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日本文学科
【日本文学科授業紹介】ゼミ合宿のご紹介【平安朝文学ゼミ・京都編2日目】
引き続き、日本文学科のゼミ合宿の中から、古田正幸先生の平安朝文学ゼミの合宿について報告します。大正大学が京都エリアに新しく作ったエリアキャンパス「大正大学京都アカデミア」も活用してのゼミ合宿とのこと、ぜひご一読いただければと思います。 2日目は、主に宇治方面への踏査を行いました。以下、学生の皆さんや同行者が撮影した写真のうち、あまり学外の方が大きく写り込んでいないものを中心に、見学先を簡単にご紹介します。 |
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現代の宇治橋(4年生Oさん撮影)。1週間前予報では雨でしたが、2日目もとても良い天気でした。 宇治橋前の紫式部像の前で記念撮影を行いました。 橋寺放生院(4年生Oさん撮影)。地蔵菩薩立像と宇治橋断碑について解説いただきました。 この後、宇治市源氏物語ミュージアムの見学を行いました。牛車や立体的な展示物が美しく見応え十分でした(掲載に支障があるので写真はありません)。図書室で一通り『源氏物語』の本をチェックする学生もいました。 続いて、午後は宇治十帖の像前に集合です。 |
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最後に見学後の学生さんの事後学習から、見学してわかったことの抜粋です。 ・宇治川の流れが早く、離れた場所にいても川の音がよく聞こえる点が印象的だった。川の様子については『源氏物語』内に「昔よりこの川のはやく恐ろしきことを言ひて、「先つころ、渡守が孫の童、棹さし羽津して落ち入りはべりにける。全ていたづらになる人多かる水にはべり」と、人々も言ひあへり。」(阿部秋生ほか『新編日本古典文学全集源氏物語』浮舟巻⑥・一六七頁)と言及があり、当時の人々も同じ認識であったことがわかる。 ・宇治神社では国の重要文化財に指定されている本殿は周りを囲まれていてじっくりと見ることは出来なかったが、他の神社でもよく見られた檜皮葺きの屋根や古びた木材から、鎌倉時代初期の建造物と言われる歴史を感じた。事前準備で引用した『中右記』には長承2年(1133年)に宇治神社で催された宇治離宮祭について、川岸に多くの船が着いていた記述があったが、位置関係で考えればおそらく土手と坂を挟んだ位置に面している宇治川が当てはまるのではないかと思われた。現在の宇治川の姿が当時と全く同じとは考えられないが、横幅の広い川だったので、宇治離宮祭の見物人が宇治川に小船を停めていた姿を想像することが出来た。 ・平等院鳳凰堂について、事前学習では触れることの出来なかった内容に関しては、平等院と源頼政との関係性が挙げられる。施設内には頼政の墓所である宝篋印塔や、自害した場所と言われている扇之芝などがあり、辞世の句である「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」の歌も説明されていた。今回の見学で学ぶことが出来て良かったと思う。また、事前学習では歴史や文学に関して触れていたが、建物やつくりに関しては説明を見たり聞いたりして得られるものが多かったためとても学びになった。特に鳳凰堂の入口の作りにとても関心を持った。入口の上部は格子状となっているが、池の向こう側から阿弥陀如来様が見やすいよう、顔の部分には格子がない作りとなっている。以前平等院を訪れた時にこれを見た時は、現代になって改修された時に見やすいように作られたのだと思っていたのだが、ガイドさんの説明や展示を見て当時からこのようであったと知り、とても驚き学びとなった。 |
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以上、平安朝文学ゼミの合宿2日目の様子でした。次回は3日目の様子をまとめます! 引き続き日本文学科公式SNSアカウントにおいても情報発信をしていますので、良かったらフォローや拡散のほど、よろしくお願いします。 |
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大正大学文学部 日本文学科 |