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宗教学専攻

【宗教学専攻】哲学研究者への道 ――人文系学問の研究者をめざす人たちへ――

哲学研究者への道
――人文系学問の研究者をめざす人たちへ――
大正大学教授・星川啓慈

 今年(2023年)の8月23日、愛媛県の今治西高等学校において、「哲学研究者への道」というタイトルで講演をしました。高校生にむけての話ですが、現在、進学を考えている大学の学部学生、大学院生、30歳位までの研究者志望の方に読んでいただいても、充分に読みごたえがあると思うので、ブログとして当日の講演内容と質疑応答をアップするしだいです。
 ただし、サブタイトルは、この度、新たにつけくわえました。また、講演内容は当日のものよりやや詳しくなっていますし、質疑応答は時間が足りなかったため大幅に加筆しています。最後の質疑応答では、「芭蕉の俳句のウィトゲンシュタイン的解釈」にまで話が及んでいます。
 ブログとはいっても、全部で約25000字と非常に長いので、最初にポイントシステムで「目次」を示しておきますから、興味のある部分だけでも読んでください。
 なお、講演では「キャリア教育の一環だから、自分自身のことを話してほしい」とのことでした。そこで、70歳に近いこともあり、これまで誰にも言わなかったことも、恥ずかし気もなく書いています。

許可番号:d20230828-03

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目次

Part Ⅰ 講演内容

0 はじめに 
0.1 ご挨拶
0.2 好きこそものの上手なれ

1 私の研究生活から――人との出会いと、ある論文の執筆
1.1 「好きこそものの上手なれ」と私の大学生・大学院生時代の生活
1.2 ある研究テーマとの出会い
1.3 ある外国人研究者との出会い
1.4 私の研究者人生でもっとも印象に残っている論文の執筆

2 研究者になりたい人へのアドバイス
2.1 若い時の思考が生涯を決定づける
2.2 研究職に就くには「努力」と「運」が必要である
2.3 研究者になるための日頃の生活態度や生活の仕方
2.4 研究者がおかれている現状
2.5 今後の人文系研究者に必要なもの
 2.5.1 PC/IT
 2.5.2 英語力
 2.5.3 柔軟な思考力

3 おわりに

Part Ⅰの註

Part Ⅱ 質疑応答

1 哲学は現代社会をどう下支えしているか?
1.1 「知的な公共事業」「知のインフラ整備事業」としての哲学
1.2 「領域横断的な知」「諸学問間を横断する学問」としての哲学

2 哲学の研究は「真理」を解明するものだと思うが、星川の研究のポリシーは何か?
3 ウィトゲンシュタイン研究の一端を、高校1年生にも分かる言葉で紹介できないか?
4 これまでの話を「俳句」と関連づけることはできないか?

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Part Ⅰ 講演内容


0 はじめに
0.1 ご挨拶
 「宗教哲学」を研究している、大正大学の星川です。本日は、よろしくお願いいたします。
 私は著名な研究者ではありませんが、研究者の世界の片隅で慎ましく生きている1人の研究者として、皆さんにお話しさせていただきます。いただいたタイトルは「哲学研究者への道」ですが、本日お話しすることは、哲学のみならず、広く人文系(さらには社会科学系)の学問についてもいえることだと思っています。
 これからの話のなかで「研究者」という言葉が頻繁に登場しますが、哲学をふくむ人文系の学問の場合、「研究者」は「大学の教員」であることが多いです。ただし、会社員であっても高校の教員であっても、「研究者」になることは、強い信念があれば可能です。また、「哲学研究者への道」というと、時間的なプロセスをイメージするかもしれませんが、テーマ別の話になることが多いことを、ご了承ください。

0.2 好きこそものの上手なれ
 まず、哲学研究だけではありませんが、「学びたい学問領域がどれだけ好きであるか」が重要になってきます。「好きこそものの上手なれ」という諺がありますが、やはり、「ある物事をどれだけ好きになれるか」がポイントだと思います。
 アメリカのMLBで活躍している大谷選手が「どれほど野球が好きか」は、皆さんも感じ取ることができるでしょう。彼は野球が本当に心底好きであることが、「二刀流」のプレーからのみならず、その立ち居振る舞いや自己管理からもひしひしと伝わってきます。
 一般論として、研究者になるにはやはり「研究や学問がどこまで好きになれるか」が大切なのです。研究者になるには、辛いこともけっこうあります。自分の研究と直接かかわることであれば、苦しくても我慢できるでしょうが、勉強をつづけるために睡眠時間を削ってアルバイトしなければならないとか、場合によっては面倒な人間関係のなかで生き抜かなくてはいけないとか、さまざまな想定外の出来事に遭遇するとか、研究に関係ないことで辛いこともあるでしょう。しかしながら、困難に直面したときでも、「研究が心底好き」であれば、なんとか凌いでいけることが多いのではないでしょうか。


1 私の研究生活から――人との出会いと、ある論文の執筆
1.1 「好きこそものの上手なれ」と私の大学生・大学院生時代の生活
 私は筑波大学出身ですが、当時の筑波大学は草創期で、周りに遊ぶところはなく、学部の3年生から大学院にかけては、だいたいにおいて本を読んで、お酒を呑んで暮らしました。そうした中で「どうして研究者になることを決心したか」というと、「本を読んでいろいろと考えることが楽しかったから」です。大学ではさまざまな小論文を書かされましたが、興味のある課題については、とにかく書くことが楽しかったです。課題の詳細は失念しましたが、大学2年の時に「文字数制限はなし」という哲学の小論文を書きました。なんの苦痛もなく、1万字くらいのものを楽しく書きました。とにかく、書くことが好きでした。これは研究者生活を始めるようになっても、継続しています。これまで、限られた時間の中で比較的順調に出版活動ができたのも、もともと「書くことが好き」だったからです。
 また、どうして「宗教哲学」を専攻するようになったかというと、やはり「その方面の本に惹かれたから」ということになります。しかし、視野を広げるために、特定の分野の本に限らず、多様な分野の本を読みました。
 とにかく、「研究対象や研究すること自体が好きであること」、これが研究者を志す人に最も大事な要素です。

