学部・大学院FACULTY TAISHO
宗教学専攻
【宗教学専攻】高野山へ研究室旅行に行きました
9月9日の日本宗教学会(学会参加記はこちら:前編・後編)終了後、大正大学宗教学研究室では、一泊二日の研究室旅行として高野山を訪問しました。高野山は、816年に弘法大師(空海)によって開かれた仏教の一大聖地であり、真言密教の中心地です。
参加者は、村上興匡先生、寺田喜朗先生、星野壮先生と、院生4名、OB1名の計8人でした。
9日は、増福院という宿坊にて一泊しました。ここは、平安時代の武将であった源満仲(多田満仲)の三男である源賢により開かれた真言宗の寺院です。
翌朝、宿坊では、朝のお勤めにも参加させていただき、普段では体験できない、僧侶の生活の一端に触れる貴重な機会であったと思います。また、近年増加している海外旅行客への対応など、寺院の工夫についても学ぶことができました(当日も我々の他は、欧州からの宿泊客で占められていました)。増福院を後にした私たちは、金剛峯寺を訪ねました。
金剛峯寺は、奥之院弘法大師御廟を信仰の中心とした、高野山真言宗3,600ヶ寺の総本山です。今回は特別に、金剛峯寺の清原幸仁総長公室課長にご案内いただきました。初めに主殿を拝観し、法会等の仏事で用いられている大広間や、豊臣秀吉の甥であり、秀吉より関白を継いだ秀次が切腹した柳の間など、各部屋の歴史や、どのような行事に用いられるかなど詳しく教えていただきました。各部屋からは、その歴史に裏付けられた、厳格な雰囲気を感じられました。また、高野山の内部に纏わるお話もしていただきました。
主殿を見学したのち、根本大塔、金堂、壇上伽藍などを拝観しました。根本大塔や金堂は、開創当時、根本道場や講堂としての役割を担っており、内部はとても壮大で圧倒されました。境内では、それぞれの説明に加え、現在高野山が行っている修繕作業(血曼荼羅の複製作業など)やメディアに纏わる真言宗の本山としての対応などのお話を伺うことができました。
境内では、台風による杉の倒木などの被害を目の当たりにしました。その際、高野山の森林保護の部署である山林部によって、台風による倒木を林業に用いていることなど、高野山の自然に対する向き合い方も同時に学ぶことができました。
午前中最後は、高野山の資料館である霊宝館を訪ねました。霊宝館は、山内の文化遺産の保護と一般への公開を目的に、1921(大正10)年に開設されたものであり、収蔵施設の一つである放光閣は開設当時のままの建物で、有形文化財に指定されているとのことでした。館内には、国宝や重要文化財といった仏像や、絵画、出土品が展示されていました。また、当日は「もののふと高野山」という企画展が行われており、高野山と武士の関係なども学ぶことができました。霊宝館を訪問した後、昼食を挟み、奥之院を訪ねました。
奥之院は、弘法大師の御廟がある聖域です。御廟までの約2キロにわたる道のりには、様々な企業が建立した「企業墓」や、織田信長の供養塔や豊臣家の墓所といった諸大名の墓石など、20万基を越える墓、慰霊碑、供養塔が立ち並んでいます。中には、楽書塚やお化粧地蔵など一風変わったものも見られました。ですが、ここでも台風の影響は例外ではなく、倒木による墓石の倒壊などの被害がみられました。
奥之院では、御廟にて弘法大師が現在でも修行をされているといわれており、大師信仰に触れることができました。弘法大師の御廟の手前には、灯篭堂があり、内部の拝殿もさることながら、内部から地下に至るまで数万基の灯篭が奉納されている光景は、弘法大師に対する信仰の篤さを感じました。
筆者(中塚)は、高野山を訪れたのは今回が初めてであり、真言宗の本山として高野山が現在でも重要な意味を持っていることなど、多くの気付きを得ました。また、海外旅行客の増加といった新たな参拝者への対応や、自然災害による影響とその対応など、歴史や教義以外の面でも多くの学びがありました。
最後になりますが、大雨のなか大変丁寧にご案内して下さった清原さん、また、このような機会を作ってくださった先生方に、心から感謝いたします。
(文責:中塚豊)