学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

東洋史コース

☆○o。東洋史学と古典。o○☆

 台風一過となりました。

青い空が広がって、夏真っ盛りですね。

 

今回から「東洋史学と古典」というテーマで古典の魅力について、

先生にお話を伺っていきたいと思います。

 

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-『左伝』の世界-①

小林 伸二

 

 歴史学は史料によって語られ、組み立てられます。東洋史学では中国古典が、史料として重視されてきました。古典、すなわち漢文で書かれた文献は、長い年月を経た今日でも、わたしたちに確実に、その時代の感覚を伝えています。漢文をどう読むのか、そこに何を感じるかが、歴史を学習する大切な営みなのです。

 孔子の生きた春秋時代の歴史を伝える『春秋左氏伝』、通称『左伝』は、故事、説話、対話などの形をとりながら、興味深い話をとり込み、斉の桓公、晋の文公の活躍する覇者の時代を叙述したものです。『左伝』のなかから歴史を読み取ることが、春秋時代の理解につながるわけです。

 そこで、『左伝』が伝える物語を通じて、中国古代史のおもしろさを紹介したいと思います。『左伝』の世界から、歴史を感じてみましょう。なお、以下は小倉芳彦訳『春秋左氏伝』(岩波文庫、1988年)を参考にしています。

 1.『左伝』隠公元年条

 鄭の武公は申から武姜を夫人として迎え、のちの荘公と共叔段をもうけます。荘公は逆児で生まれ母の武姜を驚かせたので、「寤生」と名づけられ、母に憎まれます。武姜はそのため共叔段をかわいがり、大子に立てようと、武公に願い出ますが、許されませんでした。

 そのうち荘公が即位すると、武姜は制のまちを共叔段に与えるよう頼みますが、武公は断ります。武公は制が険要の地で、むかし虢叔という人が、ここに立てこもり殺されたので、許可しなかったのです。そのかわり、京を求めると許し、共叔段は京城大叔とよばれることになります。しかし、このとき大夫の祭仲が、京のまちの大きさが規定を超えていることを理由に、国にとっていずれ害になると反対しました。荘公は母の申し出を断ることができないと反論します。

 京城大叔は鄭の西方・北方のまちをつぎつぎと自分のものにしていきます。

 

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第一回目となる今回は、中国古典の一つである『左伝』を取り扱いました。

白文で書かれた漢字を読み進めていくと、そこには

いろいろな情景が潜んでいるようです。

 

この続きは近いうちに公開いたします。

次回の更新を楽しみにしていてください。

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