学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

カルスタ漫画・アニメ・ゲーム研究会「トワイライト」の活動報告③



残暑が続きます。

春学期にカルチュラルスタディーズコースの有志による研究会「トワイライト」の活動報告の続編です。

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こんにちは、MAです。今回も私がトワイライトの報告をさせていただきます。

トワイライトは4月頃から行ってきました。多様な作品を取り上げて議論してきたと思っていますが、物語の内容がシリアスな傾向を持っているものも多くありました。その中で、トワイライトメンバーから、「たまには優しい物語を」という要望を受けて、鑑賞いたしましたのが、『それいけ! アンパンマン――勇気の花がひらくとき』です。
アンパンマンは低年齢向けの作品であるためか、ストーリーはとても単純で難しくはないと思われます(作品の全体がわかってはじめて分析ができるので、私たちにとってストーリー展開や結末を話すことは当然のことなのですが、一般的には内容を紹介してしまうと、これから見る人に面白くはないので書きませんが)。しかし、アンパンマンの勇気は誰の勇気なのか、さらに根本的には「勇気」とは何ものなのかと、問題提起をしている作品でう。また、この映画中のヒロインであるキララ姫はアンパンマンに恋をしますが、その恋が消化されずに物語が終わった後も置いてきぼりにされてしまっています。低年齢向け作品における中途半端な恋愛の描き方から、恋愛とはどのようなものだと子どものころから刷り込まれていくのかについて、批判的に考察するのも面白いかもしれません。子供向け作品だからといって、あなどってはいけないことを知りました。大人になったいまだからこそ分析できることもたくさんあります。

 次に、『トムとジェリー――魔法の指輪』を考察しました。この日は、大正大学の盆踊りの祭りの日と重なっていましたので、少し早めにトワイライトを終わらせようと思い、短いものを選びました。
 この作品を鑑賞していて、不思議に思えてくるのが、トムとジェリーが「言葉」を話さないということです。感嘆詞やため息のような言葉は発しますが、まともなセリフをトムとジェリーは話しません。しかし、トムとジェリー以外のキャラクターは人でも犬でも猫にでも、ちゃんとしたセリフが用意されています。なぜ、トムとジェリーは言葉を話さないのか。ひとつには、トムとジェリーが言葉を話さないのではなく、言葉がいらない関係であるとも考えられます。言葉が存在しなくとも、見ていて楽しい作品が『トムとジェリー』なのかもしれません。一度、無音で映像作品を見比べるという企画をしてみたいという、新しい取り組みも思いつきました。

 3作品めは『ポケットモンスター――水の都の護神ラティアスとラティオス』です。ポケモン映画ということで、まさにポケモン世代であるトワイライトメンバーも、いつもより興味が増しているように感じました。これは、とある友人によると「初めて、ポケモン映画がポケモンの死を明確に描いた作品」とのことです(友人の発言の事実確認はしていません)。たしかに、言葉では表現されませんが、ラティオスが死んでしまったことが感じ取れるように演出されていました。とても優しい死の描き方であるように思いました。子供向けの作品であるため、生々しくなってしまういにオブラートに包んでいるのかもしれません。アンパンマンの回で、恋愛が作品のプロットに消化されていないと指摘しましたが、子供向け作品では死や恋愛といった要素は隠され、あるいは排除されるのではと考えられます。しかし、隠したり排除したりするのならば、初めから生々しいテーマや題材を描かなければよいだけです。それをあえて取り入れるときに、文化的なフィルターがかかります。どのような意図でそのように演出しているのか、あるいは文化的無意識ともいうようなものによって単純化されているのか、今後もトワイライトでは子供向け作品を鑑賞して分析をしていきたいと思います。その過程で子供向け作品において、あえて死や性が取り込まれ、イメージかされていく意味を考えていければと思います。

 最後に、『ふたり――コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎 駿×宮崎吾朗~』というスタジオジブリの『コクリコ坂から』の制作ドキュメンタリーを鑑賞しました。トワイライトでドキュメンタリーを取り上げるのは初めてでした。カルスタでは作品を読み解いてレポートを描く学生が多いのですが、作品の裏側に当たる制作段階にまで目を向ける学生は少ないのではないかと思います。作品分析をする過程で、もっと作成段階に目を向けることをするべきなのかもしれないと考えさせられました。

 トワイライトもレギャラーメンバーが増えました。言い換えれば、参加者が固定されてきたと思います。レギュラーメンバーがいつもそろうことは喜ばしいことですが、トライライトは自由参加の企画ですので、一度だけでも、新しく参加してくださる学生が増えるといいなと思います。秋学期も開催予定です。ぜひ、いっしょに楽しみましょう。今回の報告はこれで以上です。

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MAさん、ありがとうございます。

秋学期の具体的な開催の詳細はまだ決まっていませんが、『ムーミン』など、題材の候補はいくつかすでに出ているようです。完全に学生主導の研究会ですが、授業を離れて、自由に議論する空間が、学生自身によって作られています。

もう一つの自主研究「西巣鴨でロラン・バルト」も活動を続けています。フィールドワークの様子が今年の大学案内で紹介されました。いまは理論を徹底的に自分のものにしよう、ということを目指して、記号論のテキストやバルトの翻訳(英語訳や日本語訳)を読んでいます。Empire of SignsからSugamo of Signsへ、着実に歩んでいます。

授業は「授けられる」もの、授業で学んだことを踏まえつつ、それを自分たちの積極的な問いに変換する試みがたくさん実践されています。秋学期のさらなる進展を期待しています。

♪伊藤淑子

 
 
 
 
 
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