学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

公共政策学科

ご入学おめでとうございますー危機は繰り返し、社会は対応する

 ご入学、おめでとうございます。教員の高原正之です。
 皆さんと同じく、この4月から大正大学で専任教員として勤務することになりました。私にとっても大正大学は新天地です。

 新天地を期待して待っていたら、新型コロナウィルス感染症の広がりのせいで、対面式の授業がなく、新入生同士のつながりもできないというのは、皆さんにとってもショックだと思います。

 20世紀までさかのぼると日本社会の経験した最大のショックは、第二次世界大戦の敗戦でしょう。1945年のことです。私もまだ生まれていません。私が社会に関心を向けた頃、最初に経験したショックは、1971年のニクソンショックです。当時、アメリカは、他国の通貨当局に35ドルを金1オンスに交換しており(金兌換と呼ばれています。)、円は1ドル=360円の固定相場制でした。現在のように時々刻々と為替レートが変化することはなかったのです。国際収支の悪化に耐えかねたアメリカがこの金兌換を一時停止し、その後、38ドルが金1オンスとなり、円は308円に切り上げられました。さらに、1973年には固定相場制から現在の変動相場制へ移行しました。

 その1973年(私は18歳でした。)に起こったのが第一次石油危機です。10月の第4次中東戦争を背景として、石油輸出国機構(OPEC)の加盟国、主にアラブ諸国、が1バレルにつき3ドルだった原油価格を一方的に5ドルに引き上げました。現在の20ドル前後から見れば大した値上げには見えないかもしれませんが、70%ほどの値上げなのです。
これと同時にイスラエルを支持する諸国には禁輸を行なうという方針が打ち出され、日本も禁輸対象になりかねない状況でした。これをきっかけに、物価は著しく上昇し、経済が混乱に陥りました。1974年の消費者物価の上昇率は20%を超え、狂乱物価と呼ばれました。

 その後も1978年の第二次石油危機、1990年前後のバブルの崩壊、1997年の金融危機、1995年の阪神淡路大震災、1997年の金融危機、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、今回のコロナショックと様々な経験をしてきました。今は、10年か20年に一度くらいは社会に危機が来たり、災害が起こったりするのは自然なことだと考えています。そして、これらの危機や災害の後にも日本の社会は存在し続けることも確かだと分かっています。

 今回の危機に伴って様々な現象が起こっています。大学でオンライン授業が広く行われることもその一つです。様々な現象の背後には人間の行動があります。今は、皆さんが社会を見る目を養うのに絶好の機会です。いろいろな情報を集め、分析し、何が起こるか予想を立ててみてはどうでしょうか。

 なお、私は、若いときから国際通貨制度や為替相場について関心を持ち、いろいろ考えてきました。いくつか理解できたことがあります。その中で一番大事なことは、私には為替レートの変化を上手く予想することができないということです。現在はこれを前提に行動しています。

       
                            大正大学 公共政策学科教員
                            高原正之
  

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