学部・大学院FACULTY TAISHO
日本史コース
4年生ゼミ合宿(三浦先生) 2日目・3日目
前回に引き続き、8月29〜31日に行われた4年生の応用研究(三浦先生)のゼミ合宿の様子を紹介します。
今回は2日目の8月30日および3日目、31日の様子をお伝えします。
2日目は京都から電車で約1時間かけて神戸に行きました。
まず、最初に向かったのは「生田神社」です。
この神社は、日本の神社のなかでも大変長い歴史を有しています。
この神社の拝殿の後ろ側には樟で覆われた「生田の森」が広がっています。
実は、この場所は源平の合戦の1つで、源義経による鵯越の逆落としで有名な「一の谷の戦い」の際に平氏軍が陣を張り、源氏軍を迎え撃った場所とされています。
その後、近くにある神戸を代表する観光地の「神戸北野異人館」に行きました。
みんなで集合写真!!
次に向かったのは「湊川神社」です。
ここは1336(建武3)年5月25日に起きた湊川の戦いにて自刃した楠木正成を祀っている神社です。
簡単に湊川の戦いについて説明すると、1336(建武3)年5月に九州から東上した足利尊氏・直義兄弟らの軍勢と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成らの軍勢との戦いです。詳しい戦況については省きますが、結果は新田義貞・楠木正成らの軍勢の敗北に終わっています。そして、正成は弟の正季とともに自刃としたとされています。この日は、正成が戦没したとされる場所を見るだけでなく、直接神社の方からの説明も聞くことができたのでより知識を深めることができました。
次に向かったのは「能福寺」です。 ここは1180(治承4)年に平清盛により行われた福原京遷都により、清盛の庇護を受けた寺とされています。ここには戦前まで日本三大大仏の1つであった「兵庫大仏」があります。現在あるのは2代目の大仏で、初代の大仏は戦時中の金属類回収令で国に供出されてしまいました。
最後に向かったのは「清盛塚」です。
1181(治承5)年に清盛はこの世を去ります。ここは長年清盛の墓と考えられていましたが、現在は供養塔ではないかと考えられています。
卒論では平清盛や平氏一族を研究テーマとしている学生も多く、実際に清盛にゆかりのある場所に行くことができ、色々なことを考える良い機会になったと思います。
最終日の3日目は再び京都市内を巡りました。
初日に巡ったときは雨でしたが、最終日は晴天に恵まれ絶好の散策日和となりました。
まず、はじめに行ったのは金閣寺(鹿苑寺)です。日本人なら知らない人はいないでしょう。
足利3代将軍義満によって造られた北山文化の中心地であり、1・2を争う京都を代表する史跡です。
次に見学したのは、龍安寺です。
ここは、徳大寺家の別荘だったのを細川氏が譲り受け寺地として創建されました。
応仁の乱などで方丈(本堂)等が焼失し、現在の方丈は西源院を移築したものです。
なんといっても、龍安寺といえば石庭です。皆さんも写真等で見たことはあるかもしれませんが、実際に見るとその美しさに圧倒されてしまいました。
この3日間、中世史研究に関係する様々な史跡などを見学することができました。これによって様々な知識を得ることができ、また地理的な理解も深めることができたと思います。
いよいよ11月に入り、段々と卒業論文提出の時が迫ってきました。
4年生の皆さん、大学生活で学んだことすべてを卒業論文に活かせるように頑張って下さい!!