絵巻』は古びた道具が怪しい妖怪になって深夜にパレードをし、夜明けとともに撤退する話です。

今回、『百鬼夜行絵巻』は「百鬼夜行」とは全くの別物だと教えていただきました。「百鬼夜行」は鬼達が夜中に決まった日に街中を徘徊する作品であり、恐ろしくて絵にはならないものです。「百鬼夜行」の舞台は外、『百鬼夜行絵巻』の舞台は室内という違いがあり、『百鬼夜行絵巻』は「百鬼夜行」を前提としたパロディ作品であることを学びました。
小峯先生のお話で特に印象に残った点は主に二つあります。

一つ目はニューヨーク・パブリックライブラリー・スペンサー・コレクション所蔵、詞書付本の『百鬼夜行絵巻』です。詞書を持つ伝本は珍しいことや、このスペンサー本は絵から物語が作られる珍しい形式であり、新たに絵も二場面作られていることに興味を持ちました。


通常の『百鬼夜行絵巻』にはない妖怪が描かれており、絵巻に描かれる妖怪を資料で見た時は「匙」がモチーフになっているのではないかと思いました。しかしながら、この「匙」という考え方は従来にもみられる誤解だそうです。妖怪の正体は「如意」であり、常に扇とセットに描かれていることを教えていただきました。扇とセットで説教の語りを示唆しているのですが、「匙」という誤解があることからも、絵巻に描かれていく中で「如意」の本意を喪失していることが分かりました。また、如意が孫の手と同じように描かれる図版も示していただき、説教の道具としての意義が忘れられている実例も紹介していただきました。


二つ目は妖怪の種類と意義についてです。『百鬼夜行絵巻』は道具が妖怪になる話ばかりだと思っていましたが、実際には古びた道具が妖怪になるだけでなく、絶対的な存在である鬼や正体不明のものまで描かれていました。個人的に、ぷっくりした赤い見た目の「赤袋」という正体不明の妖怪が可愛らしいと感じました。妖怪が描かれる意義は見えないものを見えるようにしたいという人間の要求であり、知らない世界への憧れと恐れを表現していることを教えていただきました。妖怪を絵画化することで可視化され、人間とは異なる生き物や知らない世界を知ることの楽しさを教えるものの一つが妖怪なのではないかと考えました。


 【小峯先生のご講演の様子】

山本先生と小峯先生の講義を通じて、妖怪の知識だけでなく、あらゆる妖怪と人間の関係性を知ることができ、大変有意義な時間となりました。山本先生、小峯先生、貴重な機会をありがとうございました。

最後に、皆さんと一緒に個人蔵の絵巻を見せていただきました。妖怪の表情であったり、妖怪の手足の細かい描写であったり、色味であったり、皆さん興味津々に絵巻に描かれる妖怪を見ていました。赤袋が可愛いという声や、妖怪の表情が洋風かつアニメーションのようだという声があったり、講義内に出てきた如意の妖怪の絵に対して感想を語り合ったりする様子が見られました。

また、特別に許可をいただいた資料については、実際に絵巻を触り、絵巻の内容だけでなく絵巻の開き方・閉じ方を教わったり、少し緊張気味に絵巻を右から巻いて左へ開くように読んで楽しんでいる方がいらっしゃったりしました。絵巻そのものに対しても興味を持っていただいていることが伝わってきました。


【個人蔵の絵巻を特別に間近で見せていただきました】

今回のイベントを通して、古典の世界や古典文学研究への興味を持っていただけたら幸いです。


以上、学生のMさんによる報告でした。色々な学びが得られたようで、開催してよかったです。日本文学科では引き続き興味や関心を深めて学べる機会を設けていきたいと思いますので、在校生や受験生の皆さんもぜひご注目ください。

なお、日本文学科の「古典へのいざない」プロジェクトは2024年度大正大学学長裁量経費の補助を受けて実施しています。

大正大学文学部日本文学科では、これからも様々なイベントや取り組みを行っていく予定です。日本文学科公式SNSアカウントにおいて、情報発信をしていますので、良かったらフォローや拡散のほど、よろしくお願いします。
 
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