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「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

カルスタ漫画・アニメ・ゲーム研究会「トワイライト」の活動報告⑮

トワイライトの新しい活動報告が届きました。
秋学期の活動を始動しました。学生主導の研究会です。金曜日の4時間目から5時間目にかけて、2号館6階のゼミ室で活動を行っています。

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 こんにちは、トワイライトのMYです。前回、「クレヨンしんちゃん」を担当した回ではMと名乗ったのですが、今回からMYのネームで報告したいと思います。私が担当した回では、大友克洋監督の長編アニメーション映画『AKIRA』(1988)とチャールズ・チャップリン監督の代表作である『モダン・タイムス』(1936)の二作品を鑑賞しました。

 個人的に『AKIRA』の中で一番印象に残ったのは、物語の舞台となるネオ東京です。ネオ東京は第三次世界大戦の勃発による新型爆弾が投下された東京を新たに再建した都市です。東京の再建は単に都市を修復しただけでなく、以前よりさらに技術が発展した都市として生まれ変わりました。その様相は、立派な高層ビルが建ち並ぶ風景や、主人公「金田」の乗る近未来的なバイクからも伺えます。さらに物語の主軸となる超能力者という要素が加わったことで、より独特な世界観に仕上がっています。

 その一方で、人々が社会に多くの不満を訴えている様が描かれています。テレビでは貧困についての報道や、街中では日常的に反政府デモが盛んに行われていました。また、街にはたくさんのゴミが散漫し、金田を含む不良集団が他の不良集団とバイクを走らせながら争っている様は街の治安の悪さをよく表しています。

 一見ではネオ東京は技術的に発展した都市かもしれませんが、人々や街中の描写からネオ東京の社会性は決して明るいものではありません。技術の発展に伴い、人々の暮らしは豊かではなくなっていることが顕著に表れています。『AKIRA』は、超能力等の非現実的な要素が加わり独特な世界観が形成されながらも、貧困や市民デモのようなリアリティを描くことで現実離れしてはいません。この物語の全体の流れは初めに新型爆弾による崩壊が描かれ、東京の復興と発展から、最終的には「金田」の親友「鉄雄」の超能力暴走で再びネオ東京が崩壊しました。私的には『AKIRA』で描かれる都市の崩壊と再生は、実際の日本社会の経過を彷彿としました。露骨に実際の社会批判を描く方法に比べ、『AKIRA』のように非現実的な世界観を舞台として批判を描くことはある意味説得力があるのかもしれません。今回はネオ東京を中心に作品を考えてみましたが、その他にも『AKIRA』には多くの考察の余地があり非常に興味深い作品です。

 『モダン・タイムス』は機械文明への批判を喜劇で表現したサイレント映画(無声映画)です。サイレント映画であるこの作品は主にパントマイムの手法によって作品を表現し、無声という点が内容理解の障害となることはほとんどありませんでした。もちろん部分的には文字や音声が入れられていることはありましたが、それらがなくとも内容を理解することはそう難しくはないように思えます。誰もが楽しめる映画をつくるうえで、言葉以上に動きや音楽による表現は重要なものなのかもしれません。トワイライトではサイレント映画はあまり扱ったことがなかったため、メンバーにとってもこの作品はとても新鮮だったようです。

特に気になった点は、この作品における「笑い」の要素です。本作の監督脚本から主演まで務めるチャールズ・チャップリンは「人を笑わせること」を人生の哲学にしており、喜劇王の名でも知られています。『モダン・タイムス』の「笑い」を構成する要因の大半は、アクシデントやハプニングをおもしろおかしく描いていることです。例えば、チャップリンが試作品の実験体にされて散々な目にあうことや、中には無銭飲食をしたり塩と覚醒剤を間違って使用してしまう場面もありました。

 何故『モダン・タイムス』は、観客を笑わせることに成功しているのでしょうか。私が考えるには、何事にもチャップリンの明るく真面目な姿勢が常に描かれているからだと思います。チャップリンが災難にあったことで悲しんでいたとしたら、多くの観客にとってそれは受け入れられることはないでしょう。それに対し、本編では散々な目にあったとしても次の場面では明るく開き直っています。チャップリンは刑務所に入るために何度も問題を起こしますが、それは失業者で溢れかえる時代の中でチャップリンの懸命に生きる様をよく描いています。他の映画の中には「ジョーク」を「笑い」の素材として扱うものもありますが、観客にとって「ジョーク」は必ずしも「笑い」として捉えられるわけではありません。個人的な感想ですが、近年では「冗談に何をそんなに怒っているんだ?」のような言い方を耳にすることがあります。「笑い」を意図したとしても、それを聴者が不快に感じているかもしれません。私はトワイライトの後に三度目の視聴をし、本作の前回と同じ場面でもう一度笑わされました。(笑)そういった観点から見ると、『モダン・タイムス』という作品は「誰もが楽しめる(笑える)」ということをテーマに、「笑い」の要素が巧みに構成されている作品だといえます。この作品をきっかけに、チャップリンの他作品ではどのような表現されているのか見るのも面白いかもしれません。

 

 活動報告が長くなってしまいましたが、『AKIRA』と『モダン・タイムス』は文明批判という点で共通していながら、それぞれに違った面白さがありました。それをコンパクトかつわかりやすい文章にするのは難しいものですが、それ以上に書くことの楽しさを感じられます。新学期もトワイライトの活動をより有意義なものにしていきたいです。

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MYさん、ありがとうございます。
活動の目的、意義、楽しさも書いてくれました。

関心のある方はぜひ、金曜日に2号館6階のゼミ室(守衛所より、明治通りがわ)にいらしてください。
                                             ♪伊藤淑子


 

 

 

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