学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

Joke! ジョーク! じょうく!

「冗談じゃない!」と腹を立てたことはありますか? 逆に、ジョークのつもりで発した言葉が、笑い話やしゃれとは受け取ってもらえず、人を傷つけたことがありますか?

ジョークはどのような条件がそろえば成立するのでしょうか。楽しい笑いを共有する「良質」なジョークと、人を不愉快にする「悪質」なジョークの境界線はどこにあるのでしょうか。

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ジョークと文化はとても密接に関係しています。ジョークは文化的な意味づけを前提にして成り立ちます。たとえば、エスニックジョーク。

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待ち合わせをしました。日本人は5分前にきました。アメリカ人とドイツ人は時間ピッタリにきました。アメリカ人は駆け足でやってきて、日本人と握手しました。ドイツ人は時計を見て、時間通りであることを確認しました。30分後にフランス人がきました。

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時間.jpgのサムネール画像このジョークはそれぞれの国民性、民族性のステレオタイプを前提にしていると同時に、文化的な価値観も反映しています。日本では交通機関が時間通りに運行されることは常識ですが、フランスの高速列車TGVは1時間遅れることも珍しいことではないそうです。フレンドリーに人と接するというのも、アメリカの価値観に裏付けられています。

ここでは笑いの対象は、それぞれの文化が有する時間感覚のズレです。同じ約束をしたはずなのに、人によってその受けとめ方はまちまち、ということはよく起こります。このジョークを笑うことによって、私たちは理解がすれ違ったり、小さな誤解が発生したりすることを、たがいに許しあうことができます。

ただし、これらのステレオタイプがある種の文化的現実を映し出しているとしても、きわめて画一化されたイメージであることを認識しておく必要もあります。ドイツ人の合理性、日本人の用心深さ、思い当たるところもありますが、普遍的に当てはまることではないことも事実です。カルチュラルスタディーズコースにはドイツ人の教員と日本人の教員がいますが、シャウマン先生が余裕たっぷりに先にいらして、少々遅れ気味に息を切らして駆けつけるのが日本人の私、というのはよくあることなのです。

人を傷つけるジョーク、これは「開かれた空間」のなかではなかなか流通しません。「閉じられた空間」で、限られた仲間によって、まさに仲間であることを確認するかのように交わされるジョーク、偏見に満ちたジョークです。

偏見的なジョークといえば、ブロンドジョークと呼ばれるジョークのジャンルがあります。インターネットでblonde jokeと検索すれば、代表的なものがいくつも見つかると思います(ちなみにblondeは女性に、blondは男性に使われる表現です)。

いまどき、こんなに侮蔑的な偏見に基づくジョークがどうどうと世に流通していいの!とびっくりされることでしょう。ブロンドの女性=頭がからっぽ、というのがブロンドジョークです。

こういったブロンドジョークをベースに作られた映画が『キューティ・ブロンド』、原題はLegally Blonde。アメリカでの公開が2001年、日本では2002年に公開され、人気を博しました。主人公のエルはブロンド、「頭の弱いブロンドの女性とは結婚できない」と恋人にふられてしまいます。一念発起して恋人を追ってロー・スクールに入学するのですが、そこでもおしゃれなブロンド女性は場違いな存在として、偏見の視線にさらされます。

「カルチュラルスタディーズ総論」の授業では、悪意に満ちたブロンドジョークから始まるのに、この映画が多くの人の支持を得るのはなぜだろう、ということをディスカッションしました。普通なら閉じられた空間でこっそりとささやかれるようなジョークが、映画という開かれたメディアのなかで表現されるのはなぜか。

 ・ 音楽やファッションなど、魅力的な要素がある。
 ・ ハーヴァード大学ロー・スクールという最高に権威のある機関と女子大生という対比を強調するのに、ブロンドジョークが効果的。
 ・ 女性の外見を理由に恋人をふる男性の愚かさが、むしろ全面にでている。映画が笑い物にしてるのはエルをふる恋人。
 ・ ブロンドという外見的要素は羨望されるもの、みんなが認める「美しさ」だからジョークで馬鹿にされたくらいではビクともしない。
 ・ あこがれの対象でありつづけながら、失意のどん底からエリートへ、というサクセスストーリーを駆け上がるヒロインの物語を成立させる装置がブロンドジョーク。

いろいろな意見が出ました。みなさんの考えはいかがですか?

来年度の「カルチュラルスタディーズ総論」の授業でも、ジョークについて、映画について、物語について、さまざまな角度から議論したいと思っています。

さて、そのとき、大正大学ならではのジョークを自分たちで作ってみよう、というワークショップをしました。

他大学の学生との会話
 「教室移動でいつも遅刻ギリギリなんだよね」
 「たいへんだね、私たちはそんな心配ないよ」

     ・・・たしかに、マンモスな大学ではない大正大学では教室間の移動もそれほど苦労しません。自転車がないと教室移動できない、と言っていた友人もいましたから。 

少食の人がカフェテリアで小鉢を注文。
 「もう閉店なので・・・」
 大盛だった。

     ・・・親切があだ、とはこういうことを言うのかもしれません。でも、ちょっと温かくて嬉しいですね。人間関係の親密さのある大正大学らしさが伝わります。

社会には多くの問題がある。それらの文化的意味を考えていくことは非常に意義のあることである。というわけで、我々は本日ジョークを考えた。

     ・・・これには授業担当者として、思わず苦笑しました。「ムチャぶり」の課題に、「しょーがないな~」と耐えている学生の姿が浮かんできます。そうです、ときに学生は教員の思いつきに振り回されるものです。でも大丈夫、このユーモアのセンスがあれば、どんな局面を迎えても愉快に乗り越えていけます!

ジョークから文化――文化研究にはさまざまな切り口があります。これからも学生たちといっしょにいろいろな意見を交わし、たくさんの発見をするのを楽しみにしています。 ♪♪♪♪♪


 


 

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