学部・大学院FACULTY TAISHO
宗学コース
特別企画「学びの探索 教員版」第8回 木村周誠先生(天台宗)
公式Facebookページ開設を記念して、学科教員の研究の紹介や教員になった経緯などを紹介する企画です。
大学HPの教員紹介よりも一歩踏み込んだ内容となっております。
高校までには居なかった、専門分野において突出した知識や経験を持つ仏教学科の先生たちを余すことなく紹介します。
第8回は宗学コースの木村周誠先生です。
私の研究テーマは南北朝期の中国仏教思想で、特に中国の天台宗の開祖である天台大師智顗(ちぎ)という方の教学思想を中心に研究をしています。しかし、この記事を読んでいる多くの方々が「天台大師って…誰?」と思われていることだと思います。実際、私自身も大正大学の大学院に進学することが決まるまでは、天台大師の存在や、中国に天台宗が存在したことすら知りませんでした。なぜなら私はお寺とはまったく縁もゆかりもない一般家庭に育ちましたし、仏教そのものに特別な関心はありませんでした。それでも、私が四十年近く大正大学と関わり続け、現在も教壇に立っているのは「不思議なご縁」としか言いようがありません。
私は数学や物理のような理系科目が苦手で、そのため自然と文系の大学に進学しました。そこでは文学、歴史、哲学といった人文学科の多岐にわたる分野がありました。そのなかで、フランス語の演習でデカルトを批判した『無益で不確実なるデカルト』という書物を、指導教授と一緒に原書で読み進めていくうちに、フランス語よりも、哲学的な思考に興味を持つようになり、卒業時にはフランス人哲学者のメルロポンティの現象学をテーマとした論文を提出しました。大学院に進学しようなどという気持ちはさらさら無かったこともあり、今思えば恥ずかしいだけの未熟な論文でしたが、何とか大学を卒業し、運良く高校の「倫理社会」という科目の教員として神奈川県に採用されました。当時の中学高校教員の競争倍率は非常に高かったのですが、教職への熱意はそれほど強くなかったので、今や死語となった「でもしか先生」(先生でもやろう、先生しかなれない)の典型だったと思います。
ところが転機は突然訪れます。ご縁があり、就職2年目で結婚することとなったのです。ただ私の場合は『奥さまは魔女』(その頃は誰もが知っていたテレビ番組のタイトル)ではなく、「お寺の跡取り娘」だったのです。これがきっかけで高校教師を辞め、天台宗の教義を学べる大正大学の大学院への進学を目指しました。高校の日本史で学んだ伝教大師最澄が中国に渡って天台宗を日本に伝えたという初歩的な知識から再学習し、無事大学院に入学できました。しかしそこで出会った仏教は、一般的な「お坊さんの仏教」でした。
この天台学との出会い以来、四十年近く研究を続けてまいりました。それでも研究すべき領域、その魅力は尽きません。皆さんと大正大学との出会いが、皆さんを新たなステージに導いてくれることを願っております。