学部・大学院FACULTY TAISHO
宗教学専攻
台湾調査① ~二二八記念館~
2月27日~3月9日の日程で、寺田喜朗先生の台湾調査に同行する機会をいただきました。日系新宗教教団(生長の家、創価学会、真如苑)への聞き取り調査をはじめ、台北市を中心に二二八記念館、芝山公園、龍山寺、行天宮、金寶山、陽明山第一公墓など様々な場所を訪れました。本記事では、二二八記念館について報告したいと思います。
3月1日(日)、台北市中正区にある二二八記念館を訪れました。本館は、二二八事件の舞台の一つとなった場所で、元々は台湾ラジオ放送局(旧・台湾放送協会本部)でした。事件の犠牲者を追悼する二二八和平記念碑とともに、二二八和平記念公園内にあります。
訪問した日は2月28日(二二八和平記念日)を含む連休中だったため、無料開館日でした。館内では、事件の概要や当時の台湾の様子が写真や映像で分かりやすく解説されており、1階から2階へと歩みを進めるにつれて事件の流れがつかめるような展示になっています。まず、二二八事件の概要について簡単に説明します。
▼二二八事件
二二八事件とは、1947年2月28日に台北市で勃発し、その後台湾全土に拡大した、本省人(台湾人)と外省人(台湾光復以降大陸から移住してきた中国人)の衝突を契機とした本省人の蜂起と、その後の外省人による大規模な虐殺事件のことです。
同年2月27日、闇タバコを販売していた女性が官憲(警察官4人と専売局密売取締員6人)に摘発され、商品と所持金を没収された上、暴行を受けました。その様子を目の当たりにした人々が彼女を助けようと集まると、取締員が発砲し、一人が犠牲となりました。この事件を契機に、市民たちの国民党政府に対する鬱積した不満が爆発したのです。翌28日、デモ隊が市庁舎(旧総督府)前へ押し寄せ、政府側も強硬姿勢を崩さず市庁舎屋上から機関銃を掃射し、多くの死傷者を出しました。これを受けて人々は台湾ラジオ放送局(現・二二八記念館)を占拠し、ラジオで事件の発生を知らせました。こうして蜂起は瞬く間に台湾全土に広がることとなりました。
3月8日以降、騒動鎮圧の名目の下、鎮圧部隊による残虐な殺戮が繰り広げられました。この事件での犠牲者はおよそ28,000人にも上ると言われていますが、実際はさらに多いという説もあり、現在もなお政府や民間による調査が行われています。
▼二二八事件後の台湾
事件後に発令された戒厳令により、二二八事件について発言することは禁止され、戒厳令が解除される1987年まで40年もの間、人々は抑圧された生活を強いられました。戒厳令解除後も国家安全法により言論の自由が制限され、1992年の法改正をもってようやく言論の自由が認められました。
事件前後の流れについての展示
▼貴重な出会い
館内を回っていたとき、ある台湾人のおじいさん(80歳代。以下、Kさん)が中国語で「こちらに来なさい。(展示を指さしながら)僕はこの中学出身で…」と話しかけてきました。そこで「私たち、日本人なんです」と言うと、ぱっと笑顔になり「そう、日本人かね」と日本語に切り替えて当時のことを詳しく教えて下さいました。Kさんは日本統治時代に教育を受け、日本に留学経験もある方でした。
Kさんは二二八事件や当時の台湾情勢をはじめ、日本軍や国民党軍、日本での生活など、御自身にまつわるエピソードを当時の想いを交えながら率直に語って下さいました。途中で、事件の犠牲者の顔写真が貼られたパネルの中に亡くなったご友人を見つけ、「久しぶりに顔を見た」と声を詰まらせる場面もありました。このときのKさんの姿は忘れることができません。Kさんは、普段、事件のことを思い出したくないため記念館を訪れることはないそうですが、「年に1度だけ、2月28日前後には必ずここに“会いに”来るんだ」とおっしゃっていました。
犠牲者の写真の中からご友人を探すKさん
今回の訪問で、記念館や博物館などを訪れる際は予習が必要かつ有効であると強く感じさせられました。私たちは今回の台湾調査に向かう前、寺田先生の大学院ゼミにて先生の著書『旧植民地における日系新宗教の受容―台湾生長の家のモノグラフ―』を輪読しました。それにより台湾の歴史、とくに二二八事件以降の「抑圧の歴史」や、その時代を生きた台湾の人々が抱いた思いなど、本書を通して文字上の知識は得ていました。
しかし、今回Kさんという「時代の生き証人」のお話を伺ったことにより、台湾に関する知識が私自身の「経験」へと変わりました。Kさんは感情を込めて当時のことをありありと語って下さり、まるで文章が映像化され、当時の様子がリアルに浮かび上がってくるような感覚を覚えました。Kさんとの出会いにより、台湾の人々の記憶が心に深く刻まれ、非常に有意義で忘れ難い一時となりました。偶然居合わせた私たちに時間を惜しまず貴重なお話をして下さったKさんに心から感謝いたします。
次回は、台湾の伝統的寺院・廟である龍山寺と行天宮について報告いたします。
(文責:大場あや)