1.2 ある研究テーマとの出会い
 研究テーマは自分で設定する場合もあるでしょうし、偶然的な出会いによってもたらされる場合もあるでしょう。私はいくつもの研究テーマに取り組んできましたので、前者の場合もありますし、後者の場合もあります。ここでは、後者の例として1つお話ししたいと思います。
 私は修士論文までは「宗教社会学」という学問を専攻していたので、社会学や人類学の本はかなり読みました。大学院生のとき、R・ニーダムという人類学者の『信念・言語・体験』(1972年)という本を読んでいると、哲学者のL・ウィトゲンシュタイン――ウィーン生まれの哲学者、1889年-1951年、異色の哲学者として現代の哲学に大きな影響を与えている――の名前が頻繁に登場していました。その後、そのウィトゲンシュタイン自身の諸著作を読み進めるようになったとき、論理学の著作である『論理哲学論考』(1921年)の最後の言葉(=人は、語りえないものについては、沈黙しなければならない」という謎めいた言葉)が、気になるようになりました。この言葉は「いったい何を/どういうことを述べているのだろう」という問題意識が、意識的/無意識的に、いつも脳裏に存在するようになったのです。
 私はウィトゲンシュタインの研究に集中していたわけではありませんが、この問題意識に自分なりの解答をあたえるのに、なんと35年ほどかかりました! どういう解答をあたえたのかについては、一言で申し上げられないので、『増補・宗教者ウィトゲンシュタイン』(法蔵館文庫、2020年)をお読みいただくほかはありません。この言葉の解釈については、研究者が10人いれば10人とも解釈は異なるでしょう。私の解釈を容認しない研究者も、もちろんいます。
 この本の最初の版は、『宗教者ウィトゲンシュタイン』というタイトルで、34歳のとき(1990年)に出版しました。しかし、高名な研究者など複数の読者から「ウィトゲンシュタインを宗教者として解釈するのはおかしい」と手厳しく批判されました。しかし、私は自分の見解にそれなりの自信がありました。欧米ではそうした研究がすでに現われていたのですが、日本ではそうした研究はほとんどなく、小著とはいえ1冊の「本」として出版されたのは(管見のかぎり)私のものが最初です。
 その後、それまで一般には知られていなかったウィトゲンシュタインの2冊の日記(『哲学宗教日記』『秘密の日記』)が世に知られるようになり、「この哲学者には濃厚な宗教的側面があること」が、日本でも認識されるようになりました。そして、最初の出版から30年たって(2020年)、その2冊の日記についての私の論考を取り込み、『宗教者ウィトゲンシュタイン』を大幅に加筆して、『増補・宗教者ウィトゲンシュタイン』というタイトルで、文庫本として出版しました。一部とはいえ、彼の自筆の原稿にまで目配りし、内外の種々の研究書や論文も参考にしながら導いた結論は「そう簡単には覆えされない」と思っています。30年もたって再評価されるというのは、私の執筆活動のなかでも唯一の例ですし、その喜びもひとしおです。
 「ウィトゲンシュタインの謎めいた言葉をいかに解釈するか」というのは、偶然に出会った研究テーマですが、中断した時期もあったもののしつこく35年も追い続けて、その間、楽しむことができました。もちろん、研究にはさまざまな形の休息も必要ですし、自分の研究テーマから離れることもあるでしょうけれど、基本的に「自分が取り組んでいる研究テーマについて執拗なまでに考え抜くこと」が研究者には求められます。

1.3 ある外国人研究者との出会い
 私は「宗教間対話」という分野に10年ほど関わりました。世界には多様な宗教が存在しています。「現代において宗教は時代遅れのものだ」と認識している人がいれば、それは大きな間違いです。いま(2023年8月現在)、ウクライナとロシアが戦争をしています。宗教は本来的には人間を救い、世界に平和をもたらすべきものですが、宗教には戦争を後押しする/エスカレートさせる側面があります。これは世界中の宗教学者も容認している事実です。ウクライナとロシアの戦争でも、最初の時期に、ロシア正教会のトップであるキリル総主教はプーチン大統領の強力な支持者であることが、報道されていました。
 この一方で、宗教者たちが世界から集まり、一堂に会して平和のために祈ったり(比叡山宗教サミット)、国際的な平和会議(世界宗教者平和会議)を開催したりしています。世界平和の実現は人間であれば誰しもが願うことです。しかし、宗教には戦争を促進させるという負の側面もあります。仮に(あくまでも仮に)経済や政治という世俗的な事柄だけが戦争と関わっているのであれば、敵対関係にある人々が憎しみあう度合いは、宗教がからむ戦争よりも少ないのではないでしょうか。ハンチントンやユルゲンスマイヤーという著名な研究者は、宗教と戦争が絡み合うことにより、敵対関係にある人間同士の憎しみが増幅されたり、戦争の期間が長引いたりすることを論じています。
 私が宗教間対話を研究しようと思った動機の1つ は、「そうした諸宗教が対話することによって、世界に平和が訪れる可能性を探究できないか」と思うようになったことです。宗教間対話の意義については私なりの見解を著書・論文で示しましたが、残念ながら、現在では「宗教間対話によって世界に平和をもたらすことは難しい」という認識にいたっています。
 それはさておき、驚いたことに、ある中国の研究者が私の書いたものを実に丹念に読んでいました。ある時、大学の同僚から「星川先生に会いたがっている中国の研究者がいるけれど、会ってくれるか」と尋ねられました。反射的に「いいですよ」と返事しましたが、その理由は不明でした。しかし、その研究者・陶金氏に会って驚いたのは、私の書いたものを実に丁寧に読んでいたことです。もちろん、日本語で読んでいました! 
 陶氏は、宗教間対話に関連するテーマで博士論文を執筆するために、日本に留学していたのです。数回にわたって宗教間対話について話し合いましたが、その後帰国して、無事に博士号をとることができました。陶氏は、今では中国の大連にある大学で、日本語や日本文化や宗教学を教えたり研究したりしています。
 この「人との出会い」の話は、これで終わりではありません。その後、陶氏は、⑴私の論文を『世界宗教文化』(2016年、第1期)という中国の学術誌で掲載されるように翻訳してくれた(「宗教对话的难题与突破困境的方法」)うえに、⑵私の宗教間対話をめぐる研究を論じた彼女自身の論文「宗教对话的“超越”与“回归”——星川启慈宗教对话理论述要」を『世界宗教研究』(2016年、第1期)という学術誌に掲載してくれたのです(サブタイトルに私の名前「星川启慈」が見られます)。ついでながら、両誌とも中国で権威ある学術誌だそうです。外国語である日本語で書かれた私の著書・論文を丹念に読んでくれただけでもうれしいのに、私の論文を中国語に翻訳してくれたうえに、私の宗教間対話論をめぐる研究論文を彼女自身が執筆してくれたことは、研究者冥利につきます。さらに、私の著書『対話する宗教――戦争から平和へ』(大正大学出版会、2006年)の翻訳も手掛けてくれたのですが(訳稿はほぼ完成しているそうです)、現代の中国の出版事情ではなかなか出版まではこぎつけられないようです。残念ですが、翻訳の労をとってくれたことだけで感謝の気持ちでいっぱいです。

