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鴨台会報・ホームページ連載企画「My Way -私の歩んできた道-」・・・2014年度第4回 伊藤 淑子先生 『大正大学へ着任 〜母として、教員として〜』が掲載されました
鴨台会報NO.96のホームページ連載企画
「My Way -私の歩んできた道-」
(文学部 伊藤 淑子 教授)
今回は続編 第4回
『大正大学へ着任 〜母として、教員として〜』です。
大正大学に着任後に第一子を出産。公私ともに思いもしなかった日々を過ごすことになります。仕事と家庭の気持ちの切り替えをしながらも、今だから話せる苦労があったとか。
●大正大学とご近所だった新婚時代
前回、夫を東京に残し岡山に単身赴任していた話しをしました。その後、大正大学とのご縁ができるのですが、面白い偶然があります。
結婚当時住んでいた(私は岡山と東京を行ったり来たりの生活でしたが)場所が、偶然にも上池袋だったのです。大正大学の名前はもちろん知っていましたが、地方出身で通った大学は都下、都心の地理には疎く、実は場所はよく知りませんでした。11月頃、明治通りを車で通過した時に、賑やかな雰囲気が伝わってきて、なんだろう、学園祭かな、ここに大学があったんだ、と思っていたら、それが大正大学だったのです。
その大正大学が教員を募集しているという話をいただいたときには、本当に嬉しく、弾む気持ちで応募書類を用意しました。いざ提出、という段になって、土地勘がないものですから道に迷うのを避けたくて、上池袋からタクシーに乗ろうとしたら、運転手さんに「すぐそこだよ」と言われて、恥ずかしい思いをした記憶があります。
●大正大学の大らかさ、温かさ
最初に大正大学の懐の広さに心を打たれました。子宝は授かりもので、着任当時、ちょうど第一子の出産を控えていました。その状態の私を、温かく迎え入れてくれたのが大正大学です。恩師や先輩には、「夏休みに出産しなさい、授業に絶対に穴をあけるな」と教えられてきて、出産は夏でしたが、妊婦というのは労働的には不利です。あとになって学生たちには「ずいぶん太った先生だと思った」とからかわれたりもしましたが、心の広い大学だと感動しました。微力ではあっても、一生懸命に励みたい、力を尽くしたいと思いました。
当時は研究室が個室ではなく、一つの教授室に同じ学科の教員が集まる職員室のようになっていて、これもとても新鮮でした。いつでも相談事ができたり、教えてもらえたりで、その交流がとても嬉しかったです。着任当時お世話になった先生の何人かはもう故人ですが、どれほどたくさんの支えと教えをいただいたか、感謝でいっぱいです。
大正大学文学部英語英文学コース 平成3年度卒業記念謝恩会
(前列左から3番目が伊藤先生)
●家事と仕事と
その後大正大学で私は4人の子どもを出産しました。時間が比較的自由な大学教員だから仕事を続けながら子育てができたのだと思います。それでも家庭と仕事はなかなか両立しがたいものです。
他の先生はゼミのコンパで遅くまで学生に付き合うことができますが、私はそうはいきません。ベビーシッターさんを頼んだら高いお金がかかります。それほど遅くまで家を空けることもできません。そんなこともあって、学生を当時住んでいた夫の社宅に招いてホームパーティーのようなことをしていました。学生たちが十数人も押しかけてきて、近所迷惑も多少はかけたかもしれませんが、大正大学の学生たちはマナーを心得ていて、苦情を言われることもなく、鍋とホットプレートで、楽しい時間を過ごしました。
実はこれまで、学生の前では子どもの話を極力避けてきました。家庭と仕事のことを考えると利害が対立するのは当然です。大学正門をくぐったら学生のことを、出たら子どものことを、と気持ちに区切りをつけるように心がけてきました。いまでも子どもや家庭を理由に仕事を疎かにしないということは、私なりに守っているつもりです。
ご家族との一枚
次回のテーマは「時代や学科の移り変わりとともに」。アメリカ文学に基盤を置きながらも、ディズニー、ファンタジーなど、授業のテーマの広がりについてお話しいただきます。