学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

比較文化専攻

哲学者ウィトゲンシュタインが100年前にノルウェーのソグネフィヨルドの最奥部の山中に建てた「小屋」の跡を訪れて・・・(1: 調査旅行の概略)

 

はじめに

 

皆さん、新学期が始まりますね! 春休みはどのように過しましたか?

 

 私は、ノルウェーのショルデンまで、哲学者のウィトゲンシュタイン(1889-1951)が住んで傑作を書いた、小屋の「跡」の調査に出かけました。そして、その小屋跡に自分の足で立ち、感激を味わいました。最後の写真(渡辺隆明氏撮影)がその証拠です。

 写真はショルデンの中心部です。写真の右上がノルウェー最大のフィヨルド、ソグネフィヨルドの最奥部分です。左がウィトゲンシュタインが建てた小屋のあった湖です。

 

 

140305_1930~01.jpg

 今から連載で、この小屋ないし小屋の跡について、数回に分けて書きます。今回は、あらましを書き、次回からは、ショルデンで撮影してきた写真を使いながら紹介します。

 ご期待ください。ウィトゲンシュタインのファンは必見です!

 

 次回以降は、次のような内容を予定しています。毎月1日にアップします。

   第2回目 ショルデンについて

   第3回目 小屋跡へのアプローチ

   第4回目 小屋跡の情景や自然環境

 

 ブログの流れしだいでは、ベルゲン大学のウィトゲンシュタイン・アーカイブズの紹介や、小屋再建のプロジェクトも紹介したいと思っています。ただし、肖像権の問題や写真使用の許可を得る必要もあるので、どうなるか分かりません。

 また、ウィトゲンシュタインが教えたケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの近くにある、彼の「墓地」の現況の報告もするかもしれません。日本で知られている「聖ジャイルズ墓地」(St. Giles' Cemetery)という名称もかなり前に変わっており、そこへの道を聞いても誰も知りませんでした。墓地は手入れされている様子はなく、人類に多くのものを遺してくれた彼のことを思うと、寂しい気がしました。

 

 現在、動画も作成しており、数か月したらYou Tube にアップします。写真では写せない小屋跡からの180度の眺め、ゴツゴツした山道の登攀(とはん)の動画なども見られます。おそらく、日本では最初の動画でしょう。

 

 

  Ludwig_Wittgenstein.jpg

 

 ショルデンという町まで

 

 ショルデンは「ソグネフィヨルド」の最奥部に位置しており、ベルゲンからもかなり離れています。夜、船に5時間も乗り、真っ暗のソンダルに到着し、翌朝、くねくねした山道をバスで1時間30分以上かけて、ショルデンにつきました。

 ムーアという哲学者が1914年に、ショルデンを訪れたさいには、ベルゲンから、ウィトゲンシュタインと一緒に、列車、橇(そり)、蒸気船、スキー、モーターボートを利用しています。道中は大変だったでしょうね。(ウィトゲンシュタインの絵は、原典 flickr, 作者 Christiaan Tonnis)

 

ウィトゲンシュタインの「小屋」の跡

 

そのウィトゲンシュタインの「小屋」は、1914年の6月に建てられました(3枚目の写真参照)。ですから、今年でちょうど築100年になります。また、この年は第一次世界大戦が始まった年でもあり、彼は兵士として勇敢に闘い、いくつかの勲章をもらいました。

 

本来なら、小屋のあったショルデンは、私が訪れた3月初旬は雪に覆われ、小屋跡に立つことはできません。また、年間を通じて天候もそれほど良くないそうです。しかし、暖かいこの冬と、当日の天候に恵まれ(曇り、時々雨)、幸運にも、ウィトゲンシュタインが立ったのと同じ場所に立つことができました。感激もひとしおでした。

 

 黒崎宏先生(元成城大学教授)が1971年に同地を訪れられていますが、小屋跡へのアプローチは危険を感じて断念されました。日本人がこの小屋跡まで行った話はあまり聞いたことがありません(付記(2)参照)。ということは、ひょっとしたら、私が「日本初」ということになるかもしれません。そうだと嬉しいですね(笑)。

 

黒崎先生は湖畔から小屋跡の石組みを見て、次のように書かれていました。

 〔小屋跡の土台石を〕見たとたん、私は全く「凄い」と思った。そして私は、ウィトゲンシュタインの壮絶な生き方の一端にふれた思いがした。人里離れた所に住むとはいえ、これほど無遠慮に他人の接近を拒絶できる場所は、そう多くはあり得ないであろう。(「ウィトゲンシュタイン紀行」1972年)