1.4 私の研究者人生でもっとも印象に残っている論文の執筆
 研究者として恥ずかしい話ですが、私には英文で書いた論文は1つしかありません―― A Schutzian Analysis of Prayer with Perspectives from Linguistic Philosophy”。しかしながら、後で述べる共著者のウィーン大学の研究者の名前のおかげもありますが、ダウンロード数は現在(2023年8月)世界で5,300を超えます。この論文が英文の学術誌に発表されることになった、その研究者とのやりとりは、私の生涯においてもっとも感動的なものでした。「学問をやっていてよかった!」とこれほど強く感じたことはありません。この論文の完成には、⑴先に述べた「人との出会い」という要素もありますし、⑵苦労に苦労をかさねて最後に英文で自分の見解を世界に問うことができましたし、⑶インターネットを通じて「世界と結ばれた」という実感が生まれて初めて湧いてきたりしました。この論文の執筆に、「わが研究者生活が凝縮している」ように感じられます。
 この論文を執筆することになったのは、日本のある研究者から「複数の審査員の査読(=審査)が2回あって没になるかもしれないが、トライしてみないか」というお話をいただき、「これも何かのご縁だろう」と思って引き受けたことが、きっかけです。しかし、投稿先のHuman Studies 誌から示された執筆要綱(=学術誌に論文を執筆するさいの形式的決まりごと)は英文で10頁をこえるもので、これを読むだけで疲れました(笑)。
 何度も何度も(細かな訂正をいれれば数十回)書き直しながら、また業者に英文のチェックも依頼しながら、1年半くらいかけてようやく論文を書き上げました。その論文は、以前に発表した論文をバージョンアップしたものでした。しかし、私の投稿論文にたいする査読結果を見て私は大変なショックをうけ、しばらくは立ち上がれませんでした。ほとんどすべて厳しいことばかりで、まさかそこまで言われるとは思いもよりませんでした。私も研究者が書いた論文を査読することがありますが、それほどコメントを厳しく書いた経験はありません(笑)。そこで、「もう論文の投稿は取りやめる」旨を、Human Studies誌に伝え、全身から力が抜けていくのを感じました。
 「ギブアップするのは、さきのウィトゲンシュタインの言葉の解釈の話と矛盾するじゃないか」と皆さんは感じるかもしれません。たしかにそうですが、この時ばかりは、ギブアップしました。
 論文取り下げの意思を伝えた日の2日後だったと記憶していますが、見知らぬ人からメールが来ました。そのメールの送信者は、Human Studies誌の特集「アルフレッド・シュッツと宗教」の編集者であるM・シュタウディグル氏でした。彼は査読者(審査員)ではありませんでしたが、特集の責任者として、私の論文を読んでいたのです。そのメールでは、「辛辣なことが2人の査読者から書かれていると感じているようだが、どの事項を読んでも、貴方の論文が掲載に値しない旨を述べているものはない。むしろ、さらに洗練されたものにするための意見を書いてくれている」と慰めてくれて、2人の査読者による1つひとつのコメントの旨を解説してくれました。そして、「貴方の発想はユニークなので、原稿を撤回せず、ぜひもう一度トライしてほしい」と励ましてくれました。
 ヨーロッパで活躍しているシュタウディグル氏のことは、その時までまったく知りませんでした。今でも会ったことはありません。彼は、まったく見ず知らずの私が書いた論文の内容を評価してくれ、辛辣なコメントの解釈を教示してくれ、さらに「諦めないでほしい」と励ましてくれたのです。私は感激して、すぐさま再挑戦することにしました。抜けたはずの力もしだいに回復してきました。
 その後も、辛い改稿作業の連続となりましたが、最終的にシュタウディグル氏との共著論文というかたちで、2017年に、無事にHuman Studies誌に掲載されました。さらに4年後、その特集号を私が翻訳して、『シュッツと宗教現象学――宗教と日常生活世界とのかかわりの探究』(明石書店、2021年)というタイトルで出版しました。刊行日は私の65歳の誕生日です。眼病を患っている私には、翻訳の作業も大変に辛い作業でしたが、訳書ではシュタウディグル氏への献辞を書き、8年近くにわたる一連の仕事が終わりました。

2 研究者になりたい人へのアドバイス
2.1 若い時の思考が生涯を決定づける
 33歳のとき、『ウィトゲンシュタインと宗教哲学――言語・宗教・コミットメント』(ヨルダン社、1989年)という初めての著作を出版しました。それから今年(2023年)で34年たちますが、この33歳の時の本で示された思考が、私の生涯の思考パターンを決定づけています。たとえば、⑴ウィトゲンシュタインを哲学者と同じくらい「宗教者」として解釈すること、⑵普遍主義/絶対主義的な立場よりも個別主義/相対主義に近い立場にたつこと、⑶多元的なものとして「現実/リアリティ/世界」を把握することなどです。
 当時は、「この本に見られる私の思考パターンが、30年以上たっても基本的に変わらない」などとは想像すらしなかったのですが、今になって振り返ると、結果的にそのようにいえます。考えてみれば、「30歳ころに身に着けた思考の枠組みから外に出られない」ということは、恐ろしいことですね。さらにいえば、すでに30歳以前に、そういう思考パターンで物事を考えていたことになります。それだけ「若いうちの研究活動が重要」だということです。もちろん、そうでない人もいることは、いうまでもありません。
 時どき、「新しい状況に適応しないと脳が劣化する」「成長はそれまでの思考の枠組みを打ち破ることでもたらされる」という趣旨のことを見聞きします。たしかに、70歳近くになると「これは真実だなぁ」と感じることもあります。
 しかし、本質的な深いレベルで、人はそれほど簡単に「新しい状況に適応」できるでしょうか、それほど簡単に「それまでの思考の枠組みを打ち破れる」でしょうか。やや表現を変えると、「若いころに醸成された自分の価値観・世界観・物事の認識の仕方といったものは、歳をとってもそれほど簡単に変わるものではない」ということです。これまでの読書などからは、主観的記憶にすぎませんが、私と同じように「30歳くらいまでに自分の基本的思考パターンが決定づけられた」という研究者も多いように感じます。
 もちろん、表層的なレベルで技術的に状況に適応する(たとえば、使用していなかったパソコン(PC)を使用して仕事をする)ことは可能でしょう。しかしながら、やはり「深層的な思考パターンや思考の枠組みは若いうちに形成されて、その後もラディカルな変化はなかなかしない」ように感じます。とにかく、若い時期に「どういう本を読むか、どういう研究と出会うか、どういう生活をするか」が後々にも影響を及ぼすということです。

2.2 研究職に就くには「努力」と「運」が必要である
 現在、人文系の学問――社会科学系の学問でも自然科学系の学問でも事情は似ていますが――において、「研究職にありつくには〈努力〉と〈運〉の両方が必要」です。生まれながらの「才能」は、天から与えられたものなので、これについては自分自身ではどうしようもありませんから、ここでは述べません。
 人生に「運」はつきものですが、運を呼び寄せる/運を自分のものとするには、日頃の努力や生活態度によることころが大きいのではないでしょうか。私の記憶が正しければ、かつての巨人軍の監督である川上哲治氏は「試合に勝つか負けるかは時の運による。しかし、その運を呼び込むのは練習だ」と語ったそうです。これには多くのスポーツ選手が共感するでしょう。これを本日の話の文脈で言いかえれば、「研究職にありつけるか否かは、かなりの程度 (すべてではありません)、日頃の学問・研究に対する姿勢による」といえるでしょう。
 M・ウェーバーという社会学の碩学は、死の1年前(1919年)に出版した小さな本(『職業としての学問』)のなかで、「大学に職を奉ずる者の〔昇進をふくめた〕生活はすべて僥倖〔=思いがけない幸せや偶然に得る幸運〕の支配下にある。若い人達から就職の相談を受けた場合にも、われわれは彼に対して自分の言葉の責任を負うことはできない」と断じています。これはすでに大学に職を得ている研究者について述べられたことですが、ウェーバーは間違いなく、「大学に職を得ることも僥倖の支配下にある」と断じるでしょう。
 研究職に就けるか否かは、現実問題として、「運」によるところが大きいです。しかしながら、日頃の学問・研究に対する姿勢がいい加減なものであれば、運は自分に巡ってこないのではないでしょうか。

2.3 研究者になるための日頃の生活態度や生活の仕方
 研究者といえども、研究だけに集中できるわけではありません。私自身、長距離通勤もありましたし、子育ても大変でしたし、入院することもありましたし、種々の人間関係の対処にも苦労しました。また、お酒も好きですし、趣味のサイクリングは40年以上も続けています。しかし、それでも基本的に、いろいろと工夫しながら研究を中心にした生活をしてきました。とくに、時間的に余裕のあった20歳から30歳くらいまでの読書を中心とする研究時間は、1年365日を通じて平均5時間くらいだったと記憶しています。計算すると、10年間で「18,250時間」です。これを多いとみるか少ないとみるかは人によるでしょうけれど、私としてはそれなりに頑張ったつもりです。
 さきほど、「日頃の学問・研究に対する姿勢」といいました。あまり公言したくありませんし具体的には述べませんが、研究時間を確保するために、「エゴイスティックな行動」をとったこともあります。これは、研究者を志す人やすでに研究者になった人が、研究時間を確保するために、ある程度(あくまでも「ある程度」)は必要なもののような気がします。その理由は、「研究するには多くの時間を必要とする」「時間がないと絶対に研究はできない」からです。学識も高く人格も素晴らしい研究者はたしかにいます。しかし、自分の研究時間を確保するために、多くの研究者は、周囲に見えるかたちで/見えないかたちで、エゴイスティックにならざるをえない、という面もあります。
 やや極端に聞こえるかもしれませんが、実際に過去に見聞した例をあげると、「事務仕事は一切しない」「週1日しか出勤しない」「担当科目は2科目しかもたない」「学部学生の面倒はみない」で押し通す大学教員もいました。もちろん、大学の生き残りがかかっている現在の日本の大学では、ここまでエゴイスティックな大学教員は激減しているでしょう。別のいい方をすれば、大学教員にとって、昔はそうしたことも(倫理的には問題があるにせよ)許される古き良き時代であった、ということでもあります。
 とにかく、研究者を目指す人は(すでに研究者である人も)「日頃の学問・研究に対する姿勢が大切であること」と「可能な限りの研究時間を確保するために種々の工夫をすること」とが肝要であると、肝に銘じておいてください。

