学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

哲学・宗教文化コース

先生、質問です(3)

質問、まだまだ続きます。
 
質問:
哲学や思想、というと、答えが出ない問題や考え、というのがほとんどだと思います。
そんな中、もしも目の前に、どんな質問でもひとつだけ「答え」を教えてくれる
ロボットがあったら、どんな質問をしますか。Animation2.gifQuizz_transparent.png
質問をせよ、という質問ですが、先生方、いかがでしょう?

春本先生の回答:
「幸福になるにはどうしたらいいのか?」です。
哲学・宗教の究極的な目標は「幸福」にあると考えております。
「幸福になるにはどうしたらいいのか?」
これを具体的によく分かるように教えて頂ければ有り難いですね。
 
星野先生の回答:
「ほどよく欲望をコントロールしてくれる、手軽な方法」でしょうか。
 
司馬先生の回答:
「あなたの答えが『正しい』ということを、あなたはどうやって保証できますか?
その『正しさ』の『意味』を答えて下さい。」
 
私(教務主任)は、役目柄、今一番知りたいのは、
「大学生の就職難は、どうやったら解決できるか」
ですね。
他の世代に“逆しわ寄せ”をすることのない解決方法を出してほしいです。
 
でも、質問者は、こういった現実的な質問より、
もっと哲学的な(普遍的な)問いを求めているのでしょうね。
それでしたら、
「宗教とは何ですか」
ときいてみます。
この問いへの答えを1つにできるのなら、試験も簡単になりますよね。
 
あ、でも、もしロボットが「宗教とは~です」とか「幸福になるにはこうすればよい」
と答えてくれたとしても、
その答えが正しいかどうかは、どうやったらわかるのでしょうか?
それで司馬先生の質問がまず必要なのですね。
 
そして、さらに言えば、
数学で二次方程式を解いたときに経験したとおり
そもそもこの世界の「全ての問い」に対して「答えがひとつだけ」あるわけではない以上、
この全能ロボットに「答エハ2ツアリマス」とか「解ナシデス」とか
答えさせるのはかなりもったいないので、
こちらの質問する力の方こそ大切になるように思われます。
この世界に対して根源的でしかも建設的な問いを立てる力。
そういう力を身につけるのが、ここ哲学・宗教文化コースなのですから、
かりにこの全能ロボットが実際に作られたとしても、
このコースは永遠に必要ですね。

 
質問:
先生の座右の銘は?
 
春本先生の回答:
「先憂後楽」。
先楽後楽、全て楽な人生が理想的なのでしょうが、人生はそんなに甘くありません。
先楽後憂よりも「先憂後楽」な人生をと、日々先を憂え、日々足元を見ながら、
如何にしたらいいのかを考えて生きております。
 
星野先生の回答:
最近気に入っていることばは次の通りです。
「ひとつの幸せのドアが閉じるとき、もうひとつのドアが開く。
しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない」。
ヘレン・ケラーの言葉です。しかしドアは「幸せのドア」ばかりではありません。
「苦しみのドア」も同様に、ひとつが閉じたと思うと、別の「苦しみのドア」が開くということが多いようです。
 
司馬先生の回答:
「自然法爾」。
 
残念ながら、私には、座右の銘の類はこれといってないのです。
なぜか耳にこびりついた言葉、というのはあります。
子どもの頃からのものでは、
岩波の「ひとまねこざる」シリーズ絵本の「びょういんへいく」の巻に、
ひかんしないで、ジョージ」
という、女の子のせりふがあります。
小さいときにこれを読んで、「ひかん」という言葉がわからず、親にきいてもなおわからず、
そのわからなさゆえに耳にこびりついてしまいました。
 
改めて英語の原文を調べてみたら、これは、
“Don’t be sad(悲しがらないで), George”
というせりふでした。
話の流れ上は、「悲観しないで」より、「しょげないで、ジョージ」くらいがちょうどよさそうに思います。
 
「悲観するな」というと、いつもポジティブ(前向き・楽観的)であることを良しとするアメリカ人
の習性を反映しているように見えてしまいます。
「いつも物ごとを前向きにとらえていれば、成功して金持ちになれる」
という人生哲学の一種です。
(これについては『ポジティブ病の国、アメリカ』という本も出ているくらいです。
私は授業ではこれを「前向き」と呼んでいます。
ポジティブ志向に熱をあげるさまは、広い意味での「宗教」とみることができるからです。)
 
しかし、「ひとまねこざる」シリーズの作者、レイ夫妻は、ナチスの迫害から逃れるために、H_a__rey.jpgのサムネール画像
ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人だったのです。
(右は40年前のレイ氏の写真。Elsa Dorfman撮影
それを知ると、“Don’t be sad, George” というせりふも深みがあるように見えてきます。
そうですね、今思いましたが、このように迫害を受け、
ギリギリの状況に立たされた人から発せられた言葉、
だが、それなのに一見日常的な言葉、
というのも、きらりと光る座右の銘ですね。
 
 WhiteHouseCuriousGeorge2003.jpgのサムネール画像
 「ひとまねこざる Curious George」の著作権フリーの画像なんてないだろうと思ったら、ありました! アメリカのホワイトハウス内の、クリスマスの飾り付けだそうです。
 
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