学部・大学院FACULTY TAISHO
社会福祉学専攻
【社会福祉学専攻教員 Episode4】最近考えていること −貧困リスクについて−(松本一郎先生)
故・岸本重陳先生(経済学者)はかつて、次のように述べた。
「絶対的貧困と相対的貧困とは、絶対に区別できるか。できません。絶対的貧困は、相対的貧困の結果なのです。誰かが取りすぎるから、誰かが食うや食わずになる。そういう関係なのです。ある人が楽をできるのは、苦しんでいる人のおかげなのです。そのことを知っても、それは人の運不運の問題とうそぶく人は、いずれ不運の側に回るはずです。」(『新版 経済のしくみ100話』(岩波ジュニア新書、1994年)
この指摘では、貧困発生の原因は富の分配(企業の収益や賃金等)の構造的な問題とし、個人の運不運の問題ではないと説明している。実際に人生には運不運はあるけれども、貧困を個人や家族の運不運の問題に収斂させてしまい思考停止になる議論は多い。貧困を運不運に帰すことから距離を置き、経済構造から生まれるとする考え方は、経済学者のみならず、誰もが考える一般的な真理であろう。そうでないと、富の分配の不平等を、国の社会保障(再分配)によって是正するべきという社会的な規範も生まれないからである。これは、不平等是正を主眼とする各種の社会保障制度が存続している事実そのものが歴史的に証明しているともいえる。また、相対的貧困の先には絶対的貧困があるという視点、つまり経済的不平等が極貧状態をも生み出していくという点についても当時若者だった私は感心した覚えがある。通常曖昧に、加えて対立的に、分断的にとらえられる絶対的貧困と相対的貧困の概念を、調査や統計で明らかにしながら統合化する道筋を提起しているからである。
一方で、私が岸本先生の文章に着目するのは、これらの点以上に「いずれ不運の側に回る」というところである。これは因果応報の話しのようにみえるが、そうではないだろう。貧困は、そのリスクが誰にでもあり避けられないこと(誰しも陥る可能性があること)を言っている。しかもその不可避性は経済構造に起因していることから裏付けられている。
そこから、必然的に、再分配(税や社会保険料)による社会保障が、社会の意志(特に立法と行政)によって意図的に実施され、まずは社会保険によってリスクを広く回避している。例えば、医療保険、年金保険、失業保険がそうであり、これは水平的再分配と呼ばれている(一部垂直的再分配を含む)。しかしながら、社会保険の機能が万能な機能を持つと強調されるだけだと、残念ながら、貧困・低所得世帯や生活保護世帯への想像力は及ばない。実際は、貧困リスクが高い人、貧困リスクが低い人がいる。貧困リスクの集中、つまり、性別、年齢別、世帯別、地域別などの観点からみると、調査結果から明らかな集中(社会的偏り)がみられる。社会保障においては垂直的再分配であることから、特に高所得者や中所得者の理解は欠かせない。しかしながら、この貧困リスクの集中は、貧困リスクの普遍性よりも理解されにくいことを日々痛感している。この理解がないと、社会保障が、困窮者に、困窮する可能性の高い人に重点を置いてターゲットを定めて実施されなくなるが、実効性のある政策が採用されるようになるには、多くの人がこの点を理解することにかかっている。
「リスクは誰にでもあり貧困に陥る可能性がある」、「しかしながらリスクは集中する」の両方を同時に考えて社会全体で備える方が、自分がそうなった時にも自然に助けられる関係性を得ることになる。逆にいうと、そうしないと、誰もが実際身に起こったことに対して、自力救済のみになっていき社会はいざという時に助けてくれないという悪循環にはまってしまうことになるのではないか。このことを念頭に置いて、現代貧困論の授業を展開している。
(松本 一郎)
【社会福祉学専攻教員 Episode5】は宮崎 牧子先生です。よろしくお願いします。