2.4 研究者がおかれている現状
 先ほども述べましたが、いま人文系の学問がおかれている状況は、率直にいって、非常に厳しいです。社会の変化にともなって各大学の教員の構成が変わってきています。たとえば、いわゆる「実務系」の人たちの採用がどの大学でも大幅に増えています。実務系の大学教員の採用を決して批判しているのではありません。今ではそういう教員を大学も社会も求めています。しかし、その皺寄せが、人文系の学問を志す若い学徒の就職の門を狭めているのも事実です。
 また、大学教員の仕事も、年をおうごとに増えています。私が大学生だった50年前、日本の人文系の大学教員は楽だったと思います。それは、例えば、さきほど紹介した大学教員の我儘が許されることにも象徴されています。つまり、昔の大学教員は主として自分の研究をやっていればよかったわけです。
 しかしながら、現在の大学教員のほとんどは多忙です。たとえば、学部・大学院での授業はもちろんのこと、思いつくままにあげても、一般的に次のようなものがあります(現在の私がそのすべてに携わっているわけではありません)。1年で何度もおこなうオープンキャンパスや入学試験(試験問題の作成をふくむ)、増え続ける会議や事務仕事(毎日くるメールへの対処をふくむ)、Zoomなどによる高校生や高校教員などからのインタビューや高校への出前授業、卒業論文・修士論文・博士論文の指導ならびに審査など、こうした大学内での仕事をこなさなければなりません。くわえて、大学外で、所属学会の運営にかかわるいろいろな仕事(投稿論文の査読をふくむ)や地域との連帯のための諸活動などもありますし、種々のハラスメントが生じた場合にはそれらに対応しなければなりません。また、今日では、「学生による教員の評価」にも気をつかわなければなりませんし、インターネットで種々の成果を発信して自分の存在を大学内外にアピールしなければなりません。こうして、研究に専念できるはずの長期休暇でも、頻繁に出校したり、自分の研究とは関係のない所用にとりくんだりしなくてはならないのです。
 こうしたさまざまな仕事をこなしたうえで、やっと初めて、読書、調査、著書・論文の執筆、内外の研究会・学術大会・シンポジウムでの発表やそれらへの参加など、いわゆる研究者本来の仕事ができる時間をもつことができるのです。先ほど述べたように、「いかに研究時間を確保することが大切か」がおわかりでしょう。

2.5 今後の人文系研究者に必要なもの
 2.5.1 PC/IT: PCは今や誰もが使っている文房具の1つといっていいでしょうから、超IT弱者の私がこれについて語る必要はありません。しかしながら、1つだけいわせてもらうと、「PC/ITの進化が学問のやり方を変えていく」ことはあると思います。たとえば、宗教学では、データさえ集めれば難しい理論を深く勉強しなくても、そのデータの解析にその理論を応用できるソフトもあって、これを活用した研究も少し前から登場しています。どんどん開発されるツール(後で言及する翻訳ツールの「DeepL」もふくめて)をうまく使えるか使えないかによって、自分の研究の進展が影響をうけると思います。是非、PCを使いこなせるようになってください。
 2.5.2 英語力: 「地球村」(global village)という言葉が登場したのは、1960年代だったと記憶していますが、それ以降も世界は驚異的なスピードで小さくなりました。最近は、インターネットで世界中の出来事が瞬時に世界に流れますし、国際的な会議なども自分の部屋から簡単に参加できます。そして、良いか悪いかは別として、理科系の諸学問においてはもちろんのこと、人文系の諸学問でも英語が「公用語/共通語」(昔日のヨーロッパにおけるラテン語)となりつつあります。
 これまでの日本の英語教育でも実践的な英語力の養成が強調されてきました。今後の研究者には、従来の中心であった外国語の文献を読む能力に加えて、とにかく「英語で論文を執筆する能力」が必要です。今後も性能向上が期待されるDeepLなどの翻訳ツールもありますから、こうしたものを利用することもできるでしょう。さらに、国際的な会議や学会において英語で発表して「英語で議論する能力」も求められます
 実際に最近では、大学の国際化に関連して、大学で教員を採用するさいに、「国際的な学術誌に掲載された論文があるか否か」「国際的な学会での発表があるか否か」がますます重要となりつつあります(すべての大学がこうであるわけではありませんが)。研究者を志す若い人たちは、ぜひ「国際的に通用する英語力」を身に着けてください。
 日本文学や日本史、日本の宗教現象を扱う宗教学や日本の哲学者を研究する日本哲学などを専攻する場合でも、英語で論文を書け、英語で国際的な場で議論できるといいですね。ただし、これには日本の文学・歴史学・宗教現象・哲学者などを知っているだけでは不充分で、自分が相撲をとる「土俵」(=現代世界における文学・歴史学・宗教学・哲学などの研究状況)も知っていなければなりません。もしもそういう知識があれば、そして英語力があれば、世界的に競争相手があまりいなくなるので、自分の研究を世界にアピールするには大変有利になるのではないでしょうか。
 笑い話になりますが、かくいう私自身の英語力はどうなのかといえば、先にお話ししたように、英語論文が1つしかないことに象徴されます(笑)。つまり、専門分野の英語(ドイツ語)文献を、辞書を引きながら読んだり翻訳したりすることはそれなりにできます。しかし、国際的に通用する英語ですらすらと論文を書いたり、国際的な場面において流暢な英語で議論したりすることはできません。私の世代では、大学に採用されるさいそこまでの英語力は問われなかったので、大変幸せでした。
 2.5.3 柔軟な思考力: 50年前の私の学生時代から「学際的」(interdisciplinary)な学問の必要性が叫ばれていました。現在は「学融合」「文系と理系の融合」「知識集約型学問」などの表現も目にするようになってきています。しかし、こうしたことは新しいことではなく、もっと広い目でみれば、例えば18世紀-19世紀にイギリスのミッドランド地方において、有力な学識者・自然哲学者・事業経営者・発明家・化学者・作家たちが組織した非公式の交流団体「ルーナー・ソサイアティ」(The Lunar Society of Birmingham)がありました。いつの時代にも柔軟で学際的な思考が必要でしょうし、また、「そういう思考こそが今後の研究者にますます必要とされる」と私は信じています。さらにいえば、アリストテレスの時代からデカルトをへてカントの時代くらいまでの多くの哲学者たちは、哲学という学問の性格もあって、かなり広範な学問領域に通じていました。ちなみに、カントは『自然地理学』のなかで日本について論述しています。
 狭い専門領域における込み入った話は、もちろん重要だし面白いです。これを非難する理由はまったくありません。さきほどの私の「ウィトゲンシュタインの言葉の解釈」もその一例です。その一方で、「学際的な場で話し合いをすること/できることこそが、学問・研究の醍醐味ではないだろうか」という気もします。自分の専門分野の研究を広い脈絡のなかで位置づけ、さまざまな問題やテーマに自分の視角から切り込むというのは、実にスリリングなことだと思いませんか。若い皆さんには、ぜひそういう態度を身に着けていただきたい、と思います。
 ただし、「1つの専門分野に精通するのにも大変なのに、ほかの専門分野に手を染めるなんて不可能だ」という意見もあるでしょう。それは確かにその通りですし、誰もが学際的な思考をもつ必要はないかもしれません。それでもやはり、理想をいえば、「学際的な場で話し合いをすること/できることこそが、学問・研究の醍醐味ではないだろうか」と感じます。私が出会った優れた研究者の多くは、やはり博学でどんな分野に話がおよんでも、それを楽しむことのできる人たちばかりでした。
 誤解のないようにいっておきますが、私は決して「あらゆる学問領域に精通せよ」といっているのではありません。それは、もちろん理想ですが、いうまでもなく不可能です。私は「自分の研究を中核として、それを種々の場面で柔軟に運用し、さまざまなテーマに関連づけられるようになって、学際的対話を楽しんでほしい」といっているのです。

