学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

宗学コース

特別企画「学びの探索 教員版」第17回 曽根宣雄(浄土宗)

公式Facebookページ開設を記念して、学科教員の研究の紹介や教員になった経緯などを紹介する企画です。
大学HPの教員紹介よりも一歩踏み込んだ内容となっております。
高校までには居なかった、専門分野において突出した知識や経験を持つ仏教学科の先生たちを余すことなく紹介します。

第17回は宗学コースの曽根宣雄先生です。
📜📜 私の歩んだ道―浄土宗寺院から学問への道― 📜📜

📕生い立ち📕
私は、山梨の小さな浄土宗寺院に生まれました。六歳の時に増上寺で得度し、小学二年生からは棚経の手伝いをするようになりました。近隣のお檀家さんの葬儀の時には、学校を早退して参列していました。その頃は、宗祖が法然上人ということと、お念仏をお称えすることぐらいしか理解していませんでしたが、お檀家さんが誉めてくれるので、それがうれしくて小僧をしていました。ただ、そのことでいじめられることが多かったのも事実です。

📕青少年期の葛藤と親友の死📕
中学・高校と進み、お坊さんの格好をしている所を同級生に見られることが非常に苦痛になりました。そのような中で、私自身の転機となったのが親友F君の死でした。進学も決まっていた高校三年生の三月二十七日のことでした。F君は、家業を継ぐために大学の建築学科へ進学が決定していたのですが、入学を目前に交通事故にあってしまいました。私は、みんなに慕われ希望に燃えていたF君が何故亡くならなければならなかったのか、納得が行かず、その悲しみと怒りをどこにぶつければ良いのか処理できずに非常に悩みました。F君の菩提寺が、法類のお寺だったので、お願いして通夜葬儀とも一緒に御供養をさせてもらいましたが、お念仏をお称えしながらも「なぜ?どうして?」という思いが無くなることは、ありませんでした。

📕大学時代の探求📕
私は実家から遠い所で大学生活を送りたいと思っていたので、佛教大学へ進学しました。人間にとって死は必ず訪れるものですが、寿命や訪れ方は不平等です。それがどうやって決まるのかが、自分の中にあった大きな疑問でした。神仏の計らいだという説明をする人もいましたが、納得がいくものではありませんでした。親友の死は、精神的に大きな痛手でしたが、当時の仲間でそのことに耳を傾けてくれる人は多くはありませんでした(この時に寄り添ってくれた者とは、今でも親しくしています)。次第に、御本尊である阿弥陀仏がどういった仏様なのかということが大きな関心事となっていきました。私達の身に起こる全てが、阿弥陀仏によってもたらされるのか否かということは、避けて通れない問題となっていきました。幸いなことにゼミ指導は、高橋弘次先生ということになり、高橋先生から自身の問題意識を有しつつ教義教学をきちんと押さえることの必要性を学び、修士課程に進むことになります。

📕大学院での学びと指導者からの影響📕
大学院で高橋先生から宗学の研究方法論を学んだことは、その後の研究に大きく役立ちました。「信仰の学・護教性」といったことが処理できたことは大きな成果だったのです。また、この時期には藤堂恭俊先生の講義を受け、内容に付いていけず同期の友人達(伊藤真宏先生など)と帰りに喫茶店で「わかった?」「わからん!」という会話が続いたことがありました。その後、講義内容が判るようになってからは、講義に引き込まれるようになったのも良い思い出です。それから、私の拙い疑問に対して、いつも真摯に対応していただいた藤本浄彦先生にもお世話になりました。その後、博士課程より大正大学にお世話になり、阿川文正先生・大谷旭雄先生・丸山博正先生・廣川堯敏先生等から薫陶を受けました。特に、大谷先生からは実証的な研究法を学び、丸山先生からは宗学の実践を学び、廣川先生には早くから研究会にお誘いいただくことになりました。

📕私の研究と今後の目標📕
 私の一番の関心事は、浄土宗において阿弥陀仏がどのように捉えられ、理解されてきたのかということです。特に、浄土三部経に基づく世界観、法然上人の阿弥陀仏観や浄土観、そしてそれを確立するための論理や、他宗との相違ということを明らかにしていきたいと考えています。まだ途上ですが法然上人の説く阿弥陀仏が、私達に負の何かを与える仏様ではないということの確認は、自分にとって大きな成果です。また、浄土宗における社会実践の諸問題については、ターミナルケアを中心に凡夫である私達がどうあるべきなのかについて今後も研究を進めて行きたいと思います。

曽根先生の経歴やご専門についてもっと詳しく知りたい方は、以下のリンクをご覧ください。
https://researchmap.jp/read0155437


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