学部・大学院FACULTY TAISHO
比較文化専攻
哲学者ウィトゲンシュタインが100年前にノルウェーのソグネフィヨルドの最奥部の山中に建てた「小屋」の跡を訪れて・・・ (4:小屋の跡と謎の建造物)
はじめに
今回は、ウィトゲンシュタインの小屋の跡の様子、小屋からの眺望、謎の2つの建造物などについてです。楽しんでいただけると、幸いです。
小屋跡の様子
湖に向かっている石組みの幅は8メートル、奥行が7メートルです。
GPSによれば、小屋の位置は次のようになります。
北緯 61度29分15秒 東経 7度37分54秒
中ほどに窪んだ部分があります。
ウィトゲンシュタイン研究者のマクギネスによれば、小屋の様子は次のようなものでした。
入口は湖面の反対側にあり、破風の下にあって、居間に通じる。この居間の右側のドアを開けると寝室と台所がある。この小さな家には湖を隔てて素晴らしい眺望があり、フィヨルドが南西方向に開け、家屋それ自体も、夏蔦でおおわれ緑樹で囲まれると、十分に快適な様相を呈した。だが、そこに冬のあいだ中棲みつくには、隠者か苦行僧のような気質を必要とするであろう。相当の勇気も必要である。(『ウィトゲンシュタイン評伝』)
小屋からの眺望
マクギネスの引用にもありますが、何度見ても素晴らしい景色ですね…。ショルデンの町は小屋のほぼ真西にあります。
この小屋において、ウィトゲンシュタインは哲学者としてかなり生産的な日々を過ごしたようです。『論理哲学論考』『哲学的探究』などが書かれたわけですが、ケンブリッジ大学のムーアにあてて、次のような手紙をしたためています。
ここ以上に研究のできる場所は想像できません。ここの風景は落ち着いていて、たぶん、素晴らしくもあります。つまり、落ち着いた厳粛さがあるのです。(1936年10月)
まさにその通りですね。
このポールは何のために?
全体をカメラに収めてはいないのですが、このポール(写真の左上)は何のために建てられたのでしょうか?
ウィトゲンシュタインが住んでいた小屋のあたりのことを、地元の人たちは「エステリケ」と呼んでいた/いるそうです。美しい響きですね。これはノルウェー語で「オーストリア」という意味です。彼はオーストリア人でしたから、このように呼ばれたのです。
このポールには、ノルウェーの国旗ではなく、オーストリアの国旗が掲げられています。ウィトゲンシュタインに敬意を表して、オーストリアの国旗が掲げられているのです。
小屋があった場所の高さはどれくらいか?
ウィトゲンシュタインの小屋(基礎部分の上あたり)は、湖上から何メートル位の高さに建てられていたのでしょうか?
私が聞いたり、読んだりした情報では、15メートルから50メートルまで開きがあります。50メートルは絶対にありません。しかし、15メートルは優にあると思います。小屋の高さや近くの上のポールの高さが判明すれば、上の写真からおよその推測はできます。私は25メートル位だと推測します。
これは何なのでしょう?
「ウィトゲンシュタインはボートを漕いで小屋の下まで行って…」と複数の本に書かれています。しかし、私の勉強不足かもしれませんが、正確にどこにボートを係留したかは読んだことがありません。私は、ウィトゲンシュタインはここにボートを係留したのではないか、と推測します。
しかし、「ウィトゲンシュタインはロープでボートを木に直接つないだ」という人もいます。これが正しいとすれば、ここにボートが係留されたのではないことになります。
それでも、彼がここにボートを係留したと推測できる理由として、次のようなことが考えられます。
(1)マクギネスによれば、小屋は「湖畔から100ヤード(91メートルほど)離れている」ということです(前掲書)。写真の上部に見える湖畔まで、だいたいそれくらいの距離のような感じがします。(2)ウィトゲンシュタインは、ショルデンの中心から私たちの歩いた経路(かなりの回り道)を歩くのは時間がかかるので、その途中からボートを利用したようです。つまり、ショルデンの中心部まで、ボートを漕いで行き来していたのではないのです。
いろいろなことを考え合わせると、ウィトゲンシュタインが町の中心部からこの建造物の対岸ちかくまで歩いてきて、そこからここまでボートできて、ここにボートを係留したことには十分な可能性があります。 (正確な情報をご存じの方は教えてください。)
おわりに
これまで4回にわたって、写真を使いながら、ウィトゲンシュタイントゲンの小屋についていろいろと書いてきました。YouTubeにアップした動画「ウィトゲンシュタインのノルウェー(15分版)」(松野智章氏撮影・編集)の註ないし補足のようなつもりで書いてきました。そして、今回で一応終わりとするつもりでした。
しかし、このブログへのアクセスが非常に多い(4月から6月まで、毎月のビュー数は2000を超えます)ので、次の連載「戦場のウィトゲンシュタイン」(12回の予定)を開始するまで、あと2回続けることにします。
次回は、ウィトゲンシュタインの遺稿をめぐって歴史に残るプロジェクトを成功させた、ベルゲン大学の「ウィトゲンシュタイン・アーカイブズ」のことを紹介します。僭越ながら、研究者の方は必見です(笑)。そして、その次は、彼が教育・研究をおこなったケンブリッジ大学と彼のお墓の現況を紹介します。インターネットの写真で見るのと、その現況はだいぶ違います。
次回のアップは8月1日です。夏休みですが、予定に変更はありません。
星川啓慈(比較文化専攻長)
【付記】
写真はすべて渡辺隆明氏(大正大学研究生)によるものである。