3 おわりに
 本日は、私の気のむくままに、私が話せる範囲で、いろいろなことについてお話ししました。記憶が不確かなところもありますし、自分にはない「国際的な場において英語で議論できる能力」などについても言及しました。また、若い皆さんに聴いていただくので、やや理想に走りすぎたこところもあるかもしれませんが、本日の私の講演はこれで終わりとさせていただきたいと思います。
 今後、哲学研究や広く人文系の学問の研究を目指す皆さん/そうした研究に興味のある皆さんに、少しでも参考になるところがあれば、まことに幸いです。

Photo by H. Maruyama

Part Ⅰの註
⑴ 25/26歳のころに「やはり研究者になるのは、努力しても自分の能力では無理である」と自分に見切りをつけた時期もあります。その時は、教職関係科目の授業をとり、郷里に帰って高校の教員でもしようか、と思っていました。
⑵修士論文の頃までは「宗教社会学」という学問を専攻していました。修士論文は「現象学的宗教社会学派の批判的検討」というものです。
⑶2つの論文については、「人文学科教授 星川啓慈の〈宗教間対話〉についての論文等が中国の2つの著名な学術誌に掲載されました」という大正大学の大学院のブログで取り上げられています。
https://www.tais.ac.jp/guide/latest_news/20160323/40335/
⑷Human Studies, volume 40, pages 543–563 (2017).
https://link.springer.com/article/10.1007/s10746-015-9377-x
⑸この学術誌は紙媒体でも読むことができ、日本においても多くの大学が定期的に購入しています。
⑹M・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』(岩波文庫、1977年、23頁)。用字など、一部に変更を加えています。

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Part Ⅱ 質疑応答

1 哲学は現代社会をどう下支えしているか?
 この質問については、⑴本日話した内容に関連づけながら、また、⑵私の言いたいことを的確に述べてくれている、京都大学の出口康夫先生の考え方を紹介することで、お答えします。出口先生の記事のURLは最後に紹介しています

Photo by H. Maruyama


1.1 「知的な公共事業」「知のインフラ整備事業」としての哲学
 本日の講演でとりあげたウィトゲンシュタインという哲学者は、「言語」に非常な関心をいだいていた哲学者でした。『論理哲学論考』は論理学の本ですが、論理学は言語/言葉と深い関係にあります。また、そこでは「言語が世界をいかに写し取るか」について議論されています。20世紀になって、哲学者たちはさかんに「言語」について論じるようになりました。これを哲学上の「言語論的転回」といいます。
 われわれ人間は「言語なしに現在の文化・文明は獲得できなかった」でしょう。「文化・文明は言語によって作られている」といっても過言ではありません。この「言語」と密接な関係にあるのが「概念」です。まぁ、一般的には「概念=言語」とみなして大きな問題はありません。ちなみに、ある辞書では「事物が思考によって捉えられたり、表現されたりする時の思考内容や表象、また、その言語表現(名辞)の意味内容」となっています。
 さて、出口先生は哲学を「知的な公共事業」「知のインフラ整備事業」として捉えています。哲学とは「人生をどう生きるか」みたいな、個人レベルでの営みだと思っている人も多いでしょう。しかし、社会学をだいぶ学んだ私は、出口先生の考え方に賛成です。長いですが、引用します。
 
 例えば、人権や正義という言葉がありますね。現在では、人権は守らなければいけないという考えが社会に広く共有されています。では、人権という言葉が昔からあったかというと、そうではありません。誰かが思いついて、言葉を与えて、様々な内実を与えて、なぜ守らなければいけないかという理屈を考えてきた。要するに、これは自然物ではなく、あくまで人間がつくってきた一定の「ものの考え方」で、言い換えると「概念」なんです。
 僕たちは、社会生活を営む際に、いろいろな概念を共有することで、社会の仕組みをつくっています。このように、社会活動に組み込まれている概念をつくり、伝え、新しい意味を与え、現代に適したかたちに組み替えていく……。これが哲学のひとつの役割だと思います。そのことで、社会を支え、よりよいものに変革していくのです。
 だから、哲学は「知的な公共事業」だと考えています。別の言い方をすると「知のインフラ」整備事業。
 いまでは人権なんて当たり前の言葉ですね。でも、昔はそもそも人権という考え自体がなく、いまよりもひどい人権侵害がまかり通っていた。人権という概念が社会で広く共有されているからこそ、ある程度人権が守られているという側面がある。
 そうした意味で、哲学が扱う概念は水道の水に似ています。蛇口を捻れば水が出てくることは、すごいこととは思わないし、目新しいものではないかもしれない。けれどもそれがないと、僕たちの日常生活は、一日として成り立たない。水道やガスは、目に見えるインフラですが、哲学が扱うのは、社会を支える概念装置という、目には見えないインフラです。

1.2 「領域横断的な知」「諸学問間を横断する学問」としての哲学
 上の質問に対する回答を補足する意味で、哲学の「学際性」についてもお話ししておきます。「学際的知」「学際的知的活動」は人類に不可欠です。
 本日の講演で述べた通り、アリストテレスやカントはほとんどの学問に通じていた、といっていいでしょう。その理由は、⑴哲学的思考の特性として「諸学問間を横断する」という性質があること、⑵諸学問が現代ほど細分化されていなかったこと、にあります。諸学問が発展するにつれて細分化の一途をたどるとすれば、諸学問の全体を鳥瞰して、人類がクリティカルな状況に直面したときに、適切な判断をできる人がいなくなる心配があります。
 実は、人類は過去から、個人のレベルにおいて、国家のレベルにおいて、世界のレベルにおいて、無数のクリティカルな状況に直面し続けています。たとえば、日本に関連した例をあげると、次のようなものがあった/あるでしょう。⑴必ず負けることが(30名以上の各界のエリートが参加した)「総力戦研究所」によって克明にシミュレートされている、太平洋戦争に突入すべきだったか否か、⑵現在(2023年)米中の対立が激しくなっている状況において、日本は今後どのようなスタンスで、米中はもとよりアジア諸国・アフリカ諸国とつき合っていくか。また、現在でも「いずれわれわれを破滅させる可能性が指摘されているAIの研究を継続すべきか否か」という問題がありますが、近い将来において、この問題は今以上に深刻なものとして議論される必要もでてくるのではないでしょうか。
 これらの問題は「哲学とは関係ない」と思われるかもしれません。しかし、3つのどの問題も多種多様な学問・研究と密接な関係があります。私は「哲学者に限らず、広い視野をもった人が増えることにより、人類が間違った道を選択する確率は低くなる」と信じています。私が講演の最後で「学際的であること」を強調した理由も、こうしたことと関連しています。ふたたび、出口先生の言葉を引用します。

