学部・大学院FACULTY TAISHO
哲学・宗教文化コース
その時あなたは? -1-
こんにちは。皆さん、お元気ですか?
火曜(19日)に新1年生、本日、木曜(21日)に新2年生に集まって頂き、1年生は準備学習、2年生には入学式やコミュニケーション・ガイダンスに向けての打ち合わせを進めてもらいました。
そこでもお話ししましたが、今年の哲学・宗教文化コースのブログは、可能な限り、参加型の紙面を作っていきたいと考えています。
そこで、第一回の企画として、<3月11日の震災発生時、あなたは何をしていて、そのとき、何を考えましたか?>というテーマを考えました。今回の震災は、同時代を生きる日本人すべてが、生涯忘れられない出来事になると思いますが、記憶が鮮明なうちに、具体的にその時の心情や行動を書き残しておくことには一定の意味があると考えたのです。
それでは、まず、コースの先生方に書いていただいたものを紹介します。
トップバッターは、星野先生です。
【3・11にどうしていましたか?】
大学にいました。大正大学を会場に、ある会合を夕方から開催予定でした。
その晩は結局大学に泊まりました。教職員数十人、学生も約100人ぐらいいたと思います。じゅうたんの上に雑魚寝です。翌早朝、タクシーが拾えたので帰宅しました。
【何を考えましたか?】
テレビを見ることはできましたが、全体がよく分からず、「大変な事が起きた」というだけでした。阪神・淡路大震災を経験した関西の大学の先生が一緒にいて、「被害の広がりなどが分かるのは明日の朝以降だよ」と言っていましたが、その通りになりました。
続いて、春本先生に書いていただいたものをご紹介します。
【3・11にどうしてましたか?】
大正大学の233の教授室の自席におりました。何か少し揺れ出して、そのうちに棚の本や段ボールが落ちて来ました。立ち上がって本棚の倒壊を防ごうとしたら、地震の揺れの為に床に尻もちをついてしまいました。揺れが終息してから、茨城の自宅に電話をしたら庫裏の瓦屋根が落ち、書斎の本棚から本が飛び出して書斎の中は滅茶苦茶だとのことでした。そこで直ぐに帰途に就こうと考えました。しかし、板橋の駅に行っても電車は動かない、復旧の見透しは立たない、タクシーは2時間待っても1台も来ないという有様でした。その時に、茨城の自宅に戻ることよりも、文京区に住んでいる弟のことを思い出し、何度も携帯電話をしてやっと繋がり、その日は何とか弟に世話になりました。
【何を考えましたか?】
3・11の日には弟の家族の住む文京区の家ではなくて、汐留のマンションに弟と2人でゆっくりと過ごしてはどうかとのことで、板橋の駅から汐留のマンションへ車で向かいました。普通1時間程度で行くことができるのに、この日は渋滞して5時間くらいかかりました。車の助手席に座りながら外を見ていると、たくさんの人々が歩道を足早に歩いていました。とても信じられないくらいの多くの人々が歩道を歩いていました。何か不気味でした。地下鉄も止まってしまい、バスは満員、タクシーは拾えない、・・・、そうしたら、歩くしかない。・・・地震の起きる2日前に持病の変形性膝関節症の治療に整形外科病院に行って、左膝にヒアルロン酸を注射したばかりでした。私の左膝は2週間に1度注射を打たないと膝に水が溜まってしまうのです。・・・何があるのか一寸先は闇ですので、体をできるだけ健康な状態に普段から心掛けておくことが大切なのだと思いました。・・・災難に立ち向かうには力を出さなければなりません。それには、普段から気を付けて何かと充分にしておくことか肝要だと考えます。
星野先生と春本先生は、お二人とも大学の研究室で震災に遭遇されてます。
本棚から本が飛び出し、大変、緊迫した状況で一日を過ごされたとのことです。学外の様子もその緊張感がよく伝わります。
ちなみに春本先生は、マンションのエレベータが止まっていたため、当日は、40階以上を歩いて上ったそうです。
これから、順番に他のみなさんに書いていただいたものを紹介していきます。