私はその「土台石」の上に立っている(最後の写真)のですが、その背後は、下の写真でわかるように、ほぼ垂直に切り立った崖のようになっています。

 

ウィトゲンシュタインの小屋.jpg ウィトゲンシュタインは、湖が凍結していない時期にはボートを漕いでこの小屋の下まで来て、それから急峻な崖にある道を登って小屋に入りました――私も彼と同じ道をたどって小屋跡まで行きました。また、湖が凍結している時期には、氷の上を歩いてショルデンの街を往復していたようです。

いずれにせよ、この小屋に一人篭って(とりわけ厳冬期に)集中的に哲学的思索を続けることは、普通の人には出来ないと思います。

 

ウィトゲンシュタインが「小屋」で書いた傑作

 

 この小屋と彼の傑作『論理哲学論考』『哲学探究』は深いかかわりにあります。2冊はともに、この小屋で書き始められたのです。

 ウィトゲンシュタインは、1936年の8月中旬から翌37年の12月まで、断続的にショルデンに滞在しました。36年の11月に『哲学探究』を書き始めるのですが、このとき同時に、彼の神観や宗教観が如実に書かれました。つまり、鬼界彰夫氏が訳された『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記――1930-1932/1936-1937』(講談社、2005年)が書かれたのです。

 

『哲学宗教日記』は、1993年くらいまで、ウィトゲンシュタイン研究者の間でもその存在が知られていませんでした。そこには、私が研究している「宗教者ウィトゲンシュタイン」が彷彿としています。この日記は、ほとんどすべてショルデンの小屋の中でのみ書かれており、小屋の周辺環境を知らずには理解できません。

私が、エコノミークラスの飛行機でロンドンを経由して、丸2日(3日?)もかけてショルデンにいった理由は、この宗教的日記が書かれた小屋の跡を訪れるためです。

 

小屋跡にて.JPG

 

 

 

 

 今回の調査で、小屋のいろいろなことが分かりました。写真や動画を撮ったり、GPSで小屋の位置を確認したりしましたが、もっとも重要なのは、その小屋の跡に実際に立って、周辺環境の中に身を置いたことです。つまり、ウィトゲンシュタインが見た景色を、滝の落ちる音を聞きながら、冷たい風に吹かれながら、春が近づいている雰囲気を肌で感じながら、私も「見た」のです。

 

 小屋の調査をしただけでなく、ウィトゲンシュタインのアーカイブズで名高いベルゲン大学の Ch. Erbacher 博士へのインタビュー、ウィトゲンシュタインの小屋の再現プロジェクトの中心人物である E. Bjørnetun 氏へのインタビューもおこないました。同氏は「5年後に小屋を山に再現したい」と語っていました。

私は、「土台石」の上からしか周囲を眺めることができませんでしたが、小屋が山中に復元されたら、その時に、もう一度訪れてみたいと思っています。

 

次のアップは、5月1日です。よろしくお願いします。

 

 

星川啓慈(大学院比較文化専攻長)

 

 

付記

 

(1)ショルデンはシーズンオフの間はホテルが閉鎖されています。われわれも予約なしで行かざるを得ませんでした。けっきょくショルデンには泊れず、バスで35分ほど離れたガウプネというところに泊り、そこからショルデンを往復しました。ショルデンに行かれる方は、行き方や宿泊先をよく検討されるのが賢明です。

また、雨が降れば、山道が始まる前の牧場がぬかるみ、普通の靴ではいけないでしょう。さらに、小屋跡へ向かう山道は岩場が多く、雨で足が滑って危険です。天候のことを考え、余裕をもったプランを立てるのがいいと思います。

小屋跡までは、山の下から歩き初めて小一時間でいけます。私の写真の服装からもわかるように、それほど歩行難度の高い山道ではありません。ただし、雨が降らなくても、一部危険な個所もあります。

ついでにいうと、私はジャケットを着ていて軽装ですが、この時の気温は6-7度で、決して暖かいわけではありません。この写真撮影の前後には、ダウンジャケットを着ています。

(2)2004年に、Michiru Nagatsu 氏がショルデンを訪れ、2007年に「ウィトゲンシュタインとフィヨルド」を「ヨーロッパ周縁紀行」に投稿しています。しかし、同氏も「湖越しに白っぽい土台が崖の上に建っているのが見えた。…遠方から確認だけして帰路につく」と書いており、小屋跡までは到達できなかったようです。

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