 哲学は、学問の専門分化が進むなかで、社会に対して、専門を超えた「見通しのよさ」を提供するという役割も担っています。例えば、現代では、物理学はさまざまな分野に分かれています。各分野の専門家は、自分の専門のことで手一杯で、なかなか他の分野まで手がまわらないのが実情です。ましてや、遠くはなれた人文系の学問のことについて、まとまった知識を持つことは困難。結果として、専門家は、個々の分野を超えた大局観を持てなくなります。
 しかし、僕たちは日々の暮らしを送るなかで、ないしは社会のあり方を考えるなかで、大局観を持った選択をしなければならない場面に必ず出くわします。
 哲学は、飛び離れた複数の学問の分野に目を配り、見通しのよさを確保する「領域横断的な知」という側面を、本来持っています。このような領域横断知としての真価を発揮して、選択を迫られている個々人や社会に、見通しのよい大局観を提供することも、哲学が果たすべき重要な役割です。

 もちろん、人類がクリティカルな状況に直面したとき、「領域横断知としての真価を発揮して、選択を迫られている個々人や社会に、見通しのよい大局観を提供すること」が、哲学者/人間に可能かどうかは議論の余地があるでしょう。しかし、その可能性を捨て去るよりも、その可能を信じるほうが良いと思いませんか? 「そんなこと不可能、哲学者/人間にできるはずがない」と思った時点ですでに、哲学的思考は停止/敗北したことになります。それでは、人類の未来は暗いのではないでしょうか。
 最終的に、私がいいたいのはこういうことです――「哲学者のみならず、世界の多くの人々が哲学者のように〈領域横断的な知〉をもつように努めることが、人類を誤った道に進ませないことに繋がる」。視野の狭い判断は、往々にして、われわれを間違った判断に誘導することが多いように感じられます。

2 哲学の研究は「真理」を解明するものだと思うが、星川の研究のポリシーは何か?
 私の研究のポリシーについて先にいうと、また、自戒をこめていうと、「考えることをやめないこと」です。ウィトゲンシュタインもある弟子と最後の別れをするときに、「考えることだけはやめないように!」と励ましています。今現在に限っていうと、私は体調や目の状態などの理由で研究を休んでいます(頭は使えるので、厳密には、これはポリシーに反するのですが(苦笑))。しかし、「いずれ再び、人生最後の問題=〈自明性〉という問題に取り組みたい」と思っています。そのさい、デカルト、ウィトゲンシュタイン、フッサールといった哲学者、ブランケンブルク、木村敏といった精神医学者の仕事を参照するつもりです。さらに述べると、「世界の存在や私の存在が〈自明である/自明であった〉という確信(主観的な確信でかまわない)を得てから、死にたい」と考えています。
 次に、質問への直接的な応答ではありませんが、「みなさんの参考になる」と推測することを話したいと思います。
 今の質問で、質問者は「真理」という言葉を使いましたが、「真理」って何でしょうね? 質問はまっとうな質問で、文句をいうわけではありません。しかしながら、みんな「真理」「真理」と口にしますが、みんな同じ「真理」を心に浮かべているのでしょうか。
 一口に「真理」といっても、いろいろな種類のものが想定できます。たとえば、⑴実在とそれについて語る言語とが対応すれば真理であるという「対応的真理」、⑵ある理論体系のなかで矛盾がなければ真理だとする「整合的真理」、⑶どこかにある金塊のように真理は発見されるものという「発見的真理」、⑷芸術作品のように真理は人間によって創造されるものという「創造的真理」、⑸「超越的/形而上学的真理」、⑹「世界内在的/形而下的真理」などです。そして、これらはさまざまな形で結びついているでしょうし、これら以外の「真理」も考えられます。具体的にいうと、⑴と⑹が結びついた真理を考えている人もいるでしょうし、⑶と⑸が結びついた真理を考えている人もいるでしょう。また、「愛こそ真理だ」「ありのままに認識される物事が真理だ」「人間生活に役に立つ物事が真理だ」「自分が真理だと思うものが真理だ」などという人もいるでしょう。ちなみに、よく考えると、俳句も上記の⑴から⑹とふかく関係しています。
 上のことと関連して、問題を立てるときには、「言葉使い」に慎重になることをお勧めします。「〈真理〉に限らず、自分が使用するという言葉でどういうことをイメージしているか」をしっかり自覚していると、さらにクリアーでシャープな問題を立てることができるでしょう。そして、問題の立て方というのは、非常に重要です。自分が立てた問題を次のような視点から見直すと良いと思います。⑴その問題の立て方は生産的か否か、⑵その問題は解決する可能性があるか否か、⑶その問題を解いたらどういうふうに学問が進歩するか、などといった視点です。

3 ウィトゲンシュタイン研究の一端を、高校1年生にも分かる言葉で紹介できないか?
 話せば長くなりますし、難しい要望ですね(笑)。本日の話と関連付けて、『増補・宗教者ウィトゲンシュタイン』の終章を下敷きにしながら、思い切ったお答えすると、以下のようになります。
 冒頭にお見せした動画(「ウィトゲンシュタインのノルウェー」)のなかで、また、回覧してもらった『増補・宗教者ウィトゲンシュタイン』のなかで、彼の『哲学宗教日記』に見られる「神に〔向かって自分が〕語りかけることと、神について他人に語ることとは違う」という言葉を紹介しました。このことと、講演で言及した「人は、語りえないものについては、沈黙しなければならない」という彼の言葉を軸として、お答えいたします。
 まず、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』(以下『論考』と略記)のなかで行なったことは、論理哲学的観点から、「人間が語りうる領域とそれを超える領域との間にある境界線を定めた」ことです。前者としては、われわれの日常生活の領域や科学が扱う領域があります。また、後者としては、神や宗教や絶対的価値(絶対的善・絶対的美など)や人生の究極的意味などが関わる領域があります。
 「大谷選手はたいへん素晴らしい野球選手だ」という文のなかには「素晴らしい」という価値を表わす言葉が使われています。しかし、これは「相対的価値」です。その理由は、彼の野球人としての素晴らしさは、打者としては打率・ホームラン数・盗塁数など、投手としては防御率・勝率・投球の最高スピードなど、すべて「数字」で表現できます/語ることができます。つまり、これらは「事実」の世界の出来事であって、大谷選手の素晴らしさは事実の世界の出来事であり、「語りうる世界」の出来事です。決して、絶対的価値が宿っている「語りえない世界」の出来事ではありません。
 D・ジャーマンが監督した映画『ウィトゲンシュタイン』の最初に、子供のウィトゲンシュタインが「絵画は何もいわないのが最上の褒め方」と独り言をいうシーンがあります。仮に(あくまでも仮に)、その1枚の絵画が「絶対的な美的価値」をもっていたとしましょう。そして、その絵画をみた鑑賞眼のある人は、その絵画のあまりの素晴らしさに圧倒され、それを論評する言葉が思いつかなかった/言葉が出なかったとしましょう。その絵画の素晴らしさ=絶対的な美的価値は「言語を絶する素晴らしさ」「言語による論評を峻拒する素晴らしさ」なのです。つまり、その絵画の価値(絶対的な美的価値)は言語によって「語りえない」のであり、その価値は「語りえない」領域にあることになります。
 一般に、絵画に詳しい人たちは、さまざまな絵画をみて、それらの色使い・筆遣い・構図などについて、いろいろと論評するでしょう。論評するのはもちろん「言葉」によってです。それらの絵画の価値については、言葉で「語りうる」のです。だから、言葉によって論評できる絵画というのは、相対的な価値しかもっていないのです。つまり、言葉による論評を拒絶する絵画と比べれば、大した作品ではないのです。
 「絶対的価値は語りえない領域のものである」というのは、以上のようなことです。今、絵画を例にとりましたが、もちろん「神」も絶対的価値をもつものです。
 たしかに、ウィトゲンシュタインは『論考』のなかで、「語りうる領域」と「語りえない領域」とを峻別したのですが、話はこれで終わるわけではありません。実は、話はここから始まります!
 ウィトゲンシュタインには「倫理(学)について」という講演の原稿があります。その最後では、以下のように述べられています。長くなりますが、引用します。「倫理学」というのは一般に「善」を探究する学問です。

 私の全傾向、そして私の信じることころでは、およそ倫理とか宗教について書き、あるいは語ろうとしたすべての人の傾向は、言語の限界に向かって進むということでした。このように、われわれの〔言語という〕獄舎の壁に向かって走るということは、まったく、そして絶対に望みのないことです。倫理学が、人生の究極的意味・絶対的善・絶対的に価値あるものについて、何かを語ろうとする欲求から生じるものである限り、それは科学〔=学問〕ではありえません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした証拠であり、私は個人的にはこの〔語るという〕傾向にふかく敬意をはらわざるをえませんし、また、生涯にわたってこれを嘲るつもりもありません。

 ここには『論考』の主張と共通することが述べられており、「語りえないもの」(=人生の究極的意味・絶対的善・絶対的に価値あるもの)について語ることは「まったく絶対に望みのないこと」だというのです。しかし、その一方で「この〔語るという〕傾向にふかく敬意をはらわざるをえない」と述べています。これは矛盾ではないでしょうか。「望みのないこと」を実行するのは無意味なこと/愚かなことではないでしょうか。そして、この矛盾がウィトゲンシュタイン自身にも見られるのです。
 ここで、「神に〔向かって自分が〕語りかけることと、神について他人に語ることとは違う」という、先の『哲学宗教日記』にある言葉にかえりましょう。
 ウィトゲンシュタインは「公にしてもいい」と思っていたノートでは、あまり神や宗教について書いていません。しかしながら、公にするつもりがあまりなかったノートでは、神や宗教について(時には饒舌なほど)書いています。彼が生前出版した唯一の著作である『論考』の最後で、「人は、語りえないものについては、沈黙しなければならない」と結論づけたのですから、「公にしてもいい」と思っていたノートでは、神や宗教について書けないでしょう。
 しかし、ウィトゲンシュタインが人に見せることを前提としていなかった『哲学宗教日記』や、第一次世界大戦従軍中に書いた『秘密の日記』では、神や宗教、およびそれらに関連する言葉が頻繁に登場し、彼は神に向かって語りかけたり祈ったりしています。そうです、彼にはまぎれもなく神や宗教にかかわることを「〔語るという〕傾向」があったのです。神に向かって語りかけざるには、祈らざるにはいられなかったのです。
 ここで、「神に〔向かって自分が〕語りかけること」と「神について他人に語ること」との区別が重要になってきます。後者は、たとえば、誰かに「神は全能なんだよ、神はなんでも知っているんだよ、神は人間を愛してくれているんだよ」と教えることです。この場合、「全能」「全知」「愛」などの言葉、つまり、有限で取るに足らない人間が考え出した言葉で神について語ることは、「無限の神を言語によって限定することになる」といってもいいかもしれません。西洋では「キリスト教神学」という長い伝統をもつ学問がありますが、そこでの高度な議論も基本的に神について語っています。しかしながら、神について語ることは「まったく、そして絶対に望みのないこと」であり、神について語ってはいけないのです。
 しかし、前者、つまり、神に語りかけること、神に祈ることは、ウィトゲンシュタイン自身にもある「傾向」であって、彼が否定できない「人間の精神に潜む傾向」なのです。彼は志願兵として第一次世界大戦に参戦し、複数の勲章をもらうほど活躍しました。そして、九死に一生を得て、生還しました。死と背中合わせの状態にあるとき、彼は「神よ!」と神に語りかけています。死を前にした人間が神に向かって祈る/語りかけるというのは、キリスト教の伝統をもつ社会で生きている人たちにとっては、ごく自然なことだと思います。また、こうした極限状態にはなくとも、生活の種々の局面で、神に願いごとをしたり神に感謝したりするのは、キリスト教信者にとっては自然なことでしょう。
 要約すると、「神について他人に語ること」は許されないとしても、「神に〔向かって自分が〕語りかけること」は許されるのです。このように解釈すると、先ほどの矛盾は解消されるのではないでしょうか。しかしながら、ここに「語りうる領域」と「語りえない領域」との狭間でもがくウィトゲンシュタインの姿を見ることができるでしょう。
 そして、このことは私たちも日々経験していることです。たとえば、歳をとるとそれまでにさまざまな痛みを体験しますが、私の経験では、それらを言葉によって的確に/精確に描写することは不可能です。しかしながら、さまざまな痛みをかかえて医者にいくときには、われわれは何とかしてその痛みを、言葉をとおして、医者に伝えようとするでしょう。また、俳句でも詩でも小説でも、言葉を使って作品を生み出す創作者は、かなりの場合に、「語りうる領域」と「語りえない領域」との狭間でもがくことによって、作品を生みだしているのではないでしょうか。
 質問にたいする回答としては、次のようになります。つまり、ウィトゲンシュタインという人間を理解するうえで非常に重要な側面――⑴「語りうるもの/領域」と「語りえないもの/領域」とを峻別し、⑵哲学的には語ることができない/無意味となる神に、どうしても言葉によって繋がりたいがゆえに、祈らざるをえない/語りかけずにいられないという、ウィトゲンシュタインの姿――を紹介した、ということに。そして、人間には言葉では語りえないものをなんとか言葉で表現しようとする傾向/衝動があり、それが人間の生活に深みと広がりをもたらすことになるのではないでしょうか。

4 これまでの話を「俳句」と関連づけることはできないか?
 講演の最後で「学際的」「領域横断的」学問を推奨したわけですから、ウィトゲンシュタインと俳句の両者を関連づけられないと、羊頭狗肉の誹りを免れませんね(笑)。頑張ってみます。以下の応答では、専門家による俳句の世界の話はないことにします。
 日本人なら誰でも知っている松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を取り上げましょう。この俳句の解釈はいろいろとあるのでしょうが、ここでは次のように単純に解釈します。古池を取り囲む閑寂/静寂/静けさ(以下、閑寂)がまずあって、蛙が古池に飛び込むことにより、その閑寂が破られ、そこで初めて、これまで気が付かなかった閑寂がクローズアップされる。そして、閑寂こそがこの俳句の核心であることが、読んだ人に認識される。
 この俳句で使用われている言葉=17文字のレベルでは、どこを捜しても閑寂は言語的にまったく現われていません。仮に芭蕉が閑寂を主題とした俳句を創りたいと思っても、その「閑寂それ自体」は直接的に言葉によってはうまく表現できない。なぜなら、「閑寂それ自体」は「語りえないもの」「言語を峻拒するもの」だからです。閑寂について、辞書的に「もの静かで趣のあること」「ひっそりとして落ち着いていること」などと説明しても、また、解釈もややいれて「音が聞こえず、心も静かで澄み切った状態」などと説明しても、芭蕉が表現したいと思っている閑寂それ自体を言い当てている、とは決していえないでしょう。
 それでも、この閑寂を何とかして俳句で表現したい。そこで、芭蕉はいろいろと思索をめぐらし、言葉を使って、何とかそれを表現しようと試みる。ウィトゲンシュタイン的にいうと、この時、芭蕉はいろいろな角度から「言語の限界に向かって進んでいる」「〔言語という〕獄舎の壁に向かって走っている」という状態にあります。先の質疑応答での表現を使えば、「語りうる領域」と「語りえない領域」との狭間で芭蕉はもがいている、とでもいえるでしょう。
 しかし、芭蕉はついに「こういう手法では〈閑寂それ自体〉を言語的に表現することはできない」と悟り、閑寂をめぐる攻略法を変える――「直接的に語りえないものは間接的に示せば良いのだ。そして、閑寂それ自体を示すには、閑寂を破壊するという方法がある」と。一言でいえば、「閑寂の対極にあるものによって、それを示す」という手段です。そこで、芭蕉は「蛙を池に飛び込ませて、閑寂を破壊する」という手法を思いつき、それを実行して、「閑寂それ自体」を「示し」たのです。
 「閑寂が芭蕉俳諧での理念」であるとするならば、芭蕉の俳句の場合は、「古池」、「蛙」、「飛び込む」という蛙の動作、それによって生まれる「水の音」という4つの要素が、統語論的にこの順序で繋がっていなければならないのでしょう。しかしながら、「⑴直接的に語りえないものは間接的に示せば良い、⑵語りえない或るものを示すには、それと対極にあるものによってそれを破壊するという方法がある」ことを意識するとすれば、閑寂(実際には、「語りえない領域」にあるものなら、どのようなものでもかまわない)に到達するようなタイプの俳句を創るさいに、種々の局面で応用が利くのではないでしょうか。もちろん、「対極にあるもの」の解釈の範囲は流動的ですし、閑寂を破壊する方法も多様でしょうし、この種の俳句は俳句のうちのごく一部だとは推測するのですが……。
 「破壊」というやや強烈な言葉について、少し補足します。上記の文脈で「破壊する」というのは、いわゆる「破壊」ではありません。例えば、⑴平和の尊さを示すには戦争の悲惨さを表現するとか、⑵ゆったりとした時間の流れを示すには慌ただしく生きる人間生活を表現するとかいった、広い意味で「対照的なものをもってくる」ということが「破壊」にあたります。
 ここで、上の見解を芭蕉の別の俳句に応用してみましょう。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」。この俳句の場合、「閑さ」が芭蕉の「心の中に」あるというのが一般的な解釈のようですが、それは蝉(1匹か複数匹かは不明)の声が聞こえるので周りの環境は静かであるはずはないということから、必然的にそうなる(矛盾の回避)のでしょう。それはさておき、たしかに「閑さ」という言葉が使われていますが、これはたんなる言葉のレベルのことであって、芭蕉が表現したいこの言葉の背後にある「閑さそれ自体」が言葉のレベルにあるわけではありません。まず、「語りえないものとしての閑さ」があり、つぎに、蝉の「岩にしみ入る」声によって破壊される、閑さが「示される」、ということです。どうでしょうか、私の「理論」はそのまま当てはまりませんか?
 さらに、もう1つ、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」。この句で、示されるもの=語りえないものが「無常観」だとすれば、この句は私の理論に「捻り」をいれたものとして解釈できます。つまり、こういうことです。⑴「無常観」が語りえないものであり、⑵それを示すものが「夏草」と「夢のなかの兵」という対極にあるものの対照――かたや、現実世界で生命力旺盛に繁茂する夏草、かたや、かつては闘いに明け暮れたけれども、いまや現実の世界から消え去ってしまった兵たち――であり、⑶これら2つを対照させることによって言語化できない無常観を示す。対極にある2つのものがセット(⑵=対照関係をなすこと)になって、無常観が示される。こういうことです。蛙の句や蝉の句とくらべて、やや複雑な「示し方」がなされています。
 今の話は「創作」と関連するものですが、今度は「研究」と関連づけてみましょう。哲学という学問は具体性のうえに成り立つ抽象的な学問ですから、上のように(味も素っ気もなく)述べるわけです(笑)。それでも、上で述べたこと、つまり「語りえないある物事を間接的に示したいときには、それと対極のものを言葉で表現して、それを示す」ことを芭蕉の俳句の研究という行為に関連づけると、次のようなことも思い浮かびます。まず、⑴数ある芭蕉の俳句の中から、ここで述べたような手法で説明できる俳句を集めてくる、そして、⑵それらのなかでもどういうバリエーションがあるかを分類する。もう少し詳しくいうと、⑴語りえないもの(どういうものがこれにあたるか、など)、⑵それを表現しようとする言葉(どういう言葉が、どういうふうに使用されるか、など)、⑶方法としての「示し方」(どういう技巧が使われるか、など)の3項の組み合わせという観点から、芭蕉の句を分類する。このようなことにより、芭蕉の俳句創作の一局面が明確に認識できるようになるかもしれません。もしも現実的にそうした研究が可能であるならば(その時に限って)、それは俳句の世界になんらかの貢献をするでしょう。つまり、「芭蕉が作品を生み出すパターン」を、一部の俳句の場合にせよ、抉り出せる可能性があるかもしれないのですから。さらには、この分類手法は、芭蕉の俳句を超えて、他の俳人の句にも適用できるかもしれません。
 まぁ、以上の話は私の妄想の産物です(笑)。今日の講演を聴いてくれたみなさんの中には俳句部の人もいるようです。中には「俳句は、一句一句が完結した比類なきものであり、そういう理論的分類ができないのが俳句(の世界)ですよ」といいたい人もいるかもしれませんね。しかしながら、たとえもしもそれが真実であって、それをきちんと実証できたとしても、私の妄想は「俳句とはいかなるものか」という問いの答えにある種の貢献をしたことになります。なぜなら、「俳句は、一句一句が完結した比類なきものであり、理論的分類ができないものである」という俳句の性質を明確に認識できることになるのですから。
 要約すると、私の妄想は、当たっていても外れていても、俳句を考えるうえで何らかの貢献をする、ということです(笑)。いかがでしょうか?
 一応、この質問にたいする回答は以上となります。

フィヨルドの奥に哲学水澄めり 森川大和
2014年3月、ノルウェーにあるウィトゲンシュタインの「小屋」の跡に立つ
Photo by T. Watanabe


Part Ⅱの註
⑴1962年生まれ。大阪府大阪市生まれ。京都大学文学部卒、京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。1996年「超越論的実在論の試み-批判期カント存在論の検討をつうじて」で文学博士。1998年、名古屋工業大学助教授、2002年京都大学文学研究科哲学専修助教授、2007年より准教授を経て、2016年より教授。確率論・統計学の哲学、科学的実在論、シミュレーション科学・カオス研究の哲学、カントの数学論、スコーレムの数学思想、分析アジア哲学など研究分野は多岐に渡る(註⑵に掲載されているデータによる)。
⑵「哲学がないと人類は生き残れない!?――社会を支えて変える〈ことば〉や〈ものの考え方〉」 
https://www.toshin.com/mirai/sekai/interview/11/
⑶松野智章編「ウィトゲンシュタインのノルウェー」
https://www.youtube.com/watch?v=JrnE_4x2nCQ
⑷森川大和(もりかわ・やまと)
1982年、神戸市生まれ。愛光高等学校在学中に夏井いつき氏に師事。1999年、第2回俳句甲子園団体優勝、「朝顔の種や地下鉄乗り換えぬ」が個人最優秀句に選ばれる。筑波大学在学中、私立開成高等学校俳句部に外部コーチとして指導参加。句集に「ヤマト19」「水性」、アンソロジー句集「関西俳句なう」。愛媛県今治西高等学校教諭(2023年現在)、愛媛新聞「青嵐俳談」